第五話 咲くこともなく

 突然の莫大な妖力の出現に、陰陽の寮でも大騒ぎになっていた。

 空は見る見る内に暗くなり、春の嵐などと可愛いらしい言葉には相応しくない雷鳴が響き渡る。


 討伐をこなす陰陽師でなくとも、気を感じることができれば誰でも分かるほど、その壮絶さは歴然だった。怪しく空を見上げる者もいれば、膝を抱えて震える者もいた。

 先ほどの討伐任務から戻り悠々と寛いでいた蒼士そうしも、緊張した面持ちで空を見上げていた。


 その気を感じる方向に何があるのかまで、彼にも分かっていた。

 先ほどまで会っていた人物の屋敷だ。


「父上、これは……!?」

「あぁ、とても厄介なことになりそうだね」


 驚いた声を上げるものの、すぐ近くで書類を纏めていた雅章まさあきはどこか冷静だった。

 陰陽頭おんみょうのかみとして彼らを束ねる長である以上、取り乱すなどあってはならない。ましてや彼も陰陽師、当然その精神力は侮れない。この状況の中、蒼士はそんな父の姿に改めて尊敬の眼差しを向けた。


「陰陽師を集めなさい、蒼士。できるだけ心力しんりょくの高い者を」

「はっ、父上」


 風も強さを増し、押さえていなければ烏帽子が飛んでしまいそうだ。

 寮の奥へと走り去っていった息子を見送ると、雅章は片手で護符を取り出し目の前で構えた。


急々如律令きゅうきゅうにょりつりょう結界壁けっかいへき


 その一言で、寮の周りを一瞬、青い光が取り巻いていった。


 陰陽寮には元々、拓磨たくまの屋敷でもそうしているように結界が張られている。当然それは拓磨のように人避けのものではなく、妖怪から本拠地を守るためのものだった。

 この雷鳴響く大嵐の事態に備え、念のため雅章はそれを更に強化したのだ。


 ふう、と小さく息を吐き、彼は扇子を広げ空を仰いだ。

 しばらくは波乱の日々になるやも知れない。


「こんなに高震いするのは何年ぶりであろう。……のう? たける殿」


 忙しなく寮の者が走り回る状況を背に、雅章の表情はどこか嬉しそうであった。




 恐怖に飲み込まれそうになる心を奮い立たせ、私は何とか冷静さを保っていた。

 しかし畏怖いふとは紙一重だ、これほどの妖力は今までに感じたことがない。技術的にも精神的にも隙を見せれば一環の終わりと言うことは明白だった。


 だが悠長に考えている余裕はない。これほどまでの嵐と妖気に他の陰陽師が不振に思わない筈がない。寮から使いが出されるのも時間の問題だ。

 できればその前に片を付けたい。


『怯えておるな? 尊のせがれよ……』


 地響きのような重低音の声がそう告げた。奴の声だ。


「……やはり私のことは承知しているようだな。龍よ、其方の目的は何だ?」

『焦るな、此度はほんの挨拶の来ただけのこと。お主の親父の力を手にした礼も兼ねてな』


 礼だと? 馬鹿にするのも甚だしい。

 恐らく奴は私が父上をあまり快く思っていないことも承知している。父上がそう告げたのか、誰か他の者から仕入れたのかは知らぬが、挑発されているのは確かだ。


 そうしている間にも奴の周りには放電の細かい火花が無数に散っていた。

 力を貯めるための時間稼ぎか? ならば先手を打つのみか。


 私は懐にそっと手を伸ばした。


『焦るなと言うに……まぁ良い。我も長居は出来ぬ、陰陽師どもが集結しても面倒だ。今日のところは立ち去ろう』


 言葉とは裏腹に、奴は頭に生えた角の間に雷光を集めて、光の玉を生んだ。

 身の毛がよだつ。陰陽術であれを凌ぐには、五行の中で操るのに最も心力を要する術を使って、上手く地へ受け流すしかない。

 奴の余裕この上ない表情とは正反対のこの緊張感、はっきり言って屈辱だ。


『挨拶の手土産を置いてな!』

「安曇式陰陽術、鋼鐵結界こうてつけっかい!」


 叫んだと同時に奴はその光玉をこちらに放った。

 だがその声に被せるようにこちらも陰陽術を発動した。私と暁、その周辺を守るように五行・金の力を取り入れた結界を張り巡らせたのだ。


 光玉を受けた衝撃で辺りは一瞬明るくなり、電気音が響き渡った。思わず呻き声が上がり、体に強い重圧を感じる。破られまいと護符へ更に心力を込め、額からは汗がしたたり落ちた。

 そんな私をあざ笑うかのように奴は不敵な笑みを浮かべ、妖力を上げ光玉を大きくした。結界に小さな亀裂が走るのが見えた。


 力の差は圧倒的で、勝機は薄いのは既に分かりきっていた。まだここで死ぬわけにはいかないが、これ以上の新たな術を繰り出す余裕もない。

 残される手はただ一つ。


「……許せ、暁」

『拓磨さ……っ』


 言い終わる前に暁の姿は紙切れの人形ひとかたへと戻ってしまった。彼女を常駐するのに使う心力を省くため、召喚解除を施したのだ。

 実は暁の術を解除するのは、彼女を降臨させてから一度もない。それほどここまで追い込まれたことは今までになかった。


 私は、残りの全心力を解放し、この鋼鐵結界に全てを込める手段に掛けた。

 ここから奴に一矢報いるには、もはやあの玉を奴自身へ跳ね返して自爆させる以外、方法はないのだ。

 一か八かだ。


 全ての心力を込めた結界は青白く光った。


「おぉおおおおお!」

『無駄だ、死ねぇえ! ……なぁんてな』


 唸り声を張り上げた私に対し、何の気もなく雷龍が軽くそう言ったかと思うと、頭をひょいと後ろへ倒した。奴はまるで鞠を放り投げるように光玉を飛ばし、攻撃の手を止めたのだ。


 いや待て。お前、何処に投げて……。

 体への重圧が突然解放された反動で前に倒れるが、光玉が向かった方向に胸騒ぎがして這うように顔を上げた。


 そしてそんな予感こそ的中する。

 それは弧を描き、そう遠くはない奴の後方、庭の中島の中心へと落ちた。閃光が瞬いたのを目にし、まるで稲妻が落ちたかのような爆発音が響いたのを聞く。


〝今年も無事、厳しい冬を乗り越えた〟

 つい先日、そう喜んだばかりだというのに。


 頭が真っ白になり、息をするのも忘れた。

 だがもう私に何かする力など残されてはいない。私の中にあった心力が完全に底を突いたのもあるが、精神的打撃の方が大きいだろう。

 薄れゆく意識の中で、落雷後の煙の中に浮かぶ黒い影へ手を伸ばした。鼻につく焦げた匂いが辺りに広がる。


 父上を更に恨んだ。

 私に二度も母上を失わせた。


『土産と言うたであろう。……我が名は雷龍らいりゅう。この先まだまだ楽しませてもらうぞ、安曇拓磨』


 去り際に捨てていった奴の声を聞いたか聞いていないかくらいで、私は意識を手放した。

 雷龍に負けたことよりも、ただこの上ない喪失感のみに支配されて。


 次に目にした時、大切に見守ってきた庭の桜に、待ち望んだ小さな花の姿はない。

 美しく散るどころかそれは、もう華々しく咲くことすらないのだ。


 灰と化した桜の木と私には、ただ冷たい雨だけが降り注いでいた。


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