第2話 本当の宝石

 アイスコーヒーのグラスをストローでくるくる回す。

 氷がカラカラと音を立ててなんだか、安心する。

 俺のヒロインであるエルちゃんがいなくなったのを確認した。

 酔っ払いもほぼ全員帰って、マスターと二人、深夜の部だ。


「黒い宝石だもんな」

「エルのことか?」

「ああ、あの綺麗な黒髪に黒目」

「惚れちゃったか。百万部売るまで娘はやらんぞ」

「前にも言われたな。覚えてる」

「だからか、我武者羅に小説連載して」

「もちろん?」

「まだ結婚できるまで二年はある。高校はせめて卒業させてやってくれ」

「百万部なんてなぁ」

「無理なら就職しろ。そうしたら結婚していいぞ」

「親公認なのも怖いな。就職ねぇ、今更すぎてなぁ」

「どっちなんだよ」


 アイスコーヒーを一口飲む。

 ということで、黒い宝石とはコーヒー豆とエルちゃんのダブルミーニングなのだ。

 このマスターは知ってるが、エルちゃんは知らない。

 俺の恋心もマスターは知ってるがエルちゃんは知らない。

 態度を見れば分かる。エルちゃんも俺のことは少しくらい好きなのだろう。


 いつもエルちゃんが俺ににじり寄って来るのには、隙を突いてキスをしてやろうという企みがあるらしい。

 俺は酔っ払い客と違い、シラフなのでもちろん阻止するに限る。

 キスなんてしてしまったら、既成事実になってしまう。もう責任取って就職して結婚するしかない。


「エルな、学校に通うようになったの、鈴木君のおかげなんだ」

「初耳なんですが」

「初めて話すからな」


 渋い顔をしてまた次のコップを拭きだす。


「高校生作家だろ。エルも高校生作家になって、隣に対等の立場で立ちたい。不登校なんてしてたら、もし実現したとき胸を張って高校生っていえないから、それで頑張ってる」

「そうなのか……まぁ高校は普通に卒業したからな、俺は」

「僕の背中よりも、鈴木君の背中を見て育ってるね。どちらも羨ましい限りだ。目標が目の前にある」

「クソニートとかしてる場合じゃないね。俺も頑張んないと。な、マスター」

「だろ、あはは」


 エルちゃんはちょっと特殊だった。

 父親の強い影響で、沢山の本に接して読むのも書くのも大の得意。

 学校の授業は簡単すぎるという理由でモチベーションがない。

 すべての教科書を四月中には全読破して、ほぼ記憶している。

 授業も宿題もつまらないというのが本人の言い分だった。

 現に中学の一時は不登校だったのに、偏差値の高い高難易度のお嬢様学校にすんなり合格して問題なく高校生活をしている。

 余った時間はこうして喫茶店に出てきて俺を揶揄い、小説の読み書きをして時間を潰している。


「地方文学賞だっけ」

「そうだよ、青少年の部で最優秀賞、史上最年少の十二歳で受賞」


 アンソロジーみたいな合同誌だったけど、すでに小説家デビューをした。

 賞金百万円。

 最近では小説投稿サイトでランキング常連になって荒らしまくった結果アンチがいる。

 アンチは不正不正と言っているが、あの天使のような倫理観を持つエルちゃんが不正するはずがなかった。

 やったことといえば、ランキング作品を片っ端から読みまくり研究を重ねた筋金入りの小説投稿サイトマニアに育っている。

 速読なのだろう、正直読むスピードは異常だ。それで俺とほとんど変わらないレベルで内容を理解も記憶もしてる。

 あれって読み飛ばしてるから早いのかと思ってたのだけど、どうも違うらしい。本当に文字列を追うのがめちゃくちゃ速いのだった。

 ランキングですらない俺の投稿も百万文字くらいあるのを全部読んでいて、連載もリアルタイムで追ってくれているという。

 まさか俺のSF長編まで読んでるとは流石に思わなかったが、それも発覚した。


「あの子、スペック高すぎるんだよな」

「僕たちの子だから」

「そういう意味でも、小説界の黒い宝石だよ。トリプルミーニング」

「そうだな。その代わり敵を作りやすい」

「あぁ、守ってやりたい」

「頼んだそ、鈴木君」

「あ、はい。俺は彼女のナイトなんで」

「あはは、よくいう」


