03_37 デポと赤の女王
マギーたちの行商の荷は最近、70キロから80キロを超えた。二人掛かりだとしても、背負って半日歩き続けるには、きつい重量だ。勿論、街道筋には巨大蟻も徘徊していれば、屍者も出来る。機敏に行動できない重量を背負って往来するのは、命取りになりかねない。いや、行商人や農夫には、それくらいの重量を背負って往来している剛の者もいるが、ニナとマギーにはその選択肢は取ろうとは思えなかった。
「このままでは事故が起きる可能性があります」六十キロを超えたあたりから懸念を明らかにしていたマギーだが、八十キロは明白に危険域に達しつつあった。二人は考えた挙句にデポを設置する。
デメリットとして移動距離は伸びるが、長距離を一日で移動するより、都合を見ながら、ちょくちょく軽い荷物を運び込むほうが結局はより安全で効率的と判断したのだ。重い荷物を一度に背負って移動するのは、無用に行商のリスクを高めている。巨大蟻や屍者に対処するには、常に身軽で機敏に動ける状態を保つ方が、命を守るためには最適な方法だろう。
ついでに包帯や幾らかの保存食、毛布、蝋燭やカンテラの燃料なども設置した。二つ目のリスクとしては、廃墟の住人や
置いてあるのも基本的には重量の割に価値は低い品ばかりだし、高く売れるポレシャと言う市場を知らなければ、全部を持ち去ろうとは考えまい。こうして行商に懸ける時間はさらに増えたが、月に二、三度の頻度であれば、計画的に行うことで、充分に管理できるはずだった。
※※※※
こうしてニナとマギーの自由都市における滞在時間は益々、増えた。比較的に安全で富裕な地区での商取引に小娘いても邪魔になる時など、ニナは時間を持て余すようになった。もう少し年がいけば、社会的にも相棒と見られるだろうが、今はまだ場違いな丁稚の小娘にしか見られない。年嵩の商人から何故、連れてきたんだと言う目でに見られると、流石に同行するとは言い張れなくなる。五年、十年経てばと思うニナだが、或いは、マギーの肩くらいで身長が止まってしまう可能性に思い至り、首をぶるぶると振った。伸びてる筈である。拠点よりも二センチ伸びた。つまり十年後には、百六十を越える筈だ。完璧な方程式に安堵して、ニナは自信を取り戻した。
この間、倉庫の整理でちょっと棚の上に手が届かず、マギーに肩車してもらおうとした。右肩に乗った時点でマギーが立ち上がったら、傍にいたリリーが笑った。
「ちっちゃいのが肩に乗ってる。漫画の悪役やんけ」リリーの一言が引き金になり、倉庫は笑い声で埋め尽くされた。近くにいた若い男が笑いをこらえきれず、抱えていた箱を床に落とし、慌てて拾い直した。その拍子に、箱の中から転がり出たスプーンが床を転がる音がまた妙におかしく、さらに爆笑を誘った。リリーはいい奴だが、些か……かなり……相当にデリカシーに欠けている。まあ、そのうち、分からせる必要があるだろう。
午前の太陽が自由都市の上空を照らし、石畳の通りを温め始める頃、ニナは軽い鞄を肩に掛け、蚤の市の広場へと足を運んでいた。大通りから少し外れた一角に広がる雑然とした市場で、高級な掘り出し物は滅多にないが、値段の割には品質の多い布やら工具などが時折、見掛ける事が出来る場所だった。治安も悪くなく、都市の活気とも少し異なる、ざわついたエネルギーに満ちている広場を、ニナは散策するのを楽しんでいる。
通りの両側には、色とりどりの布をテント代わりに張った露店がぎっしりと並び、そこにはありとあらゆる品物が並べられている。手編みの籠や粗雑な木彫りの像、使い古されたナイフ、曇った銀の食器、そして小ぶりな銃器の部品までが売り物になっている。誰が使っていたのか分からない革のベルトや靴、機械のギアやねじが山積みにされている露店もあれば、怪しい薬草やらどぶろくを煮詰めた瓶が並ぶ一角もある。
ニナは通りを歩きながら、時折足を止めて目を輝かせた。
何に使うのかも分からない、得体の知れない機械部品の露店などでは、好奇心が抑えられない。細かな文字で何かが刻まれた古びた金属板を手に取り、店主と目を合わせる。
「それは昔の船のプレートだ。読めるか?」と禿頭の店主がニヤリと笑った。
