12

 あの後、北川と山下は別々にパトカーに乗せられ警察署へと送られた。

 それが俺が見た北川と山下の最後の姿だった。

 事件発生から五日後、警察は実行犯二人と共犯一人を逮捕したと発表した。言うまでもなく、二人とは山下成海と加藤愛梨のことであり、共犯は川上のことだ。この三人はただちに退学となり、計画のことを知らず事務室から鍵を盗んだ林ら三人は逮捕されなかったが、同じく自主退学した。

 もちろん北川は無実だった。分かりきったことだ。俺はいつか北川が立ち直ってくれると信じ、何度か電話を入れたが、北川は一度も出ることはなく、後に担任から自主退学したことを告げられた。あんなに楽しく青春を謳歌していた四組の教室からは学園祭後、六人もの人間が消えた。


 *


 放課後、俺は一人教室の席に座り、ぼんやりとしていた。

 退学した六人の席を見る。あの騒がしい連中は呆気なく消えてしまった。そして、北川も。

 一緒に買い出しに行き、学校への不満を並べ立てた放課後。

 好きな女の子を紹介したり、運動が苦手な俺に無茶振りをして来たり、ロクな思い出ではないが、楽しくて輝いていた俺たちの青春の一ページ。もう戻らないあの日々。

 そんな感傷に浸っていると、

「おや、敬介くん。まだいたのかい」

 遥がやって来た。事件のことなど忘れてしまったかのように、楽しそうに振る舞っている。いや忘れる訳などない。

「見晴らしが良くなったんじゃない?」

「ああ、だいぶ教室が広くなったよ。風通しも抜群だ」

 こんなに虚しいはずなのに、なぜこんなにすらすらと、自分の口から冗談が出てくるのか分からなかった。遥がやって来ていつもの調子に戻ったのか、空元気でも出そうとしているのか、それとももう全部どうでもいのか。

「寂しそうね。私が四組にクラス替えしてあげようか?」

「そりゃいいな。でも授業中の居眠りがバレるぞ」

「そっか、じゃあやめとく」

 遥は俺の隣にリュックを置くと、テスト中の試験官のように教室を眺めてうろうろする。

「どうすれば良かったんだろうな」

 俺が呟くと遥は首を振る。

「学園祭なんてなければ良かったとか思ってるの? 全く楽しくなかった?」

「ああ、そうだ。確かにそれまでは退屈な日々だった。だけど鈴木先生の死とこの有様を代償にしてまで求めるものじゃない。だったら退屈な方が良かったんだ。そうだ! 学園祭なんてやらなかったら、北川は山下さんと出会うこともなかったんだ!」

 俺は声を荒げる。果たしてこの気持ちをぶつける相手が遥でいいのか、そんなことは考えもしなかった。

「そうね。残念ながら今後も引き続き、放課後は私と過ごすことになりそうね」

「望むところだ。……いや、違う。俺はそれでいいんだ、お前といるのは楽しい。違う違う、俺はそんな偉そうなことが言いたいんじゃない。遥がいて、北川たちがいて、そんな退屈で楽しい日常……」

