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 AEDを持って北川が戻って来ると、一緒に鈴木先生を仰向けにした。巨体で体重もあるので俺と遥の二人ではひっくり返すのが難しかったからだ。

 北川は鈴木先生にAEDを装着したが遥の指摘した通り、電気ショックは不要だという音声が流れたので俺と北川で交代して心臓マッサージを行った。

 その後、京子と共に男性教師が一人駆けつけた。遥が発見時の様子と鈴木先生の容態を伝えていると、救急隊が到着し担架で鈴木先生を運んで行った。後で聞いたが事情を察した別の教師が救急車に同乗したらしい。遥はしきりに索条痕について訴えたが結局、教師たちの判断により警察に通報することはなく病院からの連絡を待つことになった。

 結局、ビブリオバトルは中止となり俺たちは図書室で病院からの連絡を待つことにした。

 遥は所在なさげに図書室を歩き回り、椅子に座ったかと思えば、また歩き回るを繰り返していた。時々右手の人差し指をこめかみに押し付けている。彼女が考え事をする時の癖だ。

 一方、北川は放心状態で椅子に座り、俯きながらずっと膝の上で両手を組み合わせていた。京子と吉川と俺は言葉を発するのが憚られたので、そんな様子を眺めているしかなかった。そうしていると、救急車に同乗した教師から電話があった。図書室に残った教師はしばらく電話をしていたが終わったようで俺たちの元にやって来ると、しばし迷った後に、鈴木先生は搬送先の病院で死亡が確認されたと告げた。


 *


 夕方十五時過ぎ、搬送先の病院が事件性ありと判断し警察に通報。事件現場となった図書室には桜木修也さくらぎしゅうやという警部とその部下の刑事が二名、複数の鑑識を伴ってやって来た。他の生徒たちや来客には緊急の事態が発生したとして、学園祭を中止し帰宅を促した。

「それで図書室に入りしばらくはビブリオバトルとやらの準備をしていた。で君が、津田くんと言ったね? ベランダに出ると倒れている鈴木勲さんを見つけたんだね」

 桜木警部は低いがよく通る声でそう聞いた。実直そうだかどこか威圧的な雰囲気があった。決して強面ではない、むしろ顔立ちは整っている。だがそこは殺人を担当する人間だ。切長の目が鋭く俺の顔を捉える。尤もこの時点で殺人と断定された訳ではないのだが。

「はい」

 俺は桜木警部に気圧されながら答える。

「準備してる最中気付かなかったというが、ベランダには全く気を引かれなかったと? そして、どうしてベランダに出ようと思った?」

 すると、萎縮してる俺を見かねたのか遥が口を開いた。

「私たちは図書室内の準備中でした。時間も迫っていたので外に注意を向ける余裕はありませんでした。それに鈴木先生は倒れていたため、あの巨体でもベランダに出ないと気付きません。ご覧の通り、といっても今は鈴木先生の遺体はないので残念ながらお見せすることは出来ませんが、先生の倒れていた辺りの窓は本棚で下部分が見えなくなっています。図書室に入ってから遺体発見までに時間がかかっても不思議ではないと思いますが?

 それに敬介がベランダに出たのもただの気まぐれです。彼がそんな気を起こさなければ私たちは今頃、遺体のすぐ横で予定通りビブリオバトルをやっていたでしょう」

 桜木警部の視線が遥へと移る。鬱陶しく感じた表情だ。

「君の話は後で聞こう。今は第一発見者の彼に聞いてるんだ」

「私は彼に呼ばれてすぐに飛んで行きました。発見はほぼ彼と同じです。また鈴木先生の脈もとったし、索条痕も確認してます」

「索条痕……?」

 桜木警部は眉を顰めてそう言った。おい、と部下を呼びつけ何事かを確認すると遥に向き直った。

「確かにそのような痕があったようだな。君は……なんと言ったかな?」

「柊です、柊遥。ここの津田敬介くんの従妹です」

「柊くん。随分と熱心に遺体を観察してたんだな。その割に警察ではなく救急車を呼んだ」

「脈はなかったですが、助かる可能性も捨てることは出来ませんでしたから。救急車が来るまでに私たちに出来ることと言えば心臓マッサージと状況確認だけでした。現場保存も考えましたが鈴木先生の命が第一でしたので。この対処に何かご不満でしょうか?」

 遥は挑戦的に言った。俺はやめとけ、と小声で制する。

「いや、いいんだ。賢明な判断だよ。良くやってくれた」

 桜木警部は先程とは打って変わって俺たちを擁護するように言った。相手は高校生だと思い返したのだろう。

「でも結局、鈴木先生は……」

 北川が小さく言う。

「仕方ないよ。私も少々威圧的だったね、すまない。それにその時点では……それしか出来ないよ。君たちは何も悪くない」

 おそらく鈴木先生を発見した時にはもう手遅れだったと言いたかったのだろう。しかし北川の様子を見て、それを言うのはやめたようだ。

「えっと、そこの君たちは」

「里見京子です」

「吉川由紀です」

 桜木警部に聞かれて図書委員の二人は答える。

「さっき私たちをここに通してくれた先生に聞いたが、君らは図書委員らしいね。図書室の様子について、何か普段と違うところはなかったかい?」

 聞かれて二人は顔を見合わせる。しばらくして京子がおずおずと答えた。

「普段この時間は先生もいるし、図書室は開いてますが今日は鍵が閉まってました。でも学園祭期間中なのでビブリオバトルまでは閉めてていいと言われてたので。先生から開けるとも聞いてませんでしたからなんとも……。それに内装もビブリオバトル用にここ最近は若干変えてました。普段と机や椅子の配置は違いますが、それが異常事態かと聞かれたらそうではないと思います。遥ちゃん……柊さんの言ってたあそこの、本棚で下の部分が隠れた窓は普段と同じです」

