7
まだ暑さの厳しい八月下旬。二学期最初の放課後のことだった。
この日は始業式だったため、午前中で放課となり例のごとく俺は五組へと行った。
まだ昼過ぎということもあり、遥は起きててこちらに手を振って来た。この日の五組の教室は彼女一人だった。みんな夏休み気分が抜けないまま遊びに繰り出したのだろうか。
「やあやあ、夏休みはどうだったかしら?」
「えらくご機嫌だな。特に何もないよ。ダラダラしてたせいで昨日は徹夜で課題をやってた。遥は?」
「明日持ってくるつもり」
「課題のことじゃないよ。夏休みは何してたんだ?」
どうやら課題の進捗はよくないようだ。
夏休みに親戚の集まりや使いっ走りで顔を合わせていたので特に、気になることはないが社交辞令として一応聞いた。
「おおよそ敬介と同じよ。私は意外と友達いるからお祭りにも行ったわよ」
「良かったな」
そうして、また一学期のごとくダラダラと他愛のない会話をしている時だった。
「どうしたの?」
遥が廊下に向かって呼びかける。
俺は言い知れぬ不安を感じた。デジャヴだ。このシチュエーションは一学期のあの事件の始まりと全く同じだと瞬間、感じ取った。
振り返るとそこには、やはり里見京子がおり、教室に入ろうか躊躇しているようだった。
この時、俺は一学期の里見京子の一件をすっかり忘れてしまっていたのだ。どうやら俺も長く退屈な夏休み気分に取り残されていたようだ。
しかし里見からは前ほど深刻な雰囲気は感じられなかった。むしろ気軽な感じさえした。
遥がその存在に気づくと里見はこちらが入室を促さずとも、スタスタと我々の方にやって来た。
「遥ちゃん。夏休みはありがとうございました」
「いえいえ、お祭り楽しかったね!」
二人は楽しそうにしゃべっていた。しばらく俺を置いてけぼりにして二人は談笑していた。どうやら遥が夏休みに一緒にお祭りに行った友達とは里見のことらしい。いつの間にそんなに仲良くなったのやら。
「まあまあ、座って。で、どう今の気持ちは?」
そう遥は問いかけた。これは高橋先生が学校を去ってしまったことに対する問いかけだろうか、そう思っていると、里見は、
「うん。とっても悔しい!」
と言った。
悔しい? 何がだろう。それに悔しいと言う割にはどこか楽しそうな感じさえある。
「だよねー。私も結果は聞いてたけどやっぱりそうだよね」
遥もうんうん、と頷く。
「おい、待ってくれ。今は何の話をしてるんだ?」
堪らず俺は聞いた。話についていけず、いい加減居心地が悪かったからだ。
「コンクールの結果よ」
遥が答える。
「コンクール?」
「吹奏楽コンクールの結果です。今年も支部大会まで行って金賞だったんだけど、また全国大会には届かなくて本当に悔しかったんですよ!」
里見がそう教えてくれた。
「あ、里見さん。コンクールには出たんだ」
「何言ってるの? 良子ちゃんが吹奏楽部なの忘れたの? それにあれだけ練習も頑張ってたんだしコンクールには出るに決まってるじゃない」
遥は例の呆れたような顔で言った。
「いや、あの、なんていうか」
「初恋」の消失事件以来、俺は里見に対して、腫れ物的な印象を抱いていた。学校生活において唯一の居場所と言ってもいい高橋先生を失い、絶望しているに違いないと勝手に決めつけているところがあったので、それを言おうかどうか、迷っていた。
そんな俺の心中を察したのか、里見は口を開いた。
「私、踏ん切りがついたんです。もうあのことは忘れて、部活や委員会に集中しようって」
彼女は真摯な眼差しをこちらに向けた。
「そうしたら私世界が狭かったんだなぁって痛感したんです。勝手に自分は周りと溶け込めてないって思って壁を作ってたの。でもコンクールに向けて同級生はもちろん、先輩や後輩とぶつかったり、図書委員のメンバーたちとコミュニケーションを取ったりすることで、なんだか居場所が出来たような、とにかく前よりずっと学校の居心地が良くなったんです」
里見は笑顔でそう語る。
「それもこれも、二人のおかげです。ありがとう!」
「いえいえ、それは京子ちゃんの努力のおかげよ。私たちはちょっとしたお手伝いをしたに過ぎないからね」
相変わらず俺は置いてけぼりだが、里見のやや砕けた口調から察するにどうやら部活も図書委員の方もうまくいっているらしい。それはあの事件、もとい我々のお節介のおかげでもあるらしい。
なんだか嬉しかった。里見と我々がこんなに笑って話せるとは夢にも思わなかったからだ。
「来年は絶対コンクールで全国大会に行きたいから部活に集中しようと思ってます」
「え、じゃあ図書委員はやめるんですか?」
本好きな里見が図書委員から離れるのは想像しにくい。思わずそう聞いた。
「ええ、もういいかなって。でも吉川さんに本の整理の仕方を教えてあげないといけないから、二学期はまだ続けようかなって思ってます。また小説を百科事典の隣に置かれたら堪らないから」
里見は意味深に遥に目配せして笑った。当たり前だが遥の嘘は全部お見通しのようだ。
「とにかくありがとう、遥ちゃん! 津田くんも」
「え、あ、はい……うん」
どぎまぎと返事した俺を、遥と京子は愉快そうに笑った。
その様子はとても楽しそうだった。
*
「いつの間に里見さんと仲良くなってたんだよ」
京子が部活に行くと、俺は遥に聞いた。ここまで知らされてないと少し不服だ。
「だから一学期に言ったでしょ。私たちも京子ちゃんの居場所になるって。誘って欲しかったの?」
「いや、なんていうか、俺にももうちょっと教えて欲しかったというか、うーん……」
白状すれば誘って欲しかった。こういう時素直になれない性格は損だと思いながらも、やはり素直になるのは難しい。
「待ってるだけじゃ駄目よ敬介。シンデレラはね、黙って継母とその娘たちの世話をしてただけじゃないのよ。舞踏会に行きたい! その思いを口に出したからこそ、王子様と結ばれたのよ」
「はあ、それで……」
遥は両手を広げて、演説に熱を込める。
「京子ちゃんも待ってるだけじゃなく、自分から動いたからこそ、今の居場所を得たのよ。あなたも求めるなら、動きなさい。そして声を上げるのよ‼︎」
彼女は立ち上がると窓際に寄った。すると、吹奏楽部の練習する音が聞こえてきた。またどこかで演奏するのだろうか。コンクールは終わったはずだが「道化師の朝の歌」のあの楽しげなメロディーが聞こえてくる。
「さあ、これで『初恋消失事件』は無事解決よ。祝杯をあげましょ。敬介、マイルドカフェオーレを買って来て!」
遥は振り返ると笑顔でそう言った。
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