第四話 閃光の前奏曲

 心力しんりょく

 それは僕たち陰陽師の命とも言うべき力の根源だ。陰陽術を使うには、この心力がなければ発動することはできない。


 当然、この心力の保有が多ければ多いほど強力な術が使え、妖怪討伐は勿論、占術でも祈祷でも心力を使って成果を高めたり、簡単な治癒を行ったりすることもできる。

 では心力を沢山作れば良いのだな? と簡単に思ったら、それは間違いなく後に後悔する羽目になるから注意しろ。この心力を作り出すことは決して容易なことではないのだ。


 まず五感を鍛えろ。陰陽師たるものこの五感が使えなければ話にならない。恐ろしほどの集中力を持って、あらゆる感覚を研ぎ澄ませられるようにするのだ。それは同時に不屈の精神を鍛えることにもなるだろう。

 それができたら次、全意識を集中して五行の気を感じるのだ。五行とは世界を構成するとされる「もくごんすい」の五つを示している。この世のに存在するものは皆多かれ少なかれ気を放っているのだが、その五行から放たれる気を〝己の力へ取り込む〟という感覚を持ちながら取り入れなければならない。


 この五行の気をひたすら取り入れ蓄積させたもの。それが「心力」となる、というわけだ。

 因みに陰陽師が放つ気は、この心力の大きさに相当する。


 言葉で言うのは簡単であろう。だが五行の気を感じ己の力へ取り込むなど、雲を掴むような話なのだ。陰陽の修行を始める頃は皆この精神論に苦労する。

 この僕とてそうであった。あの普段は温厚な父上に何度泣かされたことか。しかしこれが出来なければ次に進めぬのだから、ここで陰陽師として向いているか否かが問われる。


 更に苦労して集めた心力は、どれだけ自分の力として備わっているのかは目に見えないのだから厄介だ。それを計るにはまたしても感じる他ない。


 どれもこれも感覚。心力だの気だの、もっと目に見えて分かりやすいものはないのか! と未だに思う。

 ふて腐れながらもようやくその感覚を掴み始め、修行も軌道に乗ってきた幼少のある頃だ。僕は父上に連れられた奴に出会った。


 前陰陽頭おんみょうのかみ安曇尊あずみのたけるの子息、安曇拓磨あずみのたくまだ。


 今も忘れられない、それは決して感動の出会いではなかった。僕は初めて奴の「気」に触れたのだ。それは他人の気を感じられた喜びを上回った敗北感でしかなかった。

 恐れを感じるほど遙かに圧倒するものだった。それは自分とはまるで比べものにもならない。奴は肩に赤鳥の式神を乗せていたが、式神を出現させるにも心力は必要だ。ましてやそれを常駐させるなど……!


「式神にすら小馬鹿にされるとは……。この屈辱、覚えていろ」


 思わず震えた手を握りしめる。


 父上ですら奴の心力に及んでいないのだ、僕では到底相手にもならないのは承知している。

 しかし、どう対抗したらよいのだ。どうしたら奴を越えることができるのか。


 奴が去った場所を睨みつけ、僕は闇烏やみがらすを解除し、寮へと戻っていった。




 暁と共に屋敷まで戻ってきたが、その手前で私は妙な「気」を察知した。

 妙とは言ったが、それは身に覚えのある気だった。しかもそれは屋敷の内部から感じている。


 この距離でここまで鋭く気を感じさせるとは余程のことだ。しかし驚くのはそれだけではなく「屋敷の内部」ということ。

 この屋敷には人を含めた〝厄介者〟を追い払うために結界を張ってある。この結界を拭って通り抜けるには、それなりの術者でなければ不可能だ。


『……拓磨様?』

「気をつけろ、何者かが屋敷にいる」


 暁が小さく息を飲んだのを見ないうちに、私は慎重に屋敷の中へと足を進めた。

 全く、自分の屋敷だというのに抜き足差し足とは滑稽ではないか。


 中門を通り過ぎると更に感じる気は強さを増し、その気が誰のものかを物語っていた。しかしその知っている気は、どこか違和感を感じてもいる。

 そして私はその気の正体を信じたくはなかった。確かに奴ならこの結界を物ともしないだろうが、奴はもう何年も姿を現していないのだ。今更のこのこ現れてどうしようというのか。


