終末世界の過ごし方_19 防衛戦

 古代ギリシアは都市国家ポリスの時代、成人男子はすべからく兵役の義務を負っていた。武具を自弁できる層を重装歩兵ポプリーテスと呼び、彼らこそが戦争における主力であると同時に、民会において発言力を持つ有力市民であった。


 時と場所は違えど、一定以上の財産を持つ一家の主が危急の際、防衛の義務を負っている居留地は少なくない。


 とは言え、実際に居留地ポレシャに何丁の使える銃があるかは、居住者たちにもよく分かっていない。なにしろ許可証もいらない。ポレシャにおいても成人男子及び一部の女子には民兵の義務があって、居留地のすぐ外にはゾンビや変異獣ミュータント、野生動物に巨大化した昆虫が群れなして彷徨っている。農家などでは、一家全員分の銃やクロスボウを買い揃えている一家も珍しくなかった。


 しかし、一方で居住区における民兵の集結は、遅々として進まなかった。腰のホルスターにぶら下げるも十年も使わない旧式の拳銃。壁に飾られて、偶に狩猟に使われるも普段は埃を被っている狩猟用ライフル。居留地防衛の言い訳程度に行商人から購入したきり、棚に仕舞い込まれた安価なミニエー銃と弾薬。いざという時にすぐ持ち出せる場所に置かれてはいたものの、しけった火薬による不発から、油切れや錆びによる可動部の作動不良まで、メンテナンスを怠っていたために戦力化できない民兵も続発していた。


 それでも三十人程度は使える人数がすぐに集結したし、各々が二十発から三十発程度の弾薬を携えて防壁の上や見張り塔から狙い撃てば、数十からのゾンビの集団や餓えた有角犬ホーンヘッドドッグの群れでも撃退できるよう防衛計画は練られていた。


「入り込まれた!入り込まれた!」

 町はずれから防壁まで街路を走ってきたカーキ色の制服の伝令が叫んでいる。

「北口が突破されたぞ!まだ戦闘中だが、雪崩れ込んできてる!もうここに来るぞ!」

 防壁の上で保安官助手が指図する。

「閉めろ!閉めろ!」

 防壁の出入り口の真横で鉄板で窓を塞いだバスが動き出した。


 指示を聞いて絶望的な顔をしたのは、防壁のかなり手前。なぜか嫌がる牛を宥めすかしてここまで引っ張ってきた老農夫だった。

「ちょっと待って!入れてくれ!」

 今も防壁内に避難しようとしている女子供やら家畜の群れが、入り口へと飛び込んでは、安堵のため息を漏らしている。

「早くしろ。早く……此処までだ!」

 保安官助手の叫びに、人の流れが止まった。

「下がれ!!潰されるぞ!」

 近くにいた男に腕を引っ張られ、老農夫が絶望の呻きを漏らした。

 間に合わない。バスによって入り口が封鎖された。


 途中見つけた他の子供たちと合流しつつ、ニナと路地裏の王女さまは防壁までやってきたが、出入り口は封鎖されてしまった。やはり泣いてた子を慰めたり、逸れてた子の家族や家を探したりして時間を浪費したのが良くなかったのだろう。


「ええ!?子供!」出入り口を固めてた傭兵たちだが、ぞろぞろとやってきた十人ほどの子供集団に気づくと驚愕の叫びを上げた。

「子供来た!子供!」防壁の上に立ってる傭兵が内側に向かって叫んでると、野太い怒鳴り声が返ってきた。

「引っ張り上げろぉ!」

「違う!沢山!十人以上来てる!」傭兵が叫ぶと、また怒鳴り声が返ってくる。

「梯子ぉ!」

 防壁の上の傭兵が防壁から引っ込んで、また姿を見せると梯子を卸してきた。

「昇れ!昇れ!もう!」防壁の上の傭兵が叫んでると、装甲バスの前に立った傭兵も叫び出した。

「蟻来た!来てる!」街路の向こう側では、黒い影がチラチラと蠢いていた。

「ちょっと時間稼いで来い!もう弾使い切っていいから!」門の上の傭兵が叫び返して、子供を引き上げてる。

 ニナはちょっと感動した。生まれ育った廃墟での経験や、短いとは言え旅で色々と見聞してなかったら、世界が優しい人ばかりと誤解してたかもしれない程に心打たれた。

(いい人たちだなぁ。傭兵なのに)

