修学旅行の秘密

1

「はいじゃあ、人数確認するぞー」

 貸切の観光バスに二年四組の担任である山田という男性教師の声が響く。誰も返事をすることはなく皆、級友とわいわい、はしゃいでいた。

「学園祭殺人事件」から二ヶ月が経った十一月中旬。皆が関西行き二泊三日の修学旅行中止を懸念していたが、学校行事の年間予定通りとなった。

 特にうちのクラスはあの事件の影響が大きかったので、修学旅行が決まった時は皆、喜びよりも学校側に気を使うような雰囲気があった。不謹慎ではないか、そう言っている者もいたが結局学年の皆が参加し、四組のバスでも楽しげな会話がそこ、ここで繰り広げられていた。

 今はサービスエリアでのトイレ休憩が終わり、生徒の人数確認が行われていた。この後、一向は初日の目的地である京都へ向かう。

「あれ、おい一人いねーぞ!」

 山田が皆に確認するように大声を出した。

 すると、前の方に座っていた女子生徒が控えめな声で、

「佐々木さんがいません」

 と言っているのが聞こえた。

 佐々木胡桃ささきくるみは俺と同じ四組の女子生徒だ。里見京子と同じ吹奏楽部でクラリネットを吹いている。

 女子生徒ということもあり、山田はそうか、と言うだけで黙ってしまった。それからすぐ佐々木はそそくさとバスに戻って来た。

「すいませーん、時間間違えましたー」

 佐々木はバス全体に謝るようにして、乗り込むと、キョロキョロと辺りを見回した。あれ、と小さく声を上げる。

 休憩前と座席にいるメンツが代わっているのだ。俺はトイレを済ましてすぐにバスに戻ったから知っていたが、皆、各々席を移動していた。佐々木と一緒に座ってたグループも散らばってしまったようでどこに座ろうか迷っているらしい。

 それに気が付き、他の女子生徒が慌てて佐々木の座るスペースを作ろうとしていたが、バスの発車時刻も迫っており、山田がそれを急かす。すると、余計に彼女らの手際が悪くなる。

 佐々木はいいよいいよ、と言い荷物を預けていた一人から受け取った。他の女子生徒はごめーんと、言い手を合わせる。

 そんな様子を見ていると、佐々木と目が合う。すると彼女は俺の隣が空いているのに気付き、こちらへやって来た。

「津田くーん、お隣失礼しまーす」

 そう言うと、彼女は俺の隣に座った。

「よし、全員そろったな。じゃあ出発するぞ」

 山田が佐々木の着席を確認すると、運転手に軽く頭を下げ、バスは動き出した。

「佐々木でーす。よろしくー」

 名前などとうに知っているのに佐々木は愛想良く言った。

「あ、うん」

「あ、なんで俺の隣なんだよって思ったでしょ!」

 佐々木は悪戯っ子のような笑みを浮かべる。

「いや、別に」

 そう言うと、佐々木はまあ、硬いこと言わずに、と俺の肩を叩いた。別に何も言っていない。

「誰の隣も空いてないからさ。誰かとお話ししてる方がいいじゃん」

 佐々木とは普段よく話す訳ではないが、誰とも気さくに接しているし、なんとなくだが我が従妹の柊遥に似ている部分、例えば時たまぼーっとしていたり、お気楽に構えていたりするところがあり、長時間隣にいられても苦ではないことが予想出来た。それに垂れ目で色白であり、ほんわかした雰囲気がなんだか親しみやすいような印象を受けた。

「あ、そう言えば佐々木。アンサンブルコンサート聴きに行ったよ!」

 俺は突然思い出して勢い込んで言った。

「え、マジ⁉︎」

 佐々木は予想外のことに驚いたようだった。


 このアンサンブルコンサートというのは、俺たちの地元で毎年十一月始め頃に開催されるアンサンブルのコンサートだ。

 吹奏楽部全員が乗る合奏ではなく、各楽器ごとに五分程度の曲を演奏するのがアンサンブルなのだが、このコンサートは各学校の吹奏楽部から二チームが参加することになっている。コンサートという名目だが、翌月に行われるアンサンブルコンテスト県大会の前哨戦という位置付けであり、ここで大体の学校の腕前を確認が行われるのだ。人によっては県大会の結果まで見えるそうだ。そのため、熱心なアマチュア吹奏楽ファンや気の早い審査員が聴きに来ることが多いらしい。

