第3話 真実

 胸から朱色の液体を流し、彼女は流れるように床に倒れ伏した。沈黙したまま桜は起きてこない。小さく息を吐いて、巨大な窓から見える夜空を見上げた。しかしその景色は一瞬にして無機質な灰色のシャッターに塗り替えられてしまった。


「世界一の殺し屋にしてはノロマな仕事だったじゃないか」


 振り返ると依頼人の一人であるサクラコーポレーションの社長が十人の部下を引き連れて立っていた。


 部下達は横並びになり私に銃を向ける。社長も勝ち誇った顔で拳銃を向けていた。


「そうかもね。少し感情的になりすぎた」


 彼らの方に体を向けて腰に手を当てる。月明かりがなくなったこの部屋は真っ暗で、灯りは彼らが入ってきた扉から漏れる光しかない。


「で、どういうつもり?」

「仇討ちだよ」

「愛妻家なのね。あんな根も葉もない妻の悪評を立てておいて」

「おや、分かっていたのかい」


 桜の悪評が嘘だなんてわかりきってた。あの子はどんな絶望の中にいたとしても、いじめだとか浮気だとかする子じゃない。


「それでも依頼を受けたということは、貴様も金に目が眩んだか」


 黒服達がジリジリと距離を詰めてくる。社長は罠にかかった獲物を前に舌なめずり。楽しげに語る口は止まることを知らない。


「悪人しか殺さない殺し屋が、金に目が眩んで受けた仕事で死ぬ。なんとも因果で、ドラマチックじゃないか」

「私の話はもういいでしょ。それより、どうしてあんな悪評を立ててまで桜を殺そうとしたの」


 いい加減ウザかったので、早々に私の知りたい話題に切り替える。長年殺し屋をする私を驚かせた、あの依頼について。


 ある日私の元に二つの依頼が届いた。それは染井桜の暗殺依頼であり、依頼主は染井桜とその夫であった。


 自分自身の暗殺依頼と、嘘の悪評を立ててまで清廉潔白で美しい完璧な妻を殺そうとする夫。そこからきな臭さを感じた私はその二つの依頼を受けた。


 そうして今日出会ったのが、あんな苦しそうな顔をしていた桜だった。桜の顔を見た瞬間、私は過去の選択を死ぬほど後悔した。もしあの時依頼を無視して桜を連れ去っていたら、彼女をこんなに苦しめることなんてなかったのに。


「それを貴様が知ってどうなる」

「せめて死んだ理由くらい、あの子に伝えてあげたいの」

「ヒュー!ベタ惚れじゃぁないか!仕方ない。貴様と桜が同じ場所に行けるとは思わないが、貴様の儚い恋心に免じて話してやろう」


 芝居がかったウザい口調でしか話せないのかこの男は。そんな不満を飲み込む。そして、社長はまるで自慢話を始めるみたいに鼻を高くして語り始めた。


「俺は完璧じゃなきゃいけないんだ」

「はぁ?」


 開幕の一言に私の不快感が漏れ出した。しかしヤツは一切気に留めずに話し続ける。


「その為にサクラコーポレーションを世界レベルまで成長させた。こんな豪邸まで建てた。あらゆる学問を学び、この身体も時間をかけて鍛え上げた。俺はあらゆる手を尽くして完璧に近づいた!」


 ドン!と社長は急に癇癪を起こしたように床を踏みつけた。わなわなと震える手で頭を掻きむしり、地の底から響くような叫び声を上げた。


「それなのに!完璧な俺に相応しい女として選んでやったのに!あの女は俺を愛さなかった!」


 さっきまでのフィクサー気取りの雰囲気は消え失せて、物を強請る子供のような姿を見せる。鍛えられた長身の男がそんな事をするなんてみっともなくて見てられない。心なしか部下達も目を逸らしているように見える。


