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 遥は息を整えると再び口を開いた。

「まあ、これも推理でしかないんだけどね。これが事実だとしたら酷い話よ」

 確かに酷い。男の俺でもあんまりだと思う。

「高橋先生に読書は似合わない。ゲームとか映画が好きな人間がいきなり読書にハマって図書室通いする理由なんて、やっぱり不純な動機があるとしか考えられないわ」

 それは偏見が過ぎるというものだ。

「とにかく、このままお金と走り書きの手紙が挟んである本を京子ちゃんに見せる訳にはいかない。そう思って私は『初恋』を図書室から持ち出した」

「そうか。遥にそんな行動を取らせた原因はその金と手紙ってことか」

「まあそれだけじゃなくて、実際手紙をやり取りしてたのが京子ちゃんと高橋先生なのか確かめるためにもやったのよ。あの状態の本が二人以外の人間に渡るなんて不足の事態だもの。探してもどこにもない。そこで困った京子ちゃんは何か行動を起こす。そう思ったのよ」

 確かに遥は高橋先生の車を見つけたという功績がある。すぐに彼女に依頼するという発想に至っただろう。

「そしてやって来た訳だ」

「ええ。おそらく高橋先生に所在を聞いても知らないの一点張り。高橋先生もまさか自分の口からお金とそれで関係を解消しようという、旨が書かれた手紙を挟んだとは本人に言えなかったでしょうね。それにそんなもの第三者に見つかったら大事よ。だから私に捜索の依頼をしろとでも言ったのね。

 話を聞いてみて確信したわ。文通をしていた二人のうち一人は京子ちゃん。そして吉川さんの話を聞いてもう一人は高橋先生だとね。

 図書室の調査をした後、敬介には先に帰ってもらい、私は『初恋』を持って高橋先生の元へ行ったわ。都合よく先生は一人だった。そして本を眼前に突き付けてこう言ったわ。

『この本を里見さんにこのまま渡そうと思います。先生はそれでいいと思いますか?』ってね」

「それで先生はなんて?」

「頭を抱えた後、すまないって言ったわ。それは私に言うことじゃない。そう言うと先生は、貸してくれと言ったので私は本を渡したわ。明後日また取りに来るって伝えると覚悟を決めたように頷いたわ」

 俺を帰したのはそのやり取りをするためだったのか。単独行動の方がいいという遥なりの考えだろう。

「てことは、今日の昼休憩にでも取りに行ったのか?」

「ええ、約束通り本は戻って来たわ。そしてページに挟んであった一万円札と紙切れはなくなってて代わりに封筒が挟まってたわ」

「書き直したんだな」

「私は高橋先生を信じて京子ちゃんにあの本を渡した。最後の手紙だからちゃんと封筒に入れてあったわね。誠意ある文章で書かれてるといいけど」


 *


「ところで、里見さんに言ってたな。彼女の望むことは書いてないかもしれないって。あれはどういうことだ? 読んだのか?」

 遥はため息をつく。

「だから言ってるじゃない。人の手紙を覗き見する趣味はないって。

 きっと京子ちゃんは高橋先生とこれからも文通したり以前のような関係を望んでいるけど、高橋先生はもうそれを終わらせようっていう内容を書いてると思ったからよ。読んでないから推理するしかないけど」

「もうそこまでいくと、推理じゃなくて憶測だな」

「じゃあ訂正するわ。女の勘よ」

 遥は腕組みして得意そうに言った。どっちでも同じことのようにも思えるが。

 ただ遥の言葉を聞いた里見は心外な訳でもなさそうだったから案外、遥の推理もとい女の勘は当たってるのかもしれない。

「これで一応決着はついたわ」

「おい待て! まだ分からないことがある」

 遥は脱力しているがまだ里見と遥のやり取りには不可解な点がある。

「何よ」

「里見さんに彼女の居場所がどうのこうのとか言ってたな。あれもさっぱり分からない。それに呼び方が『里見さん』から『京子ちゃん』になってるじゃないか。まあ笑ってたし、向こうはそれでいいんだろうけど。一体どういう風の吹き回しだ?」