ニナは小さく首を振ったが、内心ではその奇妙な文字を解読してみたい気持ちに駆られていた。結局、値段を聞いて、財布の中身を思い出し、そっと戻した。
広場の中央では、雑多な品を広げた布の上に座り込んだ老婆が、野生の果実や干し肉を売っている。ニナは腰をかがめて、手に取った果実をそっと嗅いだ。熟した香りが鼻をくすぐる。「この辺りの?」と尋ねると、老婆が歯の抜けた口で笑いながら「ずっと西だよ。森から取ってきたんだ」と答えた。値段を交渉し、いくつか購入すると、そばを歩いていた小さな子どもがじっと見ていたので、一つを手渡した。子どもが嬉しそうに母親の方へ走り去るのを見て、ニナも笑った。
ベンチに座って風景を眺めていると、金属製のトランクを抱えた若い男が真剣な顔で店主と交渉している。おそらく何かとの交換を望んでるようだ。現金だけでなく、物々交換が盛んに行われるこの市場では、売買は常にちょっとした駆け引きを伴っている。
路地の一角では、焚き火の煙が漂い、傍らでは小柄な男が焼いた魚を売っている。
南側の河川で採られたものだと売り文句で謡っている。自由都市の北を一度通り抜け、あとはポレシャへと通じる東の街道筋しか、ニナは知らない。
見知らぬ土地にもいつか訪れたいものだと思いつつ、香ばしい匂いに誘われて立ち寄り、串に刺さった魚を一つ買って口に運んだ。「美味しい」と小さく呟きながら、熱い串を両手で持ち替える。調味料代わりのハーブの苦味が絶妙だった。
蚤の市の喧騒の中、足音が石畳に響き、遠くでは荷車の軋む音と、行商人たちの叫び声が重なり合う。設置されたベンチに座ったニナは、ゆっくりと食事を取った。鞄の中には、果実と少しの干し肉、そして、何か面白そうな古い金属部品が一つ――つい衝動買いしてしまったものだ。
反対側では木箱に腰を下ろし、野鼠肉や蛙肉の串焼きと硬パンの食事を取っている雑役夫たちの姿が見えた。楽しげに冗談を交わし飄々としているが、服は土埃に塗れ、靴は擦り切れている。二年前のニナとマギーも似たような装束だったが、もう一度、一からやり直せと言われても、また這い上がれる気はしなかった。主にマギーの知識と知恵、それに相応の努力もあったが、出会いや幸運に恵まれたのも間違いないのだ。
街路では、ニナより若い少年少女が、声を掛け合いながら大きな荷車を押している。車輪が石畳を擦る音と荒い息遣いが喧騒に混じりあっていた。少年の一人が、肩を大きく上下させながら汗を拭い、手を抜こうとした少女に向かって叫んだ。「ちゃんと押せよ!荷が傾くぞ!」少女は舌を出して、再び力を込めて押し始める。
歩道には、あちこちで小さな商いが展開されている。粗末な木の箱を台代わりにした露店では、乾燥した果実や豆の量り売り、汚れた瓶に詰められた油が並んでいる。通りを挟んだ向こう側には、ささやかな金属製の鍋やスプーンなどが並ぶ場所もあり、通行人が立ち止まって品定めをしていた。
ニナの座ってるベンチの傍らでは、清潔な衣服を纏った人々が、緑の芝生に囲まれたテーブルでチェスを楽しんでいた。時計が設置されたテーブルの上で考え込んだり、駒を動かしながら、穏やかな表情で会話を楽しんでいる。
「……上を見ても限がないし、下を見ても終わりがない」満足したら、終わりだと言う警句を耳にしたことがあるが、ニナは現状、もう充分に幸せだった。
だけど、普段から呑気できるほどに裕福な訳でもないし、商売も必ずしも安泰とも言い切れない。セフ衆は失敗したものの、ポレシャと自由都市の行商に次のライバルが出てこないとも言い切れない。これから先も、街道の旅には常に危険が付き纏うだろうし、創意工夫も欠かせないだろう。
『ここでは、ただ、己の場所を保つために、全速力で走り続けなければならない』とは、『不思議の国のアリス』に出てくる赤の女王の台詞だ。
「……走り続けなきゃ、赤の女王に追い抜かれるか」ニナは嫌そうに呟いてから、立ち上がった。
※※
ジナ・グレインズは、「不義の子」と見なされている。
自由都市ズールで小さな穀物商店を営むジョナサン・グレインズが、ある日突然、どこからか連れてきて、四番目の我が子として迎え入れたのだ。