 京子が問題の窓を指差した。ベランダでは鑑識官たちが作業をしている。俺が見た時、血痕など目立った異状はなかった。今は遺体もない。何か目新しい発見などあるのだろうか。

「そうか、じゃあドアが開いてるかどうかは一か八かといったところだったのか」

「いえ、どちらかというと私も吉川さんも失念してたと言った方が正確ですね。普段は開いてるのでそのつもりでいました」

「じゃあ、普段図書室を開ける時、鍵は事務室に取りに行くんだね? 今日はたまたま居合わせた、加藤という生徒が持ってきたみたいだが」

「はい。事務員さんに使いたい教室を伝えて名簿に名前と時間などを書いて借ります」

 京子はいくらか落ち着いて来たようだ。しゃべり方は普段と同じようだった。

「なるほど。それじゃあ遺体の側にいた君たち二人はどうだい? 何か気付いたことはあったかな? 近くに凶器のようなものがあったとか」

 桜木警部は俺と遥に向けて言った。当時の様子を思い浮かべるがこれといったものは見なかったと俺は言った。

「遺体の側に関して言えば特に私もないです。ただ凶器に関しては考えられるものが一つあります。桜木警部あそこを見てください」

 遥はそう言うと桜木警部の背後にある本棚を指差す。

「そこにケース入りの広辞苑があります。ケースの角のところが陥没しているのが分かりますか?」

 桜木警部は手袋を嵌めると広辞苑を取り出す。なんだ、警察の割に素人の推理に耳を傾けるんだな。そう思った。

「確かにあるな。これが最近出来たものかは分からんが。

 だが待てよ。君はさっき索条痕があったと言っていたな。だったら鈴木先生の死因は首を絞められたことによる絞死だろう? こいつの出番はあるのか?」

 ええ、と遥は答え立ち上がる。

「鈴木先生の首には索条痕がありました。しかし擦過傷はありませんでした。通常、絞殺死体の頸部には掻きむしった痕、いわゆる吉川線というものが見られると聞きます。これは首を圧迫されたことに対して抵抗したために出来る引っ掻き傷です。しかし、鈴木先生の首にそのような傷は見られなかった。ということは鈴木先生は首を絞められたにも関わらず抵抗をしていなかったことになります。それはなぜなのか? 答えは簡単です。先生は鈍器のようなもので頭部を殴られ気絶したために首を絞められても抵抗できなかったのです」

「へえ、よく知ってるじゃないか」

 そう言うと、桜木警部はにわかに微笑む。どうやら目の前の素人ホームズを試していたようだ。

「恐れ入ります。どうやら釈迦に説法だったようですね」

 すると桜木警部は再び部下を呼び付け警察医の見解はどうだと聞いた。すると部下はおよそ同じような内容ですと答えた。桜木警部はふむ、と言うと広辞苑を本棚に戻す。

「遺体の頭部にこいつで殴られた痕があるはずだ。それとこの角の潰れを照合してみてピッタリ合うまではなんとも言えんが。あとは首を絞めるの使った凶器だが……。いや、こんな話は君らの前ですることではなかったな」

 桜木警部が凶器についての談義を打ち切ろうとした時、再び遥が口を開いた。

「それは恐らくあれだと思います」

 遥は入口近くの観葉植物を指差した。

「これが首を絞めるのに使われたと言うのかい? ちょっと難しいと思うが」

「桜木警部。ここを見て下さい」

 遥は観葉植物に近づき、幹の一部を指差す。

「ご覧のようにこの植物はツルを伸ばしています。それがほら、ここにハサミで切ったような痕が見られます。恐らく犯人はこれで鈴木先生の首を絞めたと考えられます。みなさんが来られるまでに図書室を隅々まで探しましたが、残念ながら切られたツルは見つかりませんでした」

 遥が指差した場所にはスッパリとツルが切られたような痕が見られた。桜木警部もそこを見る。

「確かに刃物で切ったような痕だな。割と綺麗だ。いい着眼点だ。鑑識に見てもらうとするか」

 桜木警部はそう言うと、俺たちの方を振り返る。

「さて、物騒な話が続いてしまったね。最後にもう一つだけ聞かせて欲しい。とても大事な質問だ、どんな些細な情報でもいいんだ。君たち、鈴木先生にこんなことをした人物。つまり彼を殺害する動機を持った人物に心当たりはないかい?」

 俺たちは互いに顔を見合わせ首を振った。

「まあ、これは後々他の生徒や先生たちにも聞くから何か出てくるかもな」

「……いる訳ない」

 北川が小さく呟くと、桜木はそちらに目をやった。

「そんなやついる訳ない。あの鈴木先生を殺そうだなんて考えられない」

 北川の声は弱々しかったが床を見つめる目には、怒りのような強い意志を感じた。

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