「妻に愛されない、人の心がわからないボンクラだと!今まで完璧だった俺の評判に傷をつけた!……だから、俺はその全てを塗り替えようと思った」


 男の言葉から幼い癇癪が消えて、計略高い腹黒社長が顔を出した。


「あの女の救出依頼の時、貴様が見せたらしくない行動の数々。当時の目撃情報を調べ上げてある仮説を立てた。貴様は桜に惚れていたのだと」


 気味の悪い完璧への執着。コイツは自分しか見ていない。世界の中心に自分がいると思い込んでいる。優しい桜に愛されないのも当然だ。


「ならばもし桜の暗殺依頼を出せば、必ずどこかで隙ができる。貴様は悪人しか殺さないから適当に悪評を立てたが、もし偽の情報とバレても、桜の身に何かが起きようとしてると知れば貴様は必ず姿を現す。そして全て俺の予測通りだったわけだ」

「結局、こんな回りくどいことして何になるの」

「ここまで言って分からないほど馬鹿じゃないだろ。それとも、死の恐怖で頭が回らないか?」


 いちいち気に障ること言う男だ。


「妻を殺した暗殺者の前に立ち塞がり、命を賭けて仇を討つ。いかにも愛を感じるドラマじゃないか?そして愚鈍な群衆はこう考える。間違っていたのは我々だと、本当は二人の間に愛はあったのだと。これが俺の描いた計画の全貌だ。どうだ、これで満足したか」


 男は銃口を私に向けて引き金に指をかけた。言いたいことを言い終えて満足した男は、はやく自分の描いたドラマのエンドロールが見たいらしい。


「最後に一つだけ」

「あぁ?」

「一度は婚約者に選んだんでしょ。桜の死について、何か思うことはないの」


 男は私の問いに対して明らかに不愉快な反応を示した。


「あるわけねぇだろ。俺の足を引っ張った小娘によ」


 深く長いため息をつき、男はそう吐き捨てた。


「お喋りは終わりだ。お前ら、撃て」


 気分を害された男は投げやりに部下達に命令した。しかし、彼らが命令通り発砲することはなかった。微動だにしない部下達に違和感を覚え、男に焦りの色が見え始めた。


「おい、お前らなに突っ立ってるんだ。早くコイツを」


 そう言ってすぐ近くにいた部下の肩に触れた瞬間、全員が力無く床に倒れ伏した。男の顔はみるみる青く染まっていき、恐怖に埋め尽くされた瞳を私に向けた。


「き、貴様……一体何を……」

「あんまりに隙だらけだったから、あんたが長話してる間に殺しておいただけよ」

「バカを言うな!!貴様はずっとそこにいただろ!」

「へぇ、アンタにはそう見えてたんだ」


 扉からの光以外は全て暗闇。そんな場所なら、素人にバレずに殺していくなんて造作の無いことだ。


「アンタの語ったドラマは少しチープすぎると思うのよね」

「ひっ!?」


 勝ち目がないことを悟った男は、助けを求めて扉に向かって走り出した。走りのフォームもめちゃくちゃで、完璧とは程遠い無様な姿。


「私がもっと魅力的な物語にしてあげる」


 せっかく完璧になろうと人生を賭けてきたのに、最期がこんな無様な姿だなんて可哀想でしょ?


「妻の仇を討とうとしたが、力及ばず夫も死んでしまう。そんな悲劇の方がドラマチックよ」


 アンタの死は世界中から賛美され、多くの人に惜しまれる。間違っていたのは私たちだと。あの二人の間に愛はあったのだと。ほら、貴方の望んだ完璧になれたでしょ?


 首を切り裂き、紅の大輪を咲かせる。不快な言葉を紡ぐ根源を断ち切って、ようやく安寧の時が訪れた。


 男の死体を投げ捨てて、すぐに桜のそばに戻る。そして、静かに眠るお姫様を抱き上げた。


 彼女の心臓の鼓動は止まっている。けれどそれは私に撃ち殺されたからではなく、銃弾の代わりに彼女に撃ち込んだ針に塗った毒薬の効果だ。


 あの依頼が届いた瞬間から、私は桜を救うための計画を練り始めた。アイツは桜の死を確認しない限り私の前に出てこない。だからアイツを誘き寄せる為に、彼女を仮死状態にする薬を大金叩いて知り合いに調合させた。


 そして作戦は成功。桜を縛るものはもう何もない。あとは彼女の目を覚まさせるだけだ。深呼吸して彼女と目を合わせる。


「ほら、お目覚めの時間だよ」


 誰に聞かれるでもない言葉を呟いて、安らかに眠る彼女に優しくキスをした。

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