03_15 土砂降りの雨の中で

 田舎町の雑貨屋とは言え、爺さまはあれでいて、普段から中々に手強い交渉相手だった。土地の顔役であるし、小さな町なりに外部との交渉にも場数を踏んできた。年齢から来る経験や知見というのは、しっかり己の人生を生きてきた手合いの老人においては、侮れない粘り強さを与えるものらしい。


 いずれにせよ、マギーには爺さまを説得する自信がない。と言うか、糸口が見えなかった。一つには、マギーの取り扱う品が今の量のままであろうと、爺さまは別段、困らないからだ。此処は、爺さまの雑貨屋にも得させるような話を持っていきたいところだが、特に閃きも浮かばない。


 それでも一応、相談のていを取って、マギーは爺さまに話を持ち掛けてみた。 どうせ駄目元。失敗しても失うものなどないのだから気も楽だ。勿論、しつこくして嫌われる真似をするような真似をするようなことは厳に避けるつもりだった。

だが、思ったよりも話は厳しい空気を帯びた。「そういうこたぁ、簡単にはいかんぞ」爺さまは笑いもせず、渋い表情で答えた。


 切って捨てられたのは、小麦の引換証を発行して欲しいとのマギーの依頼だった。居留地の正規紙幣でも麦との引き換えは行ってくれるが、一人頭、一日当たりの制限量が存在している。外部の商人が小麦を引き出すには引換証が必要だった。


 扱う小麦の量が増えて、持ち運びが辛くなってきていた。引換証を発行してくれるなら其の儘、取引のある穀物商人と都市通貨を交換するだけなので一々、運搬する手間も省ける。マギーの説明を聞いても、爺さまは腕を組んだまま動かなかった。町の古い街路樹のように、どっしりと座った姿勢を崩さず、静かに唸ってる。


「なるほどな。まあ、確かに筋は通っちゃいるが……引換証をこっちが乱発してみろ。どいつもこいつも好き勝手に麦を持っていく算段をするだろうよ。そうなりゃあ、ポレシャの麦倉庫が空っぽになるのも時間の問題だ」パイプを吹かしながら、爺さまは言い放った。

 乱発しなければいい、と思うマギーだが、口は挟まなかった。当たり前の話に思えて、町の参議が口にする以上、できない理由がある筈だ。


「お前さんの取引している穀物商を、まず俺は知らん」爺さまは頑固そうに告げる。先年の巨大蟻の来襲により農地が損害を受け、収穫に不安がある現状、引換証が外に流れるのは歓迎できないとのだ。何者とも知れない商人に引換証が出回っても、約束以上の小麦を持ち出そうとするかもしれない。書類の数字を書き換えもすれば、偽の引換証をでっちあげようとする小悪党も絶えない。そして時には、自由都市における裁判沙汰となる。以前、ズールの有力商人に詐欺を働かれ、支払いを拒んだ時には、商人の他者への詐欺行為が明るみに出るまで、経済制裁で十数年の間、自由都市との商取引が断絶した。


 それを防ぐ手立ても手続きも当然に存在している。が、事は居留地の安全保障に関わっている。どこの詐欺師か知らないが余計な事をしてくれた、と内心舌打ちしつつ、説得は無駄だな、とマギーは見切りをつけた。欲を搔いて、今の仕事に差しさわりを出しては元も子もない。元々、今の規模の商売でも十分にやっていけるのだ。


「分かった。諦める」あっさりそう言ったマギーに爺さまが「人を雇え、人を」

言い放った。

 マギーは苦笑を浮かべて、珈琲を口元に運んだ。

「わたしとニナ。毎回、無事なのは、斥候術をそれなりに使えるからだよ」

「それでも危うい時もあったんだよ。この間も、盗賊に囲まれて、ねえ」とニナが口を挟み「駄目かと思った」マギーは淡々とそう頷いた。

 ふうむ、と雑貨屋の爺さまが一声唸った。

「分かった。200以上は、都市通貨で払ってやろう」

「え?いいのかな」僅かに戸惑いを隠しきれないマギー。

「少々、割り引くぞ」

「こっちとしては有り難いけど。都市通貨は、貴重でしょう」マギーの言葉に、爺さまは渋々、頷いた。

「まあな。だから、あまり出せんぞ。一回の取引で精々……百か。そこらだな」爺さまの言葉に、それで充分だとマギーは礼を言った。とは言え、月に200、300と都市通貨を払い続けるのは、いかに店持ちの商人とは言え、容易ではあるまい。