 中島の桜の前、見つけた人影はやはり思った通りの人物だった。奴は一丁前にもうじき開花を迎える桜を仰いでいる。

 だがお前に母上の桜を拝む資格はない。


「……父上」


 桜を見上げるその姿に反応はなく、こちらに背を向けておりどこか異様だった。

 手を後ろで腰の辺りで組み、風で狩衣の裾だけが穏やかに揺れている。そして父上の気に感じる違和感。


 私には嫌な予感しかしなかった。


「父上!」


 肩に寄り添う暁を気にとめることなく、もう一度呼びかけた。

 すると彼はゆっくりを目線を下げ、更にゆっくりとこちらへ体を向けた。一つ一つの動作だけで何故こんなにも緊張し鼓動が増すのか。その理由は顔を見た瞬間に分かり、私と暁は大きく目を見開いた。


『ひっ……!』


 暁が悲鳴を上げるのも無理はない。

 父上には、顔がなかったのだ。


 頭部はあるがそこにあるべき目や口はなく、のっぺらとした顔。それは真っ青というよりも腐敗したように青黒い。その奴が今度はゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。

 不気味以外の何者でもないそれは、もはや父上ではなかった。


しゅだ……! 暁下がれ!!」


 声を荒げたとほぼ同時に〝父上であった人〟は前傾姿勢を取り、駆け出してきた。父上は何者かの呪いで体を乗っ取られ操られているのだ。この手法を我々は「呪」と呼んでいる。

 懐に手を伸ばしたのが目に入ったので、こちらも応戦態勢に入ると、操り人形と化した奴は案の定、そこから護符を取り出した。


 奴の背後から盛り上がった土壌が、まるで波のように雪崩れ襲ってきた。口がないから呪文を唱えていないが明らかに陰陽術だ。

 安曇式陰陽術・土流波濤どりゅうはとう――、飲み込まれれば只では済まない。操られていようと奴は都で最強と言われた陰陽師・安曇尊であり、持っている心力は桁違いなのだから。


「安曇式陰陽術・根楼白盾こんろうはくじゅん!」


 僅か数刻で届いた土流に対し、目の前を木の根で覆って固い盾を作り、間一髪防いだ。

 これは五行相克ごぎょうそうこくによる判断。木は土に打ち勝つという自然の摂理に基づいたものだ。土流は複雑に絡まった根の盾に絡みつき、何とか生き埋めは免れた。


 だが、これもどこまで通用するか分からない。私は討伐任務を終えてきたばかりだ、消耗した心力はそう多くないと言え、万全ではない体勢で父上に相対するなど……無謀だ。


『尊様、お止め下さい! 目をお覚ましになって!』


 暁の悲痛な叫びが聞こえた。鳥の姿で逃げれば良いものを思考が錯乱しているのか。否、彼女はまだ父上が戻ってくると信じたいのだ。

 しかし、このままでは暁一人の姿さえ保つ余裕がない。解除すべきか、否か。


 考える間もなく父上が今度は右手をゆらりと天へ伸ばしたのが見え、再び私は構えの姿勢を取った。次は何で来るか? と固唾を飲んでその様子を伺ったが、奴は動く気配はなかった。

 代わりにまだ昼下がりの陽気な時刻だというのに、急に雲行きが怪しくなり、空が薄暗くなり始めた。瞬く間に黒い雲が渦を巻くように父上の頭上高くに集まり出し、その中に時々閃光が見えるのだ。

 

 積乱雲……まさか、雷雨を起こすつもりか?

 あり得ない、陰陽術にそのようなものは存在しない。陰陽術の基礎は五行なのだ。


 ところが次第に風は強く巻き上がり、辺りに雷鳴が響き渡り始めた。やはり奴は雷雲を集めている。飛ばされぬよう烏帽子を押さえながら足を踏ん張り、空へ移していた視線を父上に戻したところで私は絶句した。


 顔にヒビが入っていた。

 それは裂けるような破裂音を上げながら、徐々に足下へ向かって走って行く。

 怪奇とも言うべきあまりの恐怖に暁が再び私にしがみついてきて、私も思わずその肩を抱いた。


 やがて父上の体は、裂け目からまるで土器のように割れて弾け飛んだ。その衝撃で袖で顔を覆うが、大きな影がうごめく気配がしてすぐに顔を上げた。


『拓磨様。尊様はもう、お戻りにならないのですね……』


 泣きながらか細い声で呟く暁と共に、私はその場へ座り込んだ。無様にも体が震えているのが分かる。

 あぁ。父上などもう、とっくにこの世にはいない。その偉大な力だけ奴に与えて。


「……ちっ、くそ親父が」


 父上の中から現れたのは、巨大な龍の姿だった。

 感じたことのない強靱な妖力の中に、父上の心力の気をまとい、奴は空高く昇って私たちを見下ろしていた。


 怪しく、ほくそ笑みながら。


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