第二話 安曇家と嘉納家

「ッ、やれやれ……。やはり、あの程度の式神では口ほどでもないか」


 陰陽寮、御頭おかしらの間。

 自身が弟子へ送りつけた式神が破られ、その反動で鳩尾みぞおちの辺りを強く殴られたような衝撃を受けたにも関わらず、男は嬉しそうに呟いた。


 彼こそが陰陽頭おんみょうのかみ嘉納雅章かのうのまさあきだ。陰陽一族として名を馳せる嘉納家の現在の当主でもある。温厚な性格で、常に穏やかな表情をしており、激高した姿は陰陽連の者もあまり見たことはないという。


 今、都では陰陽道を率いる者として、二大家が地位を確立させている。

 先に述べた嘉納家、そして拓磨たくまが引き継ぐことになる安曇家である。


 嘉納は古くより陰陽道に精力的に取り組んでおり、長年陰陽連を最前線で率いていた。その誠実さに帝からの信頼も厚かったようだ。

 ところが水星の如く現れた安曇という一族が、あっという間に勢力を伸ばしたのだ。彼らの陰陽の感性は天才とも称され、その名は瞬く間に広がった。


 中でも安曇 尊あずみのたけるという男は、類い希な才能を持っていた。当然すぐに男の存在は帝の耳に届き、気がついた時にはもう嘉納を差し置き、陰陽頭として陰陽連の頂点に鎮座していたのだ。

 安曇より長く陰陽連に尽くしてきた嘉納にとって、これほど屈辱を感じることはなかったに違いない。


 ところが尊はある日突然、姿を消した。

 彼が消息を絶ってからもう既に七年の歳月が流れているが、未だ生死すら不明だ。


 陰陽連は戸惑ったが、そう長く陰陽頭の席を空けておくわけにも行かない。そこで帝との協議の結果、尊の次に力を持っていた雅章がその座に就いた……、というわけだ。

 経緯は兎も角としても、嘉納は再び陰陽連の頂点に立ったのだ。


 そんな雅章だが、彼は何故か相対していた安曇家の拓磨の面倒を引き受け、弟子として育てた。それも差別することなく我が子と同じように接したのだ。

 残念ながら今では、人嫌いの拓磨からは敬遠されているが。


蒼士そうし、妖怪が出たよ。既に拓磨が向かっているが、どうする?」


 まるで精神を研ぎ澄ませるかのように、窓辺で座禅を組み目を閉じていた青年に、雅章は話しかけた。

 その声に慌てる様子もなく「えぇ、そうみたいですね」と反応した青年はゆっくり目を開き、人型の紙きれを取り出し指に挟んだ。


「式神、闇烏やみがらす


 青年が唱えると、紙きれは瞬く間に黒装束に身を包んだ無愛想な男の姿へと変え、彼の前に跪いた。彼が操る式神だ。


「父上……、拓磨相手にあんな出来損ないの爺さんとは、流石に遊びすぎですよ」

「はは。多少の張り合いでは彼に適わないからね。それなら無駄な心力しんりょくを使っても勿体ないであろう?」


 雅章の言葉に不敵な笑みを浮かべると、式神と共に青年は寝殿から飛び出していった。



 妖怪は夜間に現れる、と思われがちのようだが、実際は日中に現れることもしばしばだ。人間にだって朝型と夜型がいるのだから、妖怪に両型がいても不思議ではない。


「暁。奴はどっちに行った?」

『このまま南西方向、長屋の屋根を飛び回って移動しています』


 ちっ……、厄介だな。

 山鳥の姿で頭上を浮遊している暁の報告に、小さく舌打ちをした。


 日中に現れる妖怪は蓄えている妖力が少ない。だがその分身軽なのか瞬発力が高い傾向にあり、動きも活発だった。


 〝妖力〟とは妖怪が持ついわば攻撃力を示したものだ。この力が大きいほど奴らは強力な妖術を繰り出してくる。ただし数値に表すのは難しく、私たちは奴らが放つ〝気〟でそれを感じる他ない。

