とりあえずアイスコーヒー。酒はやめたんだ、マスター ~ニート小説家とJK小説家の卵~
滝川 海老郎
第1話 黒い宝石
「こんばんは。マスター」
「なんだい、酷い顔だ」
「あぁちょっと原稿がね」
「小説家なんか辞めちまえ」
「俺は無職さ」
「そうだったか」
清浄な空気が満たされた喫茶店、メルシー。
ここの売りは禁煙であることだった。
お酒も出すので夜なんかは飲んだくれもいるが、俺は違う。
俺は酒もたばこもやらない。
いや、酒は辞めたんだ。
「マスター、アイスコーヒー、ひとつ」
「はいよ。ミルクとお砂糖ね」
「どうも」
カウンター席に座る。
この喫茶店、禁煙なのとそれから電源がある。
俺はB5ノートのPCを開くとスタンバイから復帰させた。
スタンバイだと電気を食うので今のうちに充電できるのは有難い。
「小説ったって、まだ若いだろ。こうあふれるリビドーとかないの」
「うんまあ、今、二十一。ないわけではない」
「だろうに」
「なんかさぁ、ほら、あるじゃん。高校でまともな恋愛したことがないとか」
「あぁ、それはすまん」
「いや、別に気にしてないけど、ぐぬぬ」
「はぁ」
「マスターはえっと?」
「僕は嫁もいるし、娘もいるぞ」
「知ってる」
というか娘さんなら、そこにいてニコニコしてる。
エルちゃん。十六歳。高校生。
ここが実家なので、暇があるとこうして店に顔を出すことがある。
そして今彼女がはまっていることは、メイド服だった。
それで接客してみたかったんだそうで。
「エルちゃん、それ苦しくないの?」
「大丈夫、大丈夫。なんでこんなコルセットなんてついてるんだろうね」
「そりゃ、そのほうがかわいく見えるから」
「私のこと、かわいい?」
「うん」
「きゃっきゃ」
ネットスラングや漫画の吹き出しみたいに、本当にキャッキャと笑って見せる。
かわいい。というかなんでこの怖い顔のマスターからあんな美少女が生まれるのか教えてほしい。
「エルちゃん、宿題は?」
「もう終わってまーす。というか部活が文芸部で、みんなで先にやっちゃうの。先輩も巻き込んで」
「そりゃえらいな」
「えへへ、『がってんだ』ってね」
先輩の真似なのか、力こぶを見せてくれる。
「なかなか面白い部活みたいだな」
「せーんせい」
「その名前で呼ぶなよ、恥ずかしい」
「本当は好きな癖に」
ごめん。本当は先生と言われるとめっちゃうれしい。
ただそうすると俺は変な顔をしてだらしがないおじさんみたいになってしまうので。
だから自制もかねて、先生と呼ばないでほしい。
「鈴木さんな」
「鈴木さーん」
「はい、なんでしょう。ニートの鈴木です」
「小説家の癖に」
「小説ってな、一度出すと印税が刷った冊数だけ貰えるんだ。だから実は一括で貰った後に売れても、増刷とかされないとゼロ円なんだ」
「そっか、だから……」
「うむ。去年と今年前半の収入、ほぼゼロ円。いや電子書籍の分はあるよ。少ないけど」
「大変なんだ」
「分かってくれるか」
「うん。でも話長そう、ごめんね、ちょっと離席」
「おう」
そういって裏に入っていく。
トイレだろうか。そういえばコルセットがきついって言っていたな。
エルちゃんは元からかなり細身だけど、コルセットともなれば別なのだろう。
紐でグイグイとやるタイプのようだったので。女の子のファッションは大変だ。
俺は静かな喫茶店でアイスコーヒーをぐいっといくと、一息ついた。
それからペチペチとキーボードの機嫌を取って相手をする。
なせか家よりずっとはかどる。嘘みたいに文字列が画面に生成されていくのは愉快だ。
順調だとまるで小人さんが書いてくれているように感じて笑いそうになる。
「ふぅ、今日の更新終わり」
「なんだ、まだアレ連載してるのか」
「うん」
「たしか先週、SFは流行らん、もうエタるっていってたろ」
「ここから主人公機が破損して退場、新型機が出てきていいところなんだよ」
「やっぱり書きたいもの書きたいよな」
そういうとマスターは渋い顔をしつつ、コップを拭く。
この人、実は元売れっ子作家なのだ。昔の印税で喫茶店を開いたらしい。
しかし小説業は廃業。喫茶店のほうは赤字ギリギリだ。今でも印税は入ってきていて赤字を補填している。
俺の相手をしてくれる程度には暇である。
「じゃーん」
少ししたらエルちゃんも戻ってきた。
げ、高校のセーラー服だ。
彼女、お嬢様学校に通っていて、このセーラー服はマニアにも人気だ。
女の子たちからの人気も高いらしい。
俺以外のテーブル席などでちびちび飲んだくれてるおじさんたちの視線も、ちらちらとエルちゃんにそそがれる。
「えへへ、やっぱりこっちのほうが楽で」
「エル、セーラー服は駄目だ」
「なんで?」
「変な店だと思われるだろ」
「そう思う人が変態なだけじゃん。普通の制服だよ、もう」