 取りあえずは、商売上の心配に算段着いたマギーは、ほっと息をつくと目を閉じて、感傷に耽った。予想を超えて商売が繁盛した。自分で思っていた以上に向いていたのだとすれば、結構なことだ。一度の行商で三百。それを都市通貨で稼げる行商人が、辺土の若僧の中にどれだけいるかとマギーは考える。けして、多くはいまい。だが、それだけの危険を冒してる事実も、けして忘れるべきではないが。


 マギーも、胸のうちに小さな望みを抱いている。元より大それた望みではないが、


 とは言え、行商人は現金商売だ。仕事の報酬を、薪や食べ物の形で受け取ることもない。食事や寝床のすべてに金が掛かる。泳ぎ続けなければ死ぬ魚のように、稼ぎ続けるしかない。それにしても、まさか荷を運べない程に稼げる日が来るなんて、想像してなかったが。



 これでも足りなくなるとはさすがに思えないが、さらなる幸運に恵まれたなら……その時は、人を雇用するか、動物を借りるべきだろうか。




※※



 八月の上旬。



 好事魔多し、と言うべきか。ニナが風邪を引いた。小糠雨の中、商品の仕入れに蚤の市を連れまわしていたら、身体を冷やしたのか、宿屋で気分の悪さを訴えてきた。

「抗生物質。40クレジットだ」ニナを診療した旅の巡回医師が代金を告げた。勿論、最初に医師免許は確認している。

「都市通貨で?」とマギー。

「勿論、都市通貨で」医師が当然だろうと言いたげに頷いた。

 マギーは惜しげもなく払う気だが、それでも嫌そうに舌打ちしたのは、あまり懐に余裕があると見られない為だ。医者たちは、相手を見て値段を決める。自由都市の法に定められた医師たちの権利だ。


 くちん、とニナがくしゃみした。二日前まで、関節が痛いとうんうん唸っていた。無理をさせるべきではなかった。薪代と宿代、薬代でかなり掛かったが、マギーは金を惜しまなかった。


 土砂降りの雨が数日、続いている。渡り人オーキーを始め、自由労働者や巡礼、職工に放浪者ワンダラーと、足止めされたやら雨宿りやらの大勢の旅人に街道の旅籠は混み合っていた。近所の農民やら牧童やらは気楽なもので、陽気な雰囲気でよもやま話に興じているが、行商人たちとなると死活問題だ。誰も彼も陰気な表情を浮かべ、まったく商売あがったりだわい、と愚痴りながら、ぼそぼそと天候への文句やら盗賊団の動向やらを教え合っていた。行商人には、厳しい季節だなとマギーは肩を竦めた。そう言えば、セフの連中を見掛けないが、果たして上手くやってるのだろうか。


 兎も角、薪も宿代も食料も万事、金で賄わなければならない。持ち金の計算をして、顔を青くしている旅人もいるが、土砂降りの雨の中を出て行く旅人は少なかった。泥濘に足を取られ、衣服や靴が傷むだけではない。雨音に紛れて獲物に接近してくる狡猾な変異獣の気配を、鈍感な人間たちは土砂降りの音に感知できなくなってしまうのだ。

 時に孤立した民家や小村落、農場に旅籠さえ、時に雨の中、獣たちの襲撃に陥落することがある。今も覗き窓から大型クロスボウで武装した見張りが煙るような雨の街道を睨んでいた。


 金がものをいうこんな状況でだけは、行商人の生業を選んだことにマギーは感謝していた。

「今日も泊まる。夕食をお願い。お粥で」すれ違いざまの従業員に真鍮の都市貨幣を放った。マギーたちは、二人部屋の個室を使っている。


 雨に濡れて駆け込んできた渡り人オーキー一家の子供たちが濡れた服を脱いで、薄い毛布の中、半裸で身を寄せ合ってるのを他所に、金を持った旅人の部屋には次々と薪が運び込まれている。