「早く昇る!」感動して鼻を啜ってたら傭兵に怒られた。

 確かに後方からは怒鳴り声混じりに発砲音が聞こえてくる。命がけで時間を稼いでる人がいるのだ。ニナが昇り、最後に路地裏の王女さまが昇ったのを見て、しかし、遅れてやってきた他の避難者たちも子供だけでも防壁に入れようと防壁に近寄ってきた。同時に、農夫などは姿を消していた。多分、そこら辺の裏路地なり、廃墟の一室へと逃げ込んだようだ。巨大蟻に見つかる前に警備兵が怪物を駆逐、或いは撃退してくれることを祈りながら、隠れ潜んでいるに違いない。放された牛が悲しげに間延びした鳴き声を上げていた。


「もう一つ梯子ぉ!それとカバー!」防壁を守る傭兵が内側へと叫んだ。

「カバー?!」近場から返ってくる確認の叫び声。無線機発明の以前、大声が軍人の条件とされた時代へ逆行したかのように傭兵たちは大声で返答しあっていた。

「カバー!!」防壁を守る傭兵が怒鳴り声を上げた直後、駆け寄ってきた別の傭兵が狩猟用ライフルで近づいてくる蟻を慎重に狙い、発砲した。働き蟻だったからか。幸いにも一撃で沈黙し、援護している傭兵が、ぷうっと息を吐いた。

「弾切れそう!あと十二発!」援護の傭兵が報告する。

「なんとか持たせろ!」と防壁を守ってた傭兵が無茶ぶりを押し付けながら、数分で運ばれてきた梯子を防壁内側から引っ張り上げて、防壁の外側に下ろしてくる。

 こうしている間にも援護の傭兵も発砲しているが、街路に見える蟻の数が増えてきている。加えて、でかい蟻には分厚い外殻で銃弾さえ弾く奴もいて、狩猟用ライフルの一発や二発では倒せそうにない。

「降りろ!ゆっくりと!」登ってきた子供たちに指示して防壁内部へと誘導していく傭兵だが、居住区の南側から民兵が駆けつけてきた。

「南突破されそう!ヤバイ!」

「ええ?」と傭兵が目を剝いた。

 ポレシャも無線機は持たない為、戦闘中の情報伝達にも時間が掛かった。

 それでも長く雇われている分、意思疎通に齟齬を来たす事はない。

「防壁越えられた!蟻の体が梯子みたいになって!何匹か、こっち来るかも!」

 民兵が喚いている。巨大蟻相手に降伏は有り得ず、逃亡すれば今の暮らしも地位も全てを失ってしまう。故に報告を聞いても傭兵たちは士気を崩壊させなかったが、互いに切羽詰まって喚いてる。

「蟻が?!」

「蟻が!」




 北口の戦いにおいて、壁外の住人たちはかなり奮戦していた。木柵はあっさりと突破されるだろうとマギーは予想していたが、壁外の住人たちはまず蟻どもを近寄らせようともしなかった。接近してきた蟻には矢玉が集中したし、木柵に喰いついた蟻には棍棒の打撃や槍での刺突を雨あられのように浴びせた。


 巨大蟻と言っても、大半は働き蟻で外殻はそこまで厚くも硬くもなく、体長も精々一メートル半と大きくはない。火縄銃にでかい穴を開けられて動かなくなる蟻に、弓矢やクロスボウでハリネズミのようになった蟻、棍棒の打撃に崩れ落ちる蟻も珍しくなく、近寄ってきた大型の兵隊蟻なども、集中砲火に触角を吹き飛ばされ、狂ったようにその場でぐるぐると廻り始める有様だった。


 結果として、木柵の前には十数匹もの巨大蟻の死骸が積み上がったが、働き蟻は兎も角、兵隊蟻やより大型の戦士蟻を相手取るには相当の弾薬を消耗せざるを得ないし、仕留めるには時間もかかる。一匹、二匹と、徐々に仕留めきれない大型の蟻がしぶとくも動き続け、遂に巨大というにも恐ろしい戦士蟻が四匹同時、降り注ぐ弾雨をものともせずに木柵へと喰らいついた。


 かなり頑強であったが、既に幾度となく大型蟻の顎に食らいつかれていた木柵は、ばきばきと音を立てながら、いっそ呆気ないくらいあっさりと噛み砕かれてしまった。

「退却!防壁に逃げ込め!無理なら、高い所へと昇れェ!」

 響いた鋭い声に何人が言うとおりに動けたか。迫ってくる戦士蟻へと焦って棍棒で殴りかかった渡り人オーキーの一人が、ただの一撃。腹から真っ二つに切断され、臓腑を撒き散らしながら地面へと転がった。地面に落ちて不気味に痙攣を繰り返すも、巨大蟻が通り過ぎた時には既に絶命している。


