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「長々とすまなかったね、どうもありがとう。もう帰ってもらって構わない。疲れてるだろう、しっかり休んでくれ」

 桜木警部の言葉で俺たちは十九時にようやく解放された。桜木警部は最初、あまり印象が良いとは言えなかったが、終始俺たちを気遣うところもあり、案外優しい一面もあることが分かった。解散の言葉にも俺たちへの労いが感じられた。

 吉川、京子、北川は疲れた様子でそのまま帰宅した。しかし遥は図書室の前で黙って何事か考えている様子だった。警察関係者はそれが目障りなようでしきりにこちらに視線を向ける。俺はこれ以上彼らの機嫌を損ねないよう、遥に行くぞ、と言い昇降口まで降りた。正直俺も疲れていたので早く帰りたかった。

 下駄箱から靴を取り出している間も、遥はこめかみに人差し指を当て、考え続けている。

「おい、これ以上学校にいると警察の迷惑だ。先生たちへの事情聴取もあるだろうしな。早く帰ろう。おばさんたちも心配してるだろ」

 そう言うと、遥はようやく口を開いた。

「図書室の状況的に見て衝動的犯行よね」

「あ、うんそうかもな。ちゃんと計画してたら図書室で武器なんか調達しないよ」

「ねえ、どうして犯人はツルだけ持ち去って、広辞苑は置いて行ったのかしら?」

「えっ」

「証拠隠滅のためなら広辞苑も持って行くはずよね?」

 俺は必死に考えを巡らせる。

「うーん、広辞苑なんか持ってたら目立つからじゃないか?」

「ツルだって目立つわよ。鈴木先生の首周りを考えたらツルは相当長いから服の中に隠すのも大変だと思うわ」

「気が動転してたんだよ。衝動的犯行なんだろ? よく分からない心理状態になってツルは持って帰ろうってなったんだよ」

 遥は腑に落ちてないようだった。

「気が動転して凶器を持ち去るっていうのは分かるわ。だったら……」

「だったら?」

「だったら広辞苑も持って行きなさいよ」

「それは犯人に言ってくれ」

「待って!」

 遥は急に大声をあげると再び、人差し指をこめかみに当てる。

「そうよ、衝動的犯行なら。なのに……何か引っかかるような……」

 そう言うと、遥は正門の方までスタスタと歩いて行ってしまった。慌てて後を追う。

「犯人は学校関係者に違いない……死亡推定時刻が分からないと……」

「おい、犯人は学校関係者だって? 外部犯ってことはないのか? 学園祭だったんだから外から人はいっぱい来てただろ?」

 俺は遥に聞いた。

「当たり前よ。鍵は事務員さんを通して借りるのよ。外部の人間が借りれる訳がない。それに図書室は一般には解放されてなかった。ビブリオバトルはあくまで学校関係者だけが参加するものだったから。まあこの辺は貸出履歴が分かるからすぐに解決する問題よ」

「なるほどな。そうなると鍵を借りたやつが犯人だ。でもまだ外部犯の線は捨て切れないぞ。正面突破が無理なら壁をよじ登ったということは考えられないか?」

 知らず遥の影響を受けていたのか、いつの間にか俺も推理をしていた。

「難しいと思うわ。それにそんなことしたら鈴木先生に気付かれるわよ。仮に気付かれずベランダに侵入出来ても、クレセント錠を開けないと部屋の中から広辞苑とツルを取り出すことは出来ないわ。でもベランダからクレセント錠を開けることは不可能。見たところ細工した痕跡もなかったようだし」