妾の子か、愛人の娘だろう、と言うのが近所の者たちの噂する所だったが、それにしても些かの驚きを持って、ジナは迎えられた。それまでのジョナサンは愛妻家で知られており、艶福家とは程遠い評判の持ち主だったからだ。兎も角、グレインズ家の一員となったジナだが、上に三人もいるから、将来はせいぜい、穀物商店の店員として働ければ御の字だろうと見られている。それでも、顔立ちには一族特有の長めの鼻がしっかりと受け継がれていて、まるでジョナサンの愛人の子か、あるいは遠縁の子供を引き取ったのは間違いないと囁かれていた。
ジナ自身も己のルーツが気になって一度、ジョナサンに尋ねたことがあった。
ところが、返ってきたのは「人生は秘密があった方が面白くなる」とか言うふざけてるとしか思えない返答で、流石にその時は、普段は冷淡な長兄リチャードが気を使ってケーキを食べさせてくれるほどに落ち込んだものだ。
その日、裏庭に出ると取引相手の徒弟?であるニナを見つけた。隅の方で焚火をしながら、何やら考え込んでいるように見えた。
ジナが見ていると、ヘーロウ、と手を上げてニナが挨拶してくる。
やあ、言いながら、ジナは近づいてみると、どうにも浮かない顔をしていた。
「……どうしたの?黄昏れて」あまり親しい訳でもないが、気になったので尋ねてみると「……恵まれているな、と思ってた」
妙にアンニュイな言葉を呟いている。
「……今日は、お姉さんは?」普段は、一緒にいる背の高い女性が見当たらない。何故か、少し怖い雰囲気を漂わせているので苦手だが、実際には声を荒げた事もないので、意外と優しい人かも知れない。少なくともニナは懐いているようだ。
「仕事。わたしは、留守」ニナは意気消沈したまま、焚火を鉄の棒で搔き廻した。
「商売は上手くいってるみたいだね」ジナは後ろ手に手を組みながら尋ねると「まあまあかな」そう答えてるニナだが、上等な仕立ての服を見れば、かなり上手くいってるのは一目瞭然だった。
毛糸のマフラーは、なんたら言う羊毛を使ったブランド品で、400クレジットはする代物だ。二人組と初めて会った時には、壁の外で3クレジットで売ってそうな襤褸布を巻いてマフラーと称していたから、随分と出世したものだと感心する。
他の
ニナの真横には、古新聞やら端材などが山積みされていた。この娘は、古新聞の束とか、使い道のない端材なんかを纏めて買い集めてる。
不思議に思ってジナが首を傾げてると「ポレシャでは薪は貴重なのだ」と説明された。こんなものでも二キロ、三キロと持ち帰ると、薪として重宝するそうだ。
「煮炊きなんかにも随分と助かる。リリーやトリスにも。ああ、同居人ね」
なにやら考え込みながら、焚火の横の砂時計に目をやったニナが、ジナに尋ねてきた。
「冬までに、出来れば百キロくらいは貯めて起きたいけど……ああ、家を持つと、そうか。自分たちで薪も用意しなくちゃならないんだね。
ねえ、ひとつ聞きたいけど、冬越えにはどれくらい薪は必要かな?」
「トン単位」とジナ。
「マジで?」ニナが目を瞠った。
「……店舗持ちで、従業員の分もあるからね」実際に、冬の薪代は馬鹿にならない。
ジナは逆に聞いてみた。
「一冬に百キロで足りるの?」
ニナが凄い勢いで焚火を棒で掻き廻す。
「居留地で。他人のドラム缶の火に薪を持っていって暖めさせてもらう。集団で部屋に集まってるから、随分と薪を節約できる。簡易宿泊所でも、火を焚いてるから、寒い時に自分の薪を足すだけで済む。二人で百キロもあれば」ニナの答えに頷いた。
少人数の小さな部屋、一番寒い時に暖まるなら、1時間1キロで十分か、と合点する。
「ああ、楽しそうだね」ジナは呟いた。
「去年までは、生き延びられるかな?って感じだった。最近は楽しいけどね」
「冬は辛いよね」とジナ。
「大きな暖炉の傍とか、良さそうだけど」ニナは肩を竦めた。
「暖炉の傍はお姉ちゃんや店員さんたちが当たってて、わたしはお味噌だから丁稚の子たちと同じ、部屋の隅」淡々と告げられたジナの言葉に、ニナは沈黙した。
「旅は楽しい?」ジナから聞いた。
しばらく考え込んでから、ニナは頷いた。
「悪くない。うん、悪くない」
「いいなあ」ジナは呟いた。
最後に、焼いた芋をニナに分けて貰った。
いいなあ、ともう一度、ジナは呟いた。
8月中旬
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