 悲鳴と怒りの声が上がった。人間ほどもある巨大なコンクリートの瓦礫を盾に、なおも抵抗を続けるものもいれば、背を向けて逃げ出すもの。ただ無我夢中で撃ち続けるもの。素早く廃屋や障害物、木箱や樽の影に隠れるもの。それら全てを踏みつぶそうとでもするかのように恐ろしい数の巨大蟻が北口から濁流のように雪崩れ込んできた。



 ニナの眼前では、沢山の思い出がある広場で何匹もの巨大が這いまわっていた。

 他の子たちも防壁の上で呆然と佇んでいる。南側の防壁が突破されて、今も巨大蟻が流れ込んできているのだろう。南の路地から、一匹、また一匹と蟻が這い出てきては広場の遊具や屋台の上を好き勝手に歩き回っていた。


 子供の一人がわんわんと泣き出した。

「泣くな!奴らは子供の泣き声で寄ってくる!」

 比較的に年上の子が慌てて泣いた子供の口を塞いだ。

「大丈夫、大丈夫だから」

 幼子二人がニナの服の裾を掴む手も震えていたが、それでも気丈にも耐えているのは、曠野での生活を体験していた故だろうか。


 二人の傭兵と彼らが守る子供たちは、今や前後から迫る巨大蟻に挟まれていた。

 防壁を守る傭兵が苛々と指を噛んでいた。他の子供たちも今にも泣きそうだ。

 援護の傭兵も今は撃つのをやめて天を仰いでいた。手には最後の弾薬クリップ5発が握られている。

 防壁を守っていた傭兵がため息をついてから、広場の西側に聳え立つ大きい建物を指さした。

「分かるか?中へ逃げ込め。頑丈な建物だ。

 集会所。分かる?あそこ議会!行け。鉄の扉があるから」

 路地裏の王女が頷いた。

 小さくうなずいた傭兵がそれから手を振って、居住区の広場の方へと叫んでる。

「女子供!ぎーかーい!」

 保安官事務所の屋上から、単身で頑張ってる誰かが手を上げた。

「保安官の許可がでた!マイク!お前!この子らについて行ってやれ!」

 防壁を守っていた傭兵が支持を出すと、援護の傭兵が先に降りて子供たちを一人、二人と地面におろしていく。

(あーあ……ヤバい。この人たち好きだな。死んで欲しくない)

 ニナは俯きながら、自分と他人の死について考えていた。




 路地裏へと殺到した蟻どもは残された人々。乏しい財産や家を放置できなかったり、親しいものと逸れて探していた哀れで愚かな人々へと容赦なく襲い掛かった。


 真っ二つになった我が子の上半身を抱えて、未亡人が地面にへたり込んでいる。逃げるように懇願しながら知人の男性が手を引っ張ってるが、若い後家はあらぬ方向を見ながら、脱力したように動かない。なおも助けようとする知人も背後から襲い掛かってきた蟻の顎に胸を貫かれる。歯を食いしばって振り返り、肉包丁を振り上げる知人だが、力尽きて崩れ落ちた。守るものがいなくなった獲物へと蟻が殺到し、子供の亡骸もろともに哀れな未亡人を肉団子へと加工していった。


 だが、恐るべき捕食者である巨大蟻どもも、けして一方的に殺戮を欲しいままにしている訳ではなかった。


 怒りの声を上げた民兵が獲物へと群がる巨大蟻共に近づいて、二連式のショットガンを間近でぶっ放した。溜まらずに兵隊蟻が仰け反り、のたうち回りながらも反転し、報復しようと試みるが襲撃者は既に離れていた。

「近寄るな!降りるな!連中、意外と早い!」

 蟻のすぐに昇ってこれない廃墟の屋根や、瓦礫の山の上。或いは動き回って距離を取りながら戦っている民兵たちと巨大蟻の戦闘は、既に路地裏だけでなく天幕や木造小屋の並んでいる防壁近くの一帯まで拡大しつつあった。

「高い所から近づいた奴を撃て!」「弾かれる!」

 大型蟻は愚か、働き蟻でさえ、角度によっては小口径弾やエアライフルを防いでしまう。そしてなにより数が多い。兎に角、数の多さが厄介で恐ろしい巨大蟻だが、それでも高所に陣取りながら未だに抗戦している者たちも多く、動き回る巨大蟻共にじわじわと犠牲を強いていた。