 我が南ケ丘高校からは打楽器六重奏と佐々木が参加するクラリネット八重奏が参加した。

 このコンサートには里見京子が俺と遥を誘ったので三人で聴きに行った。

 打楽器の演奏も聴き、他何チームかの演奏が終わり、佐々木たちの出番がやって来た。クラリネット八重奏が演奏するのはジャック・プレスの「結婚の踊り」という曲だった。

「佐々木さんはエスクラ(ソプラニーノクラリネット)をやるんですけど、凄いんですよ!」

 京子がそう興奮気味に語っていたのを覚えている。

 いよいよ、演奏が始まる。静かで緊張感に満ちた雰囲気で曲は始まった。見ると佐々木は何も演奏していない。どこが凄いのだろう、そう思っていると曲は急にアップテンポとなり、やがてそこに佐々木のエスクラが入る。

 それがもう本当に凄かった! いや、凄いという言葉だけで片付けるのは勿体ないあの衝撃! 激しく踊るような曲なのだが、佐々木の音色が最も光っていた。

 忙しなくキーを押さえる指が動く。しかしバタバタとしているような、あたふたした演奏ではなく、もうまさしく音色が自由自在に踊っているのだった。エキゾチックな曲調の中を踊り狂うエスクラリネット。奏者自身も楽しそうだった。

 エスクラの音が一番高いから目立つのだろうが、曲全体が佐々木胡桃のソロのようだった。それは他のメンバーの技術の高さもあるのだろうが、あのエスクラの迫力とインパクトは忘れられない。

 他にも上手いチームはあったが、佐々木たちの演奏は種類が全然違った。会場の観客はそれまでのチームの演奏は皆、鹿爪らしい顔で腕を組んで聴いていたのだが、佐々木たちの演奏には全員が放心し、エスクラのソロの部分では身を乗り出して聴く者や中にはあまりのことに笑っている者さえいた。あんな音の連なりをスラスラと吹いて、しかし決して単調ではない、強弱やアクセントをつけた聴かせる演奏なのだ。

 隣にいた遥も掌で口を抑えていた。会場内の緊張感が彼女にそんな行動を取らせたのだろう。それがなければ「すごーい!」などと大声を出して、演奏を台無しにしていたに違いない。

 これはこの後のチームが相当気の毒ではないか、俺はそんなことを思った。

 演奏後の会場は瞬く間に拍手で溢れ、しばらくざわつき、コンサートが終わった後のロビーでは、なんだあの子は⁉︎ と、「結婚の踊り」のエスクラ奏者の話題で持ちきりだった。もう帰ろうとする佐々木たちがケースに入った楽器を持ってロビーに出てくると、皆がそちらを向いて、ひそひそと話していた。無論、悪口ではなく賞賛の言葉をだ。

 もし会場で色紙とサインペンを売っていたら、それを買って彼女にサインをねだっただろう。それほど俺もこの時、興奮していた。あれはただの楽器の上手な学生ではなく、最早一人のアーティストだった。

 すると、そんな様子を見て京子は、

「ね、凄いでしょ!」

 と得意そうに言った。


「いや凄かったな! あれ、本当に感動したよ‼︎」

 俺はあの時の感情をようやく佐々木に伝えた。なので彼女が隣に来た時、俺は困惑よりもむしろ歓迎する気持ちの方が勝っていた。

「えー、嬉しいー!」

 佐々木は無邪気に喜び、えっへん、と腕を組んでいた。あの舞台に立ち、凄まじい演奏をしていたとは思えない。これがギャップというやつか。

「みんな絶賛してたよ! 音大行ってプロになった方がいいよ」

 俺は本心からそう言ったが佐々木は、ないないと掌を振った。

「クラを吹いてんのは楽しいけど仕事にしようとは思わないよ。それに私、ピアノ弾けないし」

「え! 弾けないのか?」

「うん。中学入ってクラリネット始めるまで音楽やったことなかったし」

 意外だった。てっきり小さい頃からピアノでも習っていると考えていたからだ。音楽素人が吹奏楽部に入って苦労するのを聞くことがあったからだ。それにしても、あそこまで上達するとは。

「中学で始めてあれか。凄いなぁ、才能あるんだな。だったらなおさら」

 そう言いかけたところで佐々木はまた掌を振る。

「私ぐらいの子なんて、いくらでもいるよー。あと、音楽は勉強するものじゃなくて楽しむものなの、私の場合。それに音大に行けるお金なんてないし」

 最後は切実な響きが感じられたので、この話はここで終いになった。その後、俺たちはバスに揺られながら、今まで俺と遥が出会ったり首を突っ込んだりした事件の話をしたり、京都では何が楽しみか、などを語り合っていた。

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