 この場がもっと安全か、マギーの持ち金がもっと少なかった頃なら、震えてる子供を暖炉の傍に招いても良かったかも知れない。しかし、羽振りの良い行商人と誰の眼にも見て取れる状況、見知らぬ者ばかりの旅籠で、病人のいる部屋に知らぬものを招くのは善良を通り越して、愚かに過ぎた。相部屋の旅人に持ち物を盗まれたり、危害を加えられた話など、黄昏の世には珍しくもない。


 耐水のコートや長靴なども購入しておこう、とマギーは手帳に買い物リストを記して、また、金が掛かるな、と考え込んだ。加えて、土砂降りの雨に売り上げは落ちている。収入が何時までも伸び続ける筈もないのに、ありもしない事業拡大の未来に備えた己の愚かさが少し滑稽に感じられて、マギーは低く笑った。


「妹さんは、もう大丈夫だ。元から、熱はなかった」

 年の風邪は性質が悪い、などと言いながら、医師が栄養剤を打った。

「簡単な予防薬みたいなのがあったら売ってくれる?」マギーの問いかけに、医師は鼻を鳴らした。

「流行病のワクチン注射なら兎も角、風邪にそんなものはない」

 予防なら兎に角、身体を冷やさない。寝る時は体を温めて、栄養のあるもの、消化に優しいものを食べる。不良医者みたいな印象の癖に、部屋から立ち去り際に告げてきたのは、意外と真っ当なアドバイスに思えた。


「ごめんね」ニナの顔色も随分と良くなり、発言も明瞭だった。

 マギーは手を握って頷いた。

「欲しいものある?リンゴジュースは?」

「だいじょぶ、もうちょっと寝る……」言ってニナは眼を閉じる。

 雨季に入ってから、予定外の宿泊が増えていた。行商の日程を伸ばしたので稼ぎには影響ないが、その分、日雇い仕事での実入りが随分と減っていた。まあ、どのみち、雨季には求人も減るし、もとより行商での収入の方がかなり大きいので、さほど問題はない。これだけ稼いでなかったら、致命的だったかもしれないな、とニナを失っていた未来が頭を過ぎって、マギーの背が氷を差し込んだように冷たくなった。

「連れてくるべきだったのか」なんて一瞬、呟いたけれども、ニナがすやすやぁと寝息を立てたので、どうでもよくなって寝顔を見ながら隣に寝転んだ。



※※


 ポレシャに夏の嵐が訪れた。



 すでに一週間近く、土砂降りの雨の日が続いている。

 雨は一年の雨季に集中して降るのが常だが、今年の豪雨は例年以上に激しく、居留地の住民―――特に下層区画や周辺の廃屋に暮らす渡り人オーキーや自由労働者たちは不安を募らせていた。何故なら、彼らのうちでも貧しい者たちは、紙や布を張った粗末なあばら家か、貧弱な天幕に暮らしていたからだ。


 豪雨の度に天幕の内側に雨水が染み出し、古紙の壁は重たく垂れ下がる。幾つかの小屋や天幕は崩れ落ち、住民たちは泥に塗れながら補修を試みるが、雨脚は容赦がない。

「このままじゃ夜まで持たないぞ」と叫び声を上げる青年の傍らで、老母が泥の中に崩れかけた我が家を眺めながら、慣れと諦めの入り混じった謎めいた笑みを浮かべて佇んでいる。


 変則的な晴天と豪雨が繰り返される日々の中、長引く雨で居留地の求人も減少しており、住民たちは懐中の金や蓄えを計算し、支出をできる限り抑えようとしていた。

 日雇い労働者や雑役で稼ぎを得ている者たちの幾人かは、顔見知りの雇い主の元へ直接赴いて仕事がないかを探したが、幾人かが仕事に有りついただけで、居留地全体から見れば、殆んど焼け石に水に近い状態であった。




