第六話 一戦報告
目が覚めると、そこには見慣れない天井があった。
正確に言えば〝見慣れてはいないが、見たことはある〟天井だ。まだ父上が
陰陽連本拠地、陰陽寮。
ここへ来るのは何年ぶりであろうか。この部屋は怪我人などを治療する
取りあえず想定できるのは、異変に気づいた寮の者たちが私の屋敷へ足を運び、意識を失った私をここへ運んできたということのみ。大方の
何という醜態を晒したのか、この上なく情けぬ。
側に人影はなかった。まぁ、あっても困るのだが、怪我人の側には付き人を置いておくが普通なのではないのか? などと、我ながら毒を吐く元気はあるらしい。
一先ず小さく溜め息を吐いて、意識を失う前の記憶を思い起こした。
心に穴が開いたような空虚感……夢であれと願いたいところだが、私は母上のたった一つの大切な形見を失った。もうすぐ咲くはずであった桜の木は、雷龍の攻撃を受け、二度とその可憐な花を開くことが出来なくなってしまった。
あれが雷龍の狙いであったのか、それとも偶然なのかは不明だ。だが私の失態であることに変わりはなく、力が及ばなかったばかりに守りたいものが守れなかったのだ。
それと暁の術も解いてしまった……次に召喚した時、何と言われることか。心力が回復するまでは暫くそれも叶わない。
しかし悲観に浸って呑気に横になっている暇はない。雷龍がまたいつ襲ってくるかも分からぬ状況だ。
兎に角ここから離れねばと、僅かな力を絞り出し上半身を起こそうとしたが、それは足下から聞こえてきた声に阻まれてしまった。
「そう焦らずとも久々に顔を出したのだ。ゆるりとして行けば良い、
基本的に寮に駐在しているその声の主に会うのは幼い頃以来だった。当然、会いたいと思ったこともないが。
懸命に持ち上げた背中を仕方なくまた再び床へ戻すと、満面の笑みを浮かべた現・陰陽頭の
……あぁ、もう既に面倒くさい。
「様子を見に来て良かったよ。君なら無理にでも帰ってしまい兼ねないからね」
「……ここへ来てからどれくらいだ?」
無駄話は無用とばかりに質問を投げると、雅章殿は苦笑しながら肩を落とした。長い付き合いだ、私が人を好んでいないということも彼は承知している。
「まだ丁度丸一日くらいだ。君の屋敷へ向かった陰陽師たちによれば、龍は鬼門の方向へ逃げていったらしい。あれから妙に都の妖怪たちの妖力も上がってな、
嵐の暗さのお陰で勘違いしそうだが、雷龍の襲撃は昨日の昼過ぎの刻だ。つまりその後の夜の討伐で通常より強い妖怪が出現し、蒼士を先頭に討伐任務に不慣れな陰陽師たちが四苦八苦したということである。
人の気配をあまり感じないのはそれだけ陰陽師たちが出払っているか、疲労で休んでいるかのどちらかであろう。
これも雷龍の影響なのか……ならば尚のこと早く私もそこへ加担する必要があるだろう。
そう思って再び体を起こそうとしたが、雅章殿に「まぁまぁ」と肩を押し返されてしまった。人が動けないのをいいことに、この男は……。
「焦るなと言っておろう? 丁度君は本拠地にいるんだ、たまには君の口から報告してもらおうではないか」
雅章殿の言うとおり、普段は討伐任務後の報告を全て暁か雫に任せてあった。寮へ向かうのは彼女たちのどちらかで、私は文字通り真っ直ぐと屋敷へ戻る。だからこれは私への皮肉でもある。
「奴は自らを〝雷龍〟と名乗っていた。その名の通り、雷を自由に操ることができるらしい。恐らく元々かなりの妖力を所持していたと思うが、更に父上の心力が上乗せされている」
「
私は小さく頷いて続けた。
「屋敷で会った父上は既に
天才陰陽師と言われた父上の最期が脳裏を過ぎる。それは実に残虐な光景だったが哀れみは感じていなかった。あんなもの母上が受けた仕打ちを考えれば当然の報いだと思った。
しかし今は現実を見なければならない。雷龍はあの安曇尊を凌ぐ力を持っていたということになる。普通に考えれば今後かなりの
「左様であったか、尊殿はもう……。それで、奴の目的は?」
陰陽連では父上の所存はまだ不明とされていた。だがこれで明確に彼は没したと分かり雅章殿は少し残念がったが、私にはそれがわざとらしく見えた。安曇・嘉納は二大陰陽家として長年勢力を争っている仲だ、彼にとっては好都合であるはずだ。
私はちらりと横目に雅章殿を見た。
「分からぬが、何故か私を狙っている。安曇に恨みがあるか、あるいは……」
父上に呪をかけれるとは相当の実力の持ち主ということ。雷龍自身の手によるものと思えば自然だが、上の陰陽師の可能性も否定できない。何故なら妖怪が陰陽師に呪をかけたなど話に聞いたことがないからだ。
私の目線に雅章殿は意図を感じたようだが、いつもの微笑みで受け流されてしまった。
……まぁ、確かにいくらなんでも話が飛躍しすぎている、か。
いずれにせよ今は早く力を取り戻さねば話にならない。疲労があったと言い訳するつもりもないが、私とてこの様だったのだ。万全の体勢でも勝てるかどうか。
力の入らない右腕を何とか持ち上げ、小さく拳を握った。
勝てるかどうかではなく、勝たねばならぬ。そんな気がする。
「まさか今まで通り一人で相手にする気かい? 頼もしい限りだが、君はまず心力を回復させるのが先決だ。よって君は暫く、討伐任務を外れてもらうよ」
「……はぁ!?」
私の様子を伺っていた雅章殿の一言に、性にもなく気の抜けた声を上げてしまった。仮にも相手は陰陽頭、私の上官であるのだが。
それに私が討伐任務以外を受け付けないのは、彼も承知のはずだ。
「寝ぼけたことを申すな、心力くらいすぐに回復する!」
「寝ぼけているのは君だよ。君ほどの心力を回復するには休息が必要だ。でも仕事がないと困るだろうから、祈祷の任務を行ってもらう。……これは命令だ、拓磨君」
にこやかに言い放っているがそこに確かな重圧を感じた。それは陰陽頭としての言葉であり、どうやら冗談を言っている訳ではないようだ。
今しがた握った手の平で、今度は頭を抱えることになろうとは。
そんな私の様子に雅章殿は小さく笑い声を上げると、扇を開いて仰ぎながら立ち上がった。
「焦らずここで動けるまで休まれよ、拓磨よ。君なら暫く任務が討伐でなくとも評価に影響しないだろう? 安心なさい、ここには他の者は近づけぬから」
うな垂れる私を尻目に彼は部屋の外へと足を向けた。
あぁもう良い、取りあえず一人にしてくれ……そう思った矢先、雅章殿はくるりとこちらを振り返った。
「それでも君が早くここを出たいと言うのなら、私の愛を込めた心力を分けてあげても……」
「丁重に遠慮する!!」
電光石火の早さで断ると、彼は渋々部屋を後にした。
体力は兎も角、無駄に神経がすり減った気がした私はもう一度目を閉じ、眠りに就いたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。