第7話 Serenade(7)

「彼女は。 両親がいなくて。 施設で育っていました。 学校に通いながら、近くの置屋で下働きもして。 恵まれた自分とはあまりにも違いすぎる苦労をしていた子でした。」



津村は驚いたままの志藤に構わず話を続けた。



「よくウチの店に頼まれてお菓子を買いに来ていたようです。 それから。 彼女はこっそりと裏口から庭に入って、ぼくの部屋の前でピアノを聴くのが日課になって。 毎日のように彼女と過ごしました。 そのうちに学校の帰りに少しの時間を見つけては鴨川の川原で待ち合わせて。 ぼくは彼女といることが本当に楽しくて・・仕方がなかった・・」



彼の話を耳に入れながらも




『父はどこの誰だかわかりません・・』



そう言っていた萌香の言葉を思い出していた。




その後、彼女の母から



昔恋をしていた高校生の少年との間の子供であることを聞いて



彼女はその事実に涙したことも



斯波から聞いた。



「彼女と交際していることはもちろん親には内緒でした。 彼女のバックボーンを知ったら、絶対に反対されることはわかっていましたから。 それでもぼくは彼女に会うたびに、ものすごい勢いで惹かれて。 苦労をしている彼女をなんとか支えてあげたくて。 若くて、何もわかりませんでした。 彼女との交際が進むことがどういうことになるのか、なんて。」



津村は遠い目をした。



志藤は黙ってその写真を彼に返した。



「あなたがどこまで栗栖さんの過去をご存知かわかりませんが。 ぼくは・・真実が知りたい。」



津村は意を決したようにまた志藤をまっすぐに見据えた。



「彼女が妊娠して。 ぼくの両親にも知られることとなりました。 ずいぶんひどい言葉を浴びせて彼女を傷つけて。 お金を渡して子供を始末するように。まだ中学生だった彼女につらすぎることを言って。 ぼくは無理やりロンドンへ留学をさせられることになり。 両親からは彼女には中絶させた、とだけ聞きました。 もう・・何がなんだかわからないうちに彼女と別れさせられて。 さよならも言えないくらい慌しく。 あれからずっと彼女がどうしていたのか。 そればかりを考えていました、」



志藤はなかなか言葉を発することができなかった。




「ひょっとして。 彼女はあのときの子供なんじゃないかって。 彼女の年を考えたら間違いないのではないか、と思いました。」




津村は自分の予測を志藤にぶつけながらも



確信を確かめたい気持ちが伝わって来た。




「以前。 栗栖の生い立ちについては。 本人から話を聞いています。 彼女のお母さんからの話を合わせると。 津村さんがおつきあいしていたのは間違いなく栗栖のお母さんだと、思います・・」



志藤はひとことひとこと慎重にそう言った。



「やはり・・」



津村は深く息をついて、思わず宙を見た。



「そして。 彼女のお母さんがどうしてもおなかの子を中絶することができずに・・周りの反対を押し切って15で出産したことも。」




津村は静かに目を閉じた。



萌香が間違いなく彼の子供であることを



確信した志藤だったが



「津村さんは・・これからどうするおつもりですか、」




一番不安に思うことを聞いてみた。



「どうするって・・」



彼はまだ茫然としながら志藤を見た。



「栗栖は。 お母さんの人生も、もうなにもかも受け止めて生きています。 ここまで来るのにいろいろありましたが今は彼女も結婚をして子供も持って。 幸せに暮らしています。 彼女のお母さんも。 栗栖は本当にたくさん悩んだと思います。 自分が『栗栖萌香』としてこの世に生まれた意味も、何もかも自分なりに解決して・・」




津村に訴えかけるように言う志藤に



「・・『もえか』さんとおっしゃるのですか、」



彼はまたも意外そうに聞いてきた。



「え、あ・・ハイ。 萌えに香ると書いて・・萌香ですが、」



志藤は気が抜けたように説明すると



津村は思わず口元が緩んだ。



「さきほどのウチの菓子。 もうずっとウチの定番の菓子なのですが。 餡の中にくるみが入って、それを求肥でくるんだ小さなお菓子です。 『萌え木』という名前がついています、」




「えっ・・」




志藤は目を見張った。


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