「まああんな狭いところでコソコソやってたら鈴木先生に気付かれるだろうしな。……おい、ちょっと待てよ!」

 この時俺は重要なことに気付いた。

「そもそも何で鈴木先生は図書室のベランダにいた? 図書室に何か用があったっていうのか?」

 そう遥に疑問をぶつけると、彼女はこともなげに答えた。

「そんなのは些細な問題よ。犯人に聞けばいいもの。この際、動機とか事件の背景は排除しましょう。いかに殺人が行われたのか、そこが最重要課題よ」

「殺害方法ならもう分かってるだろ。広辞苑で殴ってツルで首を絞めたんだ」

 すると遥の顔色が曇る。

「敬介、それだと非常に都合の悪い、というより望ましくない答えが出てしまうのよ」

「どういうことだよ?」

 俺はそう聞いたが、それきり遥は黙り込んでしまった。


 *


 保護者の間でも救急車と警察の登場、そして学園祭の中止は話題になっており、俺が帰宅すると父と母両方から一番に大丈夫だったか、と聞かれた。

 俺は迷ったがいずれ学校や警察から発表があるだろうと考え、ありのままを話した。すると両親は絶句し、とにかく休めと言った。

 翌日は学園祭の振替休日となっていた。学園祭の疲れ、何より昨日の殺人の騒ぎがあったため精神的疲労があったので一日中ゴロゴロしているつもりだったが、朝からスマートフォンが鳴った。画面には柊遥という名前が現れる。

「おはよう。よく眠れたかしら」

 遥はおざなりに言った。

「ああおかげさまで」

「学校に行くわよ。おじさんとおばさんには気分転換に散歩して来るとでも言えばいいわ」

 遥は捲し立てるように言った。俺はまだ起きたばかりで朝の十時だ。気分転換もクソもない。

「別にいいけど、行っても警察とか学校の邪魔になるだろ。それにお前はどうなんだ? 色々あって疲れてるだろ。あんま無理して動かなくてもいいんじゃ……」

「あら心配してくれるのね。でも私は大丈夫よ。家に閉じこもってる方がどうにかなっちゃいそうだから。じゃあ」

 そう言うと遥は一方的に電話を切った。


 *


 学校の正門に着くと遥はすでに来ていた。髪はお団子でまとめ、触覚も作り今日は珍しく黒縁の丸メガネを掛けている。

「ちょっと、変装しなきゃダメじゃない」

 遥は俺の服装を見て言った。

「お前のそれは変装になってるのかよ」

 確かに普段と印象は変わるが遥だと、おしゃれにしか見えない。気取った喫茶店にモーニングにでも行くのかと思った。

「まあいいわ、ちょっと歩きましょ。考えをまとめたいの」

 そう言うと遥は正門の前に張られたチェーンを跨ぐ。よく見る警察のキープアウトのテープはない。俺たちは図書室のベランダが見える中庭まで進んだ。ベランダには誰もいない。

「さて、敬介。犯人がどうやって図書室に入ったかだけど、これはやはり鍵で扉を開けて入るしかないわね。残念ながら登れそうにはない。鍵の貸出記録の方は警察に任せましょう」


 ここで簡単にではあるが我が私立南ケ丘高校の造りを説明しておこう。

 校舎は三階建てで、上空から見ると漢字の「王」のような形をしている。実際にはもっと入り組んでいるし、漢字のようにバランスが取れた形ではない。あくまでおおよその形であることを了解してもらいたい。

「王」の三本の横線。これは上からA棟、B棟、C棟と呼ばれておりA棟に昇降口があり、その他、職員室や事務室などがある。

 そしてその下、B棟とC棟はまとめて教室棟とも呼ばれ、生徒たちの教室がある。B棟には一組から三組が、C棟には四組から六組の教室があり、俺たち二年生は二階に教室がある。

 また横線を貫く一本の縦線はそれぞれの棟を繋ぐ渡り廊下である。この渡り廊下の左側に前述の生徒たちが普段授業を受ける教室があり、右側には理科室や音楽室などの特別教室がある。問題の図書室はC棟の二階、右側に位置しおり、中庭はB棟とC棟の間にある。


 俺たちが中庭で図書室のベランダを見上げていると、人影が出てきた。見覚えのある顔、桜木警部だった。そうと分かると遥はそちらに手を振り、おーいと呼んだ。警部がこちらを見る。