 つまり陰陽師にとってこの〝気〟を感じる能力の高さも、討伐の任務をこなすには欠かせないという訳だ。


 当然私もその能力は身につけているが、暁はどんな陰陽師よりもより繊細に感じることができた。それこそが彼女の最大の特技である。


「見つけた、あれだな?」


 庶民たちの住居である長屋の屋根を、軽やかに飛び移る影を捉えた。

 飛び回られていては埒が明かない。ならば、まずは動きを封じるのみ。


 走りながらも器用に懐から護符を取り出し、目の前に掲げた。


安曇式あずみのしき陰陽術、流水呪縛りゅうすいじゅばく!」


 唱えた瞬間、護符から二本の帯状の水が噴き出し、飛び回る妖怪を目がけて一直線に放たれていった。

 ちょこまかと逃げ回る妖怪に合わせ、水帯は空中で変幻自在に向きを変えていく。その動きを逃すことなく目で追い、妖怪の脚の一本と胴体を捉えたのを素早く察知すると、私は護符を後方へ勢いよく引いた。


 水帯に引っ張られる形で妖怪は自由を失い、地面へと叩きつけられた。


『ぎゃぁあ!!』


 奴は呻き声を上げ、舌をダランと垂らし地に伏した。

 目の前に叩き落とした妖怪は、子供一人くらいは乗れそうな大きさの、黒い犬のような姿だった。赤い目は顔の中央に大きく一つ、垂れた舌は先端から左右に裂けている。毛並みは悪く、尻尾は三本生えていた。


 第一印象ははっきり言って……気色悪い。特に舌。


「おい。これ位でくたばる奴ではなかろう?」


 この距離ならば感じる気で強さは分かる。こいつが持っているのは中の下ぐらいの妖力だ。奴はその気色悪い一つ目をカッと開くと、流水呪縛から逃れようと必死にもがいた。


『おのれ陰陽師か……。我をこんな目に遭わせて、ただで済むと思うな?』

「強がりはその呪縛から逃れてから言ってみろ」


 護符に込める力を強くすると、水帯は妖怪を更にきつく締め上げた。

 この陰陽術を操る力こそ「妖力」に対する我々陰陽師が持つ「心力」だ。心力もまた高めれば高めるほど、強い陰陽術を発動できるのだ。


 外の騒ぎを聞きつけ、長屋に住む庶民たちが部屋から出てきたようで、気がつくと辺りには野次馬が集まっていた。束縛されているため安全と思っているのか知らないが、奴を罵る者もいた。


「拓磨様、こいつは最近ここらの田畑を荒らしている妖怪です! 家畜も食い殺されて困っていますだ!」

「そうだ! 早よう退治してくだせぇ……!」


 強気な態度を見せるも、妖怪が少しでも唸ると彼らは震え上がって一歩引いた。怖いなら出てこなければいいものを……否、かなり邪魔だから出てきて欲しくないのだが。

 昼間の討伐はこうして人も集まるからあまり好きではない。


 任務で来てはいるが、他人に指示されると何だかその意欲も削がれる気がした。こちらは別に彼らのために討伐に来ているのではないのだ。

 しかし残念ながら彼らは私の名を知っている。討伐任務を命ぜられる陰陽師はごく少数だ。よって祈祷や占いなどで庶民と触れる機会がなくとも、自然と顔と名は知れ渡っていた。


 つまり面倒でもここで任務を放棄することにもいかない訳で。


「だそうだ、お犬様。可愛そうだが、お前はここまでだ」

『ぐ……、くそぉ!』


 中の下程度の妖力では私の陰陽術から逃れることは不可能だ。このまま片を付けようと別の術を使うべく、護符を取り出そうとした時だった。

 空から暁の声が降ってきた。


『拓磨様、後ろ!』


 バリバリと激しい破裂音と共に、後ろからこちら目がけて地面の下で何かが近づいてきていた。その〝何か〟が通った後は、その影響で土が盛り上がり割れ目が続いた。

 それに足を取られる前に呪縛を解き飛び退くと、直後に地面から無数の木枝が突き出して妖怪を包み込んだ。


 吹き上がる血飛沫と共に辺りに響くのは妖怪の断末魔。

 あぁ、これは……あの男の陰陽術だ。


「嘉納式陰陽術、樹巣刃じゅそうじん


 振り返った先で、地に手を着いてその術を放った陰陽師は、こちらを見てにやりと笑った。

 数少ない討伐任務をこなす陰陽師、奴もその一人。


 歳は私と大して変わらない、同じ師の元で育った男。


「よお、拓磨。悪いな、横取りして」

「……蒼士」


 嘉納蒼士かのうのそうし

 陰陽頭・嘉納雅章の息子で、世間では私と唯一対等とされる、私の同期である。

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