 隻眼のリリーの段ボール小屋も、激しい強風が吹くたびに大きく揺さぶられていた。風と雨が激しくなった夕方、これ以上は『家』が耐えられないと直感したリリーは、ひゃあ、と甲高い叫びを上げながら『家』を担いで大路を走った。

 手近な屋根のある廃屋へと飛び込むと、段ボールを床へと放りなげる。


 リリーは荒い息をつきながら廃屋の隅へと身を寄せた。廃屋に飛び込んだものの、そこもまた雨漏りがひどく、屋根の亀裂からぽたぽたと雨水が垂れている。外では風がうなりを上げ、雨が地面を叩きつける音が響いていた。


 大きな廃屋に落ち着いたリリーの耳に、何処か遠く怒鳴り声と思しき誰かの声が微かに響いてきた。「俺の食料袋を盗んだのは誰だ!」

 落ち着かなげに身体を揺らしたリリーは、身を小さくすると、奥まった階段の下へと潜り込んだ。外の混乱と不安が、荒れ果てた廃屋にまで入り込んでくるように感じられて、隠れるように蹲ると耳を塞いで顰め面を浮かべた。


 薄暗い廃屋には、普段から目を付けていた。文明崩壊前の頑丈な建築物で、いまだに居留地を守る防壁の一部を形成していた。

 古い頑丈な建物を防壁に使うのは、何処の居留地もやっている事で、多くは曠野側に通じた窓や扉が埋め立てられ、或いは頑丈に封じられていた。しかし、いつの間にか壁の一部が破られ、曠野に棲まう怪物どもの密かな侵入口に成り果てているような事例も、各地で散見されている。


 時として、致命的な弱点として居留地滅亡の引き金を引いたり、そうでなくても避難した住人が怪物に襲われて命を落とすのは珍しくもない。

 ポレシャでも廃屋の奥に消えた足跡だけを残して、若い少女が消えたと言う話を耳にしたことがあった。その日も風が強く、雨が降りしきる中、薄暗い晩に廃屋に避難した若い娘がそれきり姿を見せなくなったのだ。


 廃屋に漂う不気味な気配に近づくのも敬遠する住人もいるが、リリーは気にしなかった。これは勇気というよりは、貧すれば鈍するの類だろう。故郷の村にいた頃には、危うき場所に近づかないようにしていたのが、雨に濡れて身体を冷やすよりはマシと、転がり込んだのだから。


 兎に角、寒い。真夏とは思えないほどに気温が低く、肌寒さを感じたリリーは、ズダ袋から火口箱と一握りの藁を取り出し、歯をガチガチと鳴らしながら、火をつけようと試みた。ろくな薪もないし、風も強い。でも、どうしても火を起こさなければならなかった。


「……お願いやで」冷えた身体をさすりながら、火打石を動かしてるうち、枯れ枝や古新聞を捻った薪にやっと火が付いた。

 やっと人心地ついたリリーが、袋から小さなチーズを取り出し、串に刺して炎で焙焙り始める。安い仕事を転々としているリリーだが、時には気前のいい農場主に当たる事もあった。空の彼方では、低く鳴り響いている。遠雷か、それとも何か大きな獣の咆哮か。風が音を乱し、正確な方向を掴むのは難しい。

「なんや……いまの」震えながらも、リリーはチーズを焙る手を止めない。例え、建物の目と鼻の先まで変異獣の群れが迫ってきているとしても、チーズを焼く。

 香ばしい匂いが漂い、 寒さで震える身体が早く食わせろと訴えていたが、丁度いい焼き具合になるまで、まだや、まだと、リリーは堪えた。

 涎を垂らしながらも、じっと我慢の子をしていたが、ようやくに忍耐力が報われ、堅く固まったチーズが芳醇な香りを発し始める。


 ふと、小さな足音が響いた。まるで何か小動物が駆け回っているようだ。小動物かな?思いつつも、リリーは、小さなこん棒を手に取った。


 柱の影から、腹の音が聞こえた。リリーのものではない。柱の影に目をやると、そっと顔をのぞかせたのは、薄汚れた子供たちの顔だった。目は食い入るようにリリーのチーズを眺めている。




  八月上旬


   マギーたちの所持金_1380クレジット 

   

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