ぶふぁっとおじさんの一人が噴出した。
きったねぇ。変態がツボにはまったのかまだゲホゲホしている。
「あ、大丈夫ですか?」
「エル、いい。僕がやる。そいつがエルの言う変態だよ、悲しいことに」
「あ、そうなんですか、うん……」
申し訳ないような顔をしているエルちゃんをよそに、マスターがタオルを持って変態と呼ばれたおじさんの相手をしに行った。
まあ、このおじさんは確かに変態かもしれない。実を言うと俺はよく知らない。
マスターが言うのだからそうなのか、とちょっと同情的に見る。
「えへへ」
両手を後ろに組んで、俺ににじり寄ってくる。
上目遣いの使い手だ。かわいい。
「なんだ、エルちゃん」
「あのですね。小説の指南とか」
「俺はぺーぺーだぞ」
「でも書籍化作家なんでしょ」
「まぁそうだけど、最近は出せてないし」
「でも、私だって小説書くの好きなんだから」
「あ、ああ。でも言えることなんてないよ。エルちゃんだって才能あるでしょ」
「私、まぁ、昔から小説漬けだったから、耳年増になっちゃった」
「まだぴちぴちしてるじゃん」
「見た目はね」
どんどん近づいて来るから、おでこをぺちっと押す。
んきゅ、とエルちゃんが変な声を出して静止する。
「えへへ、SF結構、SFの何が悪い、ですっ」
「あ、ああ」
「有名ロボットアニメとか今だってやってるんじゃん」
「まあな小説はというと、新作のがね」
「やっぱりロボじゃだめなの?」
悲しそうに俺を見上げてくる。
そんなにロボ好きだったのか。そういう風には見えないが。
「主人公のエール君が好きなのに」
「っておい、俺の小説読んでるのかよ」
「ごめんなさい。PC開いてるからタイトル盗み見しちゃった」
俺はおでこに手をやって、やれやれとポーズをとる。
まぁ画面なんか見なくてもペンネームで検索すれば一発なので、公知情報だ。怒るようなことではない。
「ごめんなさい」
ペコリとセーラー服で頭を下げるそのシーンはなんだか、本当にいけない店みたいな雰囲気になるからやめてくれ。
「まあ、いいけど、エール君好きなのか」
「うん」
「実を言うと俺みたいな根暗っぽくて微妙なんじゃないかと思ってて」
「その暗い影みたいなところがいいんじゃん。渋くて」
「十六歳設定なんだけど」
「え、ほんと? リアルな二十一歳だと思ってた」
「酒も飲まないだろう」
「今の主人公に酒もたばこもダメなのかと思って」
「あぁまあね」
エール君の名前の元ネタは彼女エルちゃんなので、ちょっとこっぱずかしい。
性格は俺、名前だけ拝借。
分身ではない主人公を書く方が多いが、今回は俺に近い。
なんか人物像にリアルを求めた結果だ。
それが読者を遠ざけていると思っていたのだけど、そういわれるのはうれしい。
なんだか俺まで好かれているみたいに錯覚してしまいそうだ。
「アイスコーヒー、もう一杯」
「はーい」
エルちゃんがセーラー服のままカウンターに入る。
コーヒーを作ってくれる。
マスターは隣で渋い顔でコップを拭いている。
「黒い宝石か」
「なになに、コーヒーのことですか?」
「うん」
「そうだよね、豆一粒ずつに物語があるんですよ」
「そっか」
「うん。どこで生まれたのか。どうやって収穫したのか。どうやって日本まで運ばれたのか。焙煎されたのか。そして今、ここで私にコーヒーにされてるのです」
「JKにコーヒーにしてもらえるなら、俺もコーヒー豆になりたいよ」
「あはは」
笑顔がまぶしい。俺たちが忘れかかっている一見、無邪気な笑顔だ。
でもそんな彼女にも闇があった。
今は平気なようだけど、昔中学の一時期、学校に行っていなかったらしい。
俺は高校生の小説家だった時からここに通っているから、昼間彼女がいることがあって不思議だったのだ。
まだ当時のことは聞いたことがない。親と子供の話に口出しできるような立場じゃない。
でも、今は笑ってくれている、ただそれだけでも、いいんだ。
ところで今何時かってエルちゃん、もう寝る時間だろうに、いいのか。
「エル、時間だ」
「え、もう十一時、いっけない」
エルちゃんが戻っていく。
「エルちゃん、おやすみなさい。いい夢を」
「ありがとう、鈴木さん」
バタンとドアを閉めて出ていった。まったく、夜中にこんなところにいちゃダメだ。
自分を棚上げしているとか、言われる筋合いはない。
ここは喫茶店、メルシー。こうして今晩も更けていく。
□◇□────────────────
あーコーヒー飲みたいなぁみたいな深夜テンションで書きました。
少し気に入っているので、不定期連載したいと思います。
同じような深夜テンションの日に書いて、更新すると思います。
よろしくお願いします。
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