「捜査は順調ですかー、桜木警部! 打撲痕と広辞苑の照合結果、また鍵の貸出記録について教えて欲しいのですがー!」

 遥が大声を出す。俺は肝が冷えた。桜木警部に喧嘩でも売っているのだろうか。

 すると、桜木警部も何事かわめいている。お遊びで警察の捜査に首を突っ込むな、子供は帰れだとか、おおよそそんな内容だった。

「聞こえませーん、降りて来てー‼︎」

 その言葉が届いたのかベランダから桜木警部の姿が消える。いくらか待っていると校舎の陰から警部の姿が現れた。

「おい、お嬢さん。もうちょっとお淑やかには出来んかね」

 口調は穏やかだが表情には微塵もそれが感じられない、むしろ怒りさえ感じる。どうやら変装の必要はなかったようだ。

「広辞苑の角の潰れ方と打撲痕を照合した結果はどうでした?」

「答えられん」

「事件はもう相当噂になってます。そろそろ発表する頃でしょう。マスコミも来るかもですね」

 遥は悪戯っぽく笑う。

「脅してるのか。だが君らがマスコミに何をしゃべろうとあまり効果は期待出来ないと思うがな」

 桜木警部の言う通りだ。俺らが新聞やらテレビの取材に、警察に都合の悪いこと、例えば遥が意気揚々と自分の推理を述べたとしても生意気な高校生の戯言だと言われておしまいだ。

「いえいえ、そんなつもりはありません。そんなことより警部、広辞苑は果たして凶器だったのでしょうか?」

「事件の捜査は警察に任せなさい」

 桜木警部は毅然として言った。

「図書室でまた凶器の捜索をしていたんですよね? ツルをですか? 違いますね?

 となると、探していたのは鈴木先生の頭部を殴打した鈍器でしょう。打撲痕と広辞苑の潰れた部分の形が合わなかったからです。

 凶器についてはまた振り出しに戻った訳です。でも安心して下さい。まだ事件発生から一日と経ってない。それに魔が差して素人ホームズの思い付きを採用してしまっただけですよね? あなた方の落ち度ではない」

 桜木警部は一瞬黙る。

「勝手に言ってなさい。とにかく帰るんだ」

「ええ、そうさせて頂きます。近くまたお会い出来るようですし」

 遥はお辞儀をすると回れ右して去って行った。俺も桜木警部に謝罪をし、彼女の後を追う。

「おい、どういうことだよ? 広辞苑は凶器じゃなかったのか」

「ツルはもうおそらく始末した後よ。焼却炉にでも入れれば済むからね。もう見つからないと思った方がいい。でも鈍器ならそう簡単に始末出来ないわ。警察はそう考えそっちを探してる」

 遥は歩きながら考えをまとめるように言った。

「おい、質問に答えてくれ」

「断定は出来ないけど警部のあの反応だと広辞苑は凶器ではなかったみたいね。でも広辞苑とツルの問題を解決しても、これはまだまずいわよ、敬介。

 ……ちょっと考えたいわねぇ。敬介マイルドカフェオーレを買って来て」

 放課後と同じような調子で遥は俺に使いっ走りを命じた。

 遥は近くの公園のベンチに座り込み腕を組んで考え始めたので、俺はコンビニで遥に言われた通りグリコのマイルドカフェオーレ500mlパックを買って来た。渡すと遥はカフェオレを美味しそうに啜る。どうでもいいが彼女はカフェオレとかリプトンの紙パックのミルクティーのような甘い乳製飲料が好きで水代わりに飲んでいた。このままでは糖尿病まっしぐらだ。

「で、もうちょっと詳しく教えてくれないか?」

 頃合いを見計らって俺は尋ねた。

「じゃあ、まずは広辞苑のことからね。広辞苑の角が潰れていたのは敬介も昨日見たわね。私たちが犯行が衝動的なものだと判断したのは広辞苑と観葉植物のツルが凶器に使われた痕跡があったからよ。でも、どうやら鈴木先生の頭部にあった打撲痕と広辞苑の角の潰れは一致しなかったみたいね。桜木警部の反応から察するにそうに違いないわ」

「じゃああの潰れは犯行を示す証拠ではなかったと、だから持ち去る必要はなかったんだな」

「いえ、きっとあれも犯人が付けたものよ。たぶん床にでも叩きつけて広辞苑の角を潰した」

「何のために?」

 遥はカフェオレを一口啜ってからこちらを見て言う。

「広辞苑を凶器に使ったと思わせるためよ。そうすれば犯行が衝動的だったと警察は判断する、そう思ったのね」

「じゃあ犯行は計画的だったっていうのか?」

「私はそう思う。鈴木先生が図書室にいたのもきっと犯人に呼び出されたからよ」

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