第29話 12日目(水) 有紀の両親との顔合わせ①

「なぁ、本当に正装しなくてよかったのか?」

「大丈夫ですよ」

「有紀がそう言うならいいけど、一応顔合わせなわけだし、ちゃんとした格好をした方が良かったんじゃないのか?」


 今日は約束していた有紀のご両親との顔合わせの日だった。

 にも関わらず、俺はいつもと同じようなラフな服装だった。

 スーツを着てしっかりと決めようと思っていたのだが、有紀に止められてこの格好になった。


「いいのですよ。今日はただの顔合わせですから。もし、私と櫂君が結婚をするとなったら、その時は正装でお願いします」

 そう言って有紀は微笑むと俺の手を握ってきた。


「私一人だけ櫂君と結婚したら彩海ちゃんとアリスちゃんが怒っちゃいますからね。なので、もし私たちのうちの誰かと結婚するときは他の二人とも結婚してくださいね?」

「それを決めるのは俺じゃないだろ。俺が三人とこの先も一緒にいたいと思っていても、三人がそうじゃないかも……」

「それ以上言うと怒りますよ」

 有紀は人差し指を俺の口に当てて言葉を止めた。


「私たちは櫂君のことを愛しているから一緒にいるのです。そうじゃなかったら、私たちはとっくに櫂君の側から離れていますよ。なので、後は櫂君次第ということです。私たちはいつまでも櫂君と一緒にいる決意があるということをお忘れなく」

「そっか」

「はい」

「さて、着きましたよ。ここです」

「ここが有紀の実家……」


 目の前には立派な門があり、表札に「天笠」と書いてある。

 確かにこの家は有紀の実家なのだろう。

(おじいちゃんの道場が何個入るんだろうか?)

 予想していた何倍もの大きさに俺は圧倒されていた。 

 有紀が呼び鈴を鳴らした。


「私です」

「有紀お嬢様。おかえりなさいませ。ただいまお開けします」

 湊さんの声だった。

 湊さんがそう言った数秒後に立派な門が自動で開いた。


「さ、行きましょう」

 有紀に手を引かれ、俺は敷地内に入った。

 まるで漫画やアニメに出てくるお嬢様が住んでいるような家だった。

 レンガ造りの道が家まで続いていた。


「凄い立派な家だな」

「ふふ、ありがとうございます」

「右のあれは薔薇か?」

「そうです。母がお花好きなのでいろんなお花を育てています」

「そうなんだな」

「たぶん後で母が案内すると思います」

「それは楽しみだな」

「ふふ、意外と緊張されてないのですね」

「いや、結構してるぞ?」

「そうなのですか? 私にはまったく緊張していないように見えますけどね?」


 実際かなり緊張していた。

 今にも心臓が口から飛び出しそうなくらいに。

 けど、俺は必死にいつも通りを装っていた。

 有紀のご両親との初顔合わせで変なことは出来ないし、言えない。


「必死にいつも通りを装ってるからな」

「そうなのですね」

 不意に有紀が立ち止まった。


「有紀?」

「私も実はかなり緊張していますよ」

 そう言って有紀は俺の顔を抱き寄せた。

 有紀の心臓の音が聞こえる。

 有紀の平常時の心音を知っているわけではないが、今の心音が早いのは分かる。


「聞こえますか? 私の心音」

「聞こえる。早いな」

「私も緊張していますからね」

「それこそ意外なんだが? 有紀は緊張してないと思ってた」

「緊張するに決まっているじゃないですか」

「そっか」


 有紀が緊張しているということを知って、少しだけ俺の緊張は和らいだ。 

「こほん。お二人ともいつまでそうしているつもりですか?」

「湊さん!?」

「お迎えにあがりました。有紀お嬢様」

「もう、ビックリしたじゃないですか。こっそりと近寄らないでくださいよ!」


 いつの間にか湊さんが側に立っていた。

 まったく足音がしなかったので気が付かなかった。

 有紀は顔を真っ赤にして頬を膨らませた。


「普通に声をかけてくださいよ!」

「お二人がイチャイチャしているのにお邪魔しては悪いと思いまして」

「ど、どこから見ていたんですか!?」

「有紀お嬢様が櫂様のことを抱き寄せるところからですかね」

「うぅ……恥ずかしい」


 さっきとは逆で今度は有紀が俺の胸に顔を埋めた。

 そんな有紀のことを見て湊さんは悪戯っ子のように笑っている。

 これがこの二人の距離感なのだろう。

 まるで姉妹のようだった。


「さ、有紀お嬢様。恥ずかしがってないで中に入りますよ。旦那様と奥様がお待ちですから」

「誰のせいでこうなっていると……!」

「自分のせいでは?」

「そうですけど……」

 湊はニヤニヤと笑って有紀のことを見ていた。


「お二人は仲が良いんですね」

「そうですね。私は有紀お嬢様が生まれた時からお世話をしていますからね」

「そうなんですね」

「小さい頃の有紀お嬢様はとても大人しい子で、自分から男の人を抱き寄せるなんて絶対にしないようなタイプでしたよ」

「湊さん!? それ以上は言うの禁止です!」

「あはは、だそうなので、有紀お嬢様の昔話は有紀お嬢様から直接聞いてください」

「有紀の子供時代気になるな」

「櫂君が知りたいというなら、お教えしますけど……その代わり、櫂君の小さい頃のことを教えてください。それが条件です」

「俺の子供の頃の話なんて聞いても面白くないぞ?」

「教えてくれないのなら私も言いません」

「分かったよ。家に帰ったら話すから」

「なら、お教えします」


 俺と有紀がそんなやり取りをしていると湊さんが「お二人こそ、仲がよろしいようで」と言った。


「有紀お嬢様がこんなにも心を開かれているとは、どうかこれからも有紀お嬢様のことをよろしくお願いしますね。櫂様」

「あ、はい。こちらこそよろしくお願いします」

「それでは今度こそ行きましょうか。早くしないと私が旦那様と奥様に怒られてしまいます」

「湊さんなんて怒られてしまえばいいのです」

「いいんですか? そういうことを言ってると有紀お嬢様が昔は泣き虫だったことをバラしますよ?」

「もうバラしているじゃないですか!? か、櫂君、今のは聞かなかったことにしてください!」

「有紀が昔は泣き虫だったってことをか?」


 なんだか二人のやり取りが羨ましくて有紀のことをからかいたくなってしまった。

「櫂様も悪い人ですね~」

「なんだか目覚めそうです」

「それはいい目覚めだと思いますよ。有紀お嬢様はからかわれてこそ可愛さを発揮しますから」

「からかわなくても可愛いと思いますけど」

「確かにそうですね」


 俺と湊さんは頷き合った。 

 たったそれだけの会話で俺は湊さんと意気投合した。


「もぅ! 二人して私のことをからかっていますよね!? やめてくださいよ!」

「だって、有紀が可愛いから」

「有紀お嬢様が可愛いから仕方なく」

「可愛いと言えば許されると思っていませんか!?」

「許してくれないのか?」

 俺は真っ直ぐ有紀の目を見つめて言った。


「それは……櫂君だけ許してあげます」

「有紀お嬢様それはひどくありませんか? 私も有紀お嬢様のことを愛しているというのに。有紀お嬢様がお漏らしをした時に変えてあげたの誰だと思ってるんですか?」

「湊さん!?」

 有紀はこれでもかというくらいの大きな声を出した。


「すみません。からかいすぎました。つい、有紀お嬢様がようやく櫂様をお連れしたのでテンションが上がってしまっていました」

「今回は許してあげますけど、次はないですからね!?」

「ありがとうございます」

 湊さんは微笑んで有紀に向かって頭を下げると俺たちを先導するように歩き始めた。


「行きますよ。櫂君」

 そう言って俺の腕に抱き着いてきた有紀と一緒に湊さんの後ろをついていった。


☆☆☆

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