 言いたいことが伝わらない。何かもっといい言葉を思い付きたかったが何も出てこない。遥を傷付けてしまったかもしれないという罪悪感が込み上げる。

 遥は黙ってこちらを見つめる。怒ってはいないのか。それとも呆れているのか。


 *


「やあ、しばらくだな」

 背後からあのよく通る低音が聞こえた。

「お疲れ様です。桜木警部」

 遥が挨拶すると、桜木警部は教室に入り改まって俺たちに頭を下げた。

「今回のこと、君たちには失礼な言動を繰り返した上、事件解決まで任せてしまった。本当にすまない。そして本当に感謝している。どうもありがとう」

 あの日の遥のように深々と頭を下げている。

「桜木警部、頭を上げて下さい。事件を解決したのは私ではなく警察の方々ですよ。それに私も生意気言い過ぎました」

 桜木警部は頭を上げる。

「いや、気にすることはない。若者はあれくらい血気盛んな方がちょうどいいよ」

 笑って言ったが、すぐに警部はしまった! という顔をした。

 今回の事件はその血気盛んな若者の未熟さゆえに起きた事件なのだ。誤魔化すように警部は咳払いをする。

「何はともあれ、柊くん、そして津田くん。君たちは今回の事件解決に大きく貢献した。感謝しても仕切れんよ」

 俺は驚いた。俺は事件解決に何も貢献していない。ただ遥にくっついていただけなのだ。

「名探偵、柊遥。そんな称号が相応しいだろう」

 警部は遥に惜しみない賞賛を送った。すると遥は窓際に寄って俺と警部に背を向ける。

「もし」

 遥は空を見ながら言う。

「もし、私が名探偵の称号を捨てて、全てをやり直せるなら喜んでそうします」

「……そうか。私の勘違いだったら許して欲しいのだが柊くん、君たちは決して何も悪くないよ。気に病む必要はない。我々の力不足だ」

 そんなことはない。警察にだって出来ることは何もなかったはずだ。もうこれはそうなる運命だった。

 そう思うと悲しみの波が押し寄せて来た。俺たちに出来ることは何もなかったし、これからも何も出来ない。ただ、拳を握り、唇を噛み締めて耐えるしかない。闇雲に騒げば波に攫われる。先程の俺のように。

「柊くん。さっき君は全てやり直せるなら、と言ったね? 私も同じだ。もしこれまでの警察としての手柄全てを捨てて、彼らがやり直せるとしたら喜んでそうしよう」

 警部が力強く言うと、遥は振り返り、少し微笑んで言った。

「いつか神様がそのチャンスをくれたら、お互いそうしましょう」

「ああ、約束だ」


 *


「それじゃあ、そろそろ失礼するよ。邪魔したね」

 続いて警部は何か慰めの一言でも言おうとしたが、いいのが思い付かなかったようでそのまま廊下の奥へと消えた。

「遥、お前は凄いよ」

 俺は言った。この言葉に一切のお世辞や誇張などはなかった。本心からの賞賛だった。

「あら、知らなかったの? 私は凄いのよ」

 遥は得意そうに言う。そこにいつもの日常を感じた。

 やがて、どこからかフルートの音色が聞こえて来た。この近くで練習しているのだろう。とても綺麗でどこか切ないような気分になる。

「ラヴェルの『マ・メール・ロワ』ね。今のメロディーは『眠りの森の美女のパヴァーヌ』」

「詳しいんだな」

 モーリス・ラヴェル。前にも聞いた名前な気がする。

「京子ちゃんが練習してるの見て聞いたのよ。フルートアンサンブルでやるんだって」

「へえ」

 しばらく聞いていると、なんだか心がほぐれていくような心地がした。このメロディーがきっと桜木警部が言いたかった慰めの一言の代わりだろう。そんなことを考えた。

「さあ、せっかく音楽もあるんだし、優雅にお茶でもしましょ」

 そう言うと、遥は俺の隣に置いたリュックに手を突っ込む。すると中からはリプトンの紙パックのミルクティーが二つ出て来た。

「カフェオレじゃないんだな」

「今日は紅茶の気分なの。はいどうぞ」

 俺はミルティーを受け取り、ストローを刺して飲んだ。甘くて美味しい。学園祭で飲んだ紅茶を思い出す。やはり俺たちにとっての紅茶はこれだ。

「なんだ、こんな簡単に前みたいな放課後がやって来るなんてな」

 俺は少しホッとしていた。彼らのことは忘れない。だがそれをどこか禊のように思っていたからだ。今はとても心が軽い。

「ええ、そうよ。ぼーっとしてたら退屈なんてすぐそこに来てるわよ」

 遥は笑顔で紅茶を啜る。

「さあ、退屈に追いつかれないようにしなきゃね! 敬介、何か推理して欲しいことはない?」

 うーん、と俺は首を捻る。

「そういや、みんなが十一月の修学旅行はどうするんだろうって噂してるな」

「確かにそうね、京都だもの。美味しい抹茶ラテを飲まなきゃ」

「お前が好きな抹茶ラテはその辺の自販機で買えるだろ」

 聞いていないのか、遥は美味しそうに紅茶を啜り、「ここはイギリスかしら」などと言った。居心地の良い風景だった。

 そして俺たちは「マ・メール・ロワ」を聞きながら甘い紅茶を飲み、他愛のないことを話して、いつもの退屈な放課後に戻っていった。

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