第二話 安曇家と嘉納家
「ッ、やれやれ……。やはり、あの程度の式神では口ほどでもないか」
陰陽寮、
自身が弟子へ送りつけた式神が破られ、その反動で
彼こそが
今、都では陰陽道を率いる者として、二大家が地位を確立させている。
先に述べた嘉納家、そして
嘉納は古くより陰陽道に精力的に取り組んでおり、長年陰陽連を最前線で率いていた。その誠実さに帝からの信頼も厚かったようだ。
ところが水星の如く現れた安曇という一族が、あっという間に勢力を伸ばしたのだ。彼らの陰陽の感性は天才とも称され、その名は瞬く間に広がった。
中でも
安曇より長く陰陽連に尽くしてきた嘉納にとって、これほど屈辱を感じることはなかったに違いない。
ところが尊はある日突然、姿を消した。
彼が消息を絶ってからもう既に七年の歳月が流れているが、未だ生死すら不明だ。
陰陽連は戸惑ったが、そう長く陰陽頭の席を空けておくわけにも行かない。そこで帝との協議の結果、尊の次に力を持っていた雅章がその座に就いた……、というわけだ。
経緯は兎も角としても、嘉納は再び陰陽連の頂点に立ったのだ。
そんな雅章だが、彼は何故か相対していた安曇家の拓磨の面倒を引き受け、弟子として育てた。それも差別することなく我が子と同じように接したのだ。
残念ながら今では、人嫌いの拓磨からは敬遠されているが。
「
まるで精神を研ぎ澄ませるかのように、窓辺で座禅を組み目を閉じていた青年に、雅章は話しかけた。
その声に慌てる様子もなく「えぇ、そうみたいですね」と反応した青年はゆっくり目を開き、人型の紙きれを取り出し指に挟んだ。
「式神、
青年が唱えると、紙きれは瞬く間に黒装束に身を包んだ無愛想な男の姿へと変え、彼の前に跪いた。彼が操る式神だ。
「父上……、拓磨相手にあんな出来損ないの爺さんとは、流石に遊びすぎですよ」
「はは。多少の張り合いでは彼に適わないからね。それなら無駄な
雅章の言葉に不敵な笑みを浮かべると、式神と共に青年は寝殿から飛び出していった。
◇
妖怪は夜間に現れる、と思われがちのようだが、実際は日中に現れることもしばしばだ。人間にだって朝型と夜型がいるのだから、妖怪に両型がいても不思議ではない。
「暁。奴はどっちに行った?」
『このまま南西方向、長屋の屋根を飛び回って移動しています』
ちっ……、厄介だな。
山鳥の姿で頭上を浮遊している暁の報告に、小さく舌打ちをした。
日中に現れる妖怪は蓄えている妖力が少ない。だがその分身軽なのか瞬発力が高い傾向にあり、動きも活発だった。
〝妖力〟とは妖怪が持ついわば攻撃力を示したものだ。この力が大きいほど奴らは強力な妖術を繰り出してくる。ただし数値に表すのは難しく、私たちは奴らが放つ〝気〟でそれを感じる他ない。
つまり陰陽師にとってこの〝気〟を感じる能力の高さも、討伐の任務をこなすには欠かせないという訳だ。
当然私もその能力は身につけているが、暁はどんな陰陽師よりもより繊細に感じることができた。それこそが彼女の最大の特技である。
「見つけた、あれだな?」
庶民たちの住居である長屋の屋根を、軽やかに飛び移る影を捉えた。
飛び回られていては埒が明かない。ならば、まずは動きを封じるのみ。
走りながらも器用に懐から護符を取り出し、目の前に掲げた。
「
唱えた瞬間、護符から二本の帯状の水が噴き出し、飛び回る妖怪を目がけて一直線に放たれていった。
ちょこまかと逃げ回る妖怪に合わせ、水帯は空中で変幻自在に向きを変えていく。その動きを逃すことなく目で追い、妖怪の脚の一本と胴体を捉えたのを素早く察知すると、私は護符を後方へ勢いよく引いた。
水帯に引っ張られる形で妖怪は自由を失い、地面へと叩きつけられた。
『ぎゃぁあ!!』
奴は呻き声を上げ、舌をダランと垂らし地に伏した。
目の前に叩き落とした妖怪は、子供一人くらいは乗れそうな大きさの、黒い犬のような姿だった。赤い目は顔の中央に大きく一つ、垂れた舌は先端から左右に裂けている。毛並みは悪く、尻尾は三本生えていた。
第一印象ははっきり言って……気色悪い。特に舌。
「おい。これ位でくたばる奴ではなかろう?」
この距離ならば感じる気で強さは分かる。こいつが持っているのは中の下ぐらいの妖力だ。奴はその気色悪い一つ目をカッと開くと、流