 この状況では何もできないがマギーも路地裏に残されていた。家にニナがいないことは確かめていた。もし防壁内部に避難しているなら、それはそれでいい。万が一、残っていた場合に備えて辺りを探していたが、その際に逃げ遅れた。とは言え、生き残れる手立てと目算は幾らか見繕った上の行動で、今も無傷で生き残っている。


 ねぐらの周りのみならず、入ってもよい居留地中の至るところに逃げ道を設置しておくのがニナの癖だった。ちょっとしたところにロープを設置したり、木の板を置いたり、それはもちろん、追跡者なども使えるだろうが、巨大蟻から連中の手の届かない高所に逃れるには絶好の仕掛けだった。

(……あの子の仕組みは役に立つ。頭のいい子だ。もう少しすれば、きっと一人でも生きていける)

 ポレシャに越してきて半年を越えている。ニナは、居留地内で昇りやすい瓦礫や逃げ道に使える廃墟などを幾つか見つけていた。四足獣には踏み台に出来ず、手足を持つ人間であれば容易く昇れるような高い瓦礫も近所に確保してある。


 ビルの壁面だったと思しきコンクリートの高い位置に陣取って、街路を這いまわる蟻たちの様子をマギーは眺めている。今は足元に三匹。ガチガチと顎を鳴らしながら、マギーを見上げていた。働き蟻とは言え、三匹相手となるとマギーも何もできない。俗に言う、蟻の這い出る隙間もないと言う奴だ、とマギーは苦笑した。

「追い詰められた、か……これ、どうしようもないな」ぼやいている。


 戦っていた者たちは流石というべきか、殆んどが素早く高い位置に昇るか、防壁に向けて撤退しており、或いは近場の廃墟のいずれかへと逃げ込んでいった。犠牲者もほぼ出なかったようだが、一方で事情があって逃げなかった者たちや手近な廃屋や瓦礫に隠れるだけだった者は次々と犠牲になっており、そのたびに怒りの声や断末魔の叫びが上がっている。しかし、戦っている者たちの矢玉もいずれ払底するし、蟻共の応援は次から次へとやってきて、群がる仲間を梯子にしながら、より高い位置まで這い上がってくるに違いない。勿論、マギーのいる瓦礫の位置も、重なれば蟻どもは余裕で登ってくるだろう。その時がマギーの最後だった。巨大蟻の襲撃においては、何処にいようが危険は変わらないと踏んでいたが、いささか判断を誤ってしまった。マギーの顔色もよろしくはない。


「小さい奴を狙え!大型には通用しない!」「でかいのは警備兵たちに任せろ!数を減らすんだ!」死が避けられない状況においても尚、民兵や義勇兵たちは勇敢に戦い続けている。いまだに高い士気を維持していることにマギーはいささか驚いていた。


「守りたいものを持つ人間は強いな」とマギーは呟いた。人によっては、確かにポレシャは守る価値がある場所かも知れない。一山幾らの渡り人オーキーが人がましく扱われる居留地は滅多になく、加えてそれなり以上の金を稼げる場所はもっと少ない。ささやかとは言え、財産と蓄えを得た彼ら。例え天幕や小屋だとしても、もしかしたら家を持てるかもしれないと言う希望は、彼らにとって命を懸けるに値するものなのだろうか。


 マギーには命の方が大事だった。自分の命。そしてニナの命。その二つ以外のものを抱え込むにはマギーの手は短すぎた。他人を助けるどころか現状、自分の身すら危うい。出来れば、ニナともっと生きていたいものだと思う。


 流石にコンクリートの足場は、短時間では削られないし、梯子状態になって昇ってくる恐れも今はまだ低い。

(……今は、兎に角、此処で大人しく待つしかないか)

 瓦礫にしがみ付いたまま、しかし、打てる手もなくマギーは追い詰められていた。 


 『ポレシャ』居留地で一定の財産を持つ一家の主たちは、居留地防衛のために武装を整える義務を負っている。彼らが民兵として総動員されれば、五十名から六十名にもなるだろう。これは地の利を活かして抵抗するならば、略奪者レイダーすら対決を躊躇う程の戦力で、巨大蟻の大群が相手でも、そうそうに引けは取らないと踏んでいた。実際に防壁の中央からは複数の発砲音が尽きる事無く、響いてきている。

 それでも、この勢いのままに巨大蟻の流入が止まらないのであれば……

(……蟻の戦力を読み違えたか?下手すると、これ、押し切られるぞ)

 乱れる髪をかき上げて、マギーは防壁の方を眺めた。巨大蟻が群がりながら防壁を突破していた。





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