 遥は再びため息をつく。

「ちょっと敬介。これはあなたにも無関係な話じゃないのよ? しっかりしてよ」

「そうなのか⁉︎」

「ええ。敬介がやってくれた京子ちゃんの身辺調査。それもヒントになったのよ」

「どこがヒントになったんだ?」

 あの調査は収穫なしだった。一体何のヒントになったのか。

「あなた言ってたじゃない。京子ちゃんのことみんな『里見さん』って呼んでて他人行儀だって。それに部員からの証言で周りからちょっと浮いてることも分かったじゃない。部活もみんな張り切ってるなか、京子ちゃんは無理して練習に行ってた節がある訳でしょ? 他の部員との温度差もきっとあったはずよ」

「ああそうだったな。そんな感じがした」

「きっと疎外感があったはずよ。こんな言い方したら佐々木さんたちは心外だって思うかもしれないけどね。一生懸命馴染もうと努力してたと思うわ。真面目な人だから」

 俺が受けた印象よりも細かく分析している。

「はあ……、それで?」

「だから、吹奏楽部ではみんなが練習に熱を入れるなか無理に合わせるしかない。そして図書委員の仕事は基本一人きり。クラスの様子は分からないけど、孤独感が高橋先生との関係に走らせたのは事実だと思うわ。そこから抜け出すには居場所が必要なの。

 私たちは彼女から高橋先生を引き剥がすような真似して、さあ居場所を探せなんて言うのは無責任ってものよ。だから今まで努力してた吹奏楽部との関係や図書委員間の繋がりとかもう一度顧みてもいいんじゃないかなって言いたかったの。それが無理なら私たちが彼女の居場所になればいい。そう、依頼人と探偵なんかじゃなく、お友達にね。敬介もよ」

「友達」

 その言葉が重くのしかかる。

 正直いうと俺は決して友達が多い方ではない。でもクラスに居場所がないわけではない。弁当を一緒に食べてくれるクラスメイトもいる。暇なら遥と喋っていればいい。

 しかし里見はそうではないのだろう。積極的に学校活動に参加している。委員会も部活もやっている。その中での疎外感には殊更敏感になるのかもしれない。そして、高橋先生さえ失うと思ったら、孤独感は増すばかりだ。

「さあ、あなたの気になってた点に対する回答は以上よ。他に何か聞きたいことはあるかしら?」

 遥は教師のように言った。

「じゃあもう一つ」

「なに?」

「本当にこれで良かったのかな?」

 遥は立ち上がり窓際に寄る。なんだか臭い仕草だ。

「分からないわ、私も不安よ。これで本当にいいのかしらね」

 事件は解決したのだ。しかし我々の間には言い知れぬモヤモヤとした空気が漂っていた。

 お節介ならまだいいが、俺たちは余計なことをして彼女の学生生活をより悪い方向に導いているのではないか? なんとかならなければ俺たちが居場所になればいい、だなんて驕った考え方なんじゃないか?

 人間関係とはそんな単純な話ではない。当事者の気持ちなんて推測や憶測でしか測れない。探偵ごっこなんかで解決できる問題ではないのだ。

 その後俺たちの間で里見と高橋先生に関する話題は上がらなかった。モヤモヤとしたあの嫌な感じを抱えたまま、俺たちはまた以前のような退屈な日々を過ごした。そして梅雨が明け、期末試験の時期になった。勉強がてら試しに図書室に行ってみたが里見は表面上、特に変わった点はなさそうだった。憂いを帯びたような表情だったが元からはかないような美しさがあるため、よく分からない。軽く会釈するだけで、彼女のためにしてやれることは何もなかった。

 試験を終えるといよいよ夏休みだ。一学期の終業式でちょっとしたニュースがあった。高橋先生が南ケ丘高校を退職するというのだ。

 教頭の話によると一身上の都合で県外に引っ越すらしい。なんとも便利な理由だ。生徒たちの間では特に、色めき立つとか名残惜しいといった反応を示す者はいなかった。だが俺は里見京子の反応が気になって仕方なかった。

 けじめはついたのか。それともまだ未練があるのか。本当にこれで良かったのか。

 そんな懸念を残して、一学期は終わり夏休みに入っていった。

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