 マスターに聞かされた話はクソみたいな内容だった。

 アンチは普段匿名掲示板やSNSに生息している。

 しかし学校生活でもアンチ、なんというか、いじめっ子もいる。

 中学では賞を取ったとこが知られていて、生意気だと言われたり、髪を引っ張られるとか、地味に攻撃されたようだ。

 授業もつまらなくて攻撃対象になるくらいならと、ほとぼりが冷めるまで不登校を選んだ。

 彼女は反撃とか対立などを嫌う。優しいのだ。両親の道徳観だか倫理観だか知らないが、まともな判断力がある。

 戦略的撤退というやつだろう。なにも正面切って戦うだけが戦争ではない。


 当たり前の話だけど、小説を十万文字くらい一冊分。矛盾や不備が少なくて、展開していけるには総合的な知力がある程度以上は必要だった。

 記憶力もそうだし、考える力も必要だ。

 読解力もないということはないだろう。


「コーヒー、おかわり」

「あいよ」


 もう一杯くらいならいいだろう。

 エルちゃんが淹れてくれたコーヒーはそれはもううれしいが、マスターのコーヒーも素晴らしい。


 そうそう母親の里見さんは専業主婦をしていて、家のことの一切合切を引き受けてくれている。

 喫茶店はマスターがお昼を食べている時間だけ代わりにカウンターにいることもある。

 ただ喫茶店はマスターの趣味なので必要がなければあまり顔は出さない。

 夫婦といっても他人なので一定の距離を保つということだった。

 それが長年夫婦円満の秘訣だと教えてくれた。

 少ない収入のやりくりや娘の不登校と作家活動と里見さんも心を砕いて支援してくれている。

 エルちゃんが笑顔を見せる一端は里見さんの貢献のおかげもあるのだろう。

 親という存在の安心感は、ことのほか大きな影響がある。特に中高生くらいの子は。


「親も親なら子も子だよな、マスター」

「なんだ?」

「黒石龍眼先生」

「昔の名だね」

「黒石ルビーだそうですよ」

「知ってるさ、自慢の娘だ」

「親バカですかね」

「そりゃそうだ」


 エルちゃんは『黒石ルビー』と名乗って『黒石龍眼』先生の娘であることを公表している。

 二代目作家は受賞歴とまだ高校生であることを含めて一部では注目されていた。

 しかしまだ単著の書籍化を果たしていなかった。

 彼女に期待している出版社は何社かあったらしい。

 そして一度書籍化の話がきていた。それに集中するためにその後来た書籍化の話をいったん全て断っていた。

 問題はここからで、その書籍化の話が立ち消えになってしまったのだ。

 しかもメールしても返信が来ないというものだった。

 後で聞いた話では、どうやら担当者が退社したまま引き継ぎがされなかったらしい。

 メールアドレスは個人ごとなので、そういう場合もある。

 まったく無責任な話だ。

 それで不信感を募らせたエルちゃんはまだ出版にこぎつけていない。

 ランキングも二位など高順位まで登るものの、よくある順位は取れるけど尖ったところがないという評価なのか、いったん断ったこともあって、うまくいかないでいた。

 賞やコンテストも参加はせず、ひたすら連載作をランキングに載せることを作業のようにしていた。

 小説投稿サイトのいくつかにはインセンティブがあるので、ランキングがあまり伸びないでいる僕よりすでに一定の収入がある。


「エルも大変だ」

「龍眼先生の後光がまぶしいですね」

「それは正直すまないと思ってるさ。親は選べないから」

「そうっすね。でもペンネームでも同じ苗字名乗るくらい尊敬もしてるんでしょう」

「そっかぁ、そうだね」


 ベストセラー作家とかいわれる誰でも知ってるようなレベルの先生だったのだから。

 それが父で娘も小説家。それはもう影響がないとはいえない。


「んじゃまあ、今日はこの辺で帰ります。お会計お願いします」


 俺は会計を電子マネー払いで済ますと、とぼとぼと家に帰るのだった。

 本当たまたまなのだが、家が近所でよかった。

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