第5話(全7話)

 世界に、弓良ゆらの可愛らしいくしゃみが木霊した。


 パンッ!――となにかが弾ける音がした。


 すると、今ある世界は呆気なく崩壊して、消えた。


 その瞬間は、まるで空気の詰まった風船に針を刺したかのようだった。


 さっきまでゆらがいた学校は、もう跡形もない。彼女が立っている場所は、どこかの大通りだ。


「う……」


 ゆらは硬直している。無理もない。彼女は現実を受け止め切れないでいた。

 ただし、この場合の現実とは、見慣れた世界が消えてしまったことを指していない。

 遅刻が確定したという、自称勤勉な学生にとっての致命的な事実。

 少女が嘆いているのは、ただその一点だ。


「うう~! ああ~!!」


 ゆらは耐え難い現状に頭を掻きむしって抵抗している。


 頑張れ、ゆら。

 起こってしまった事実はもう変えられない。


 行き交う人々の姿は、獣と人が混じったような不思議な外見で、往来のど真ん中で立ち尽くしている少女を迷惑そうに避けながら、それぞれの目的地へと向かっていく。


「……あれ? ゆらじゃないか。さっきぶりだね」


 忘れ物? と気軽に声をかけてくる謎の人物に、ゆらが視線を向けると、そこには黒色の体毛の猫っぽい――人っぽい――が服を着て、二足歩行で立っていた。


 ゆらは彼の姿を認めると、ずかずかと大股で近づき、その両頬を摘まんで、ぐにぐにと強く引っ張った。


「ま・ふ・た・ろ~! 私を呼んだの、あんたでしょ!!」

「し、しらにゃい! しらにゃい!!」


 まふたろ~と呼ばれた人猫は、激しい抵抗を見せて、ゆらはしぶしぶ手を離した。


「はん。状況がわかったぞ……」


 少女に強く摘ままれた頬をさすりながら、人猫は、ゆらの態度と格好から、状況を推測した。


「……君は、僕と別れてから即誰かに呼び出されたな? だから、室内履きで外に出る間抜けっぷりを晒しているんだね?」

「まふたろ~……。あのね――」


 人猫に、びしっと指を突き付けて、ゆらは宣言する。


「今の地球では、外で上履きを履くのが流行っているの」

「流行は一人じゃ成り立たないよ。さあ、君を呼び出した人物を探しにいこうか。せっかくだから、僕も手伝うよ」


 このやろ~……とゆらは歯ぎしりするも、正直、今は疲れている。寝不足だし、また呼び出されたし。

 ここは素直に彼の好意に甘えることにした。


「……ありがとう。ミスターX」


 ゆらは、ぼそりと人猫の本来の名前を口にした。


 それを耳にした人猫――ミスターXは、嬉しそうにひげをぴくぴくと震わせて、尻尾を左右に振ると、感情を隠さずにゆらに言った。


「ずいぶんと心がまいっているみたいだね。いやはや、しおらしい君は可愛らしいと思うよ。……なのに、残念だ」


 ゆらはミスターXの物言いに牙をむいた。


「は? 残念がる要素どこにも無いでしょ? やっぱり、あんたは、まふたろ~の方が似合ってるって。生意気だし」


 いつもの調子に戻ったことを察したミスターXは、ふっと笑うと、ゆらに向き直った。


「さあ、準備はいいかい? さっさと解決して、家に帰ろう。学校が君を待っているよ!」

「まふたろ~……史上最低の発破掛けだよ。それ」

「急いで損はない。急げば急ぐほど、出席できる授業が増えるからね」

「もう遅刻確定だし。授業とかどうでもいいし」

「まあ、そういうことは、帰ってから、うじうじ悩んでくれ」


 ミスターX――もとい、まふたろ~が歩みを進める。どうやら、目的の場所は、既に彼の中に明確に存在するようだ。


 慌てて、ゆらは彼を追う。


 やがて、二人の姿は人の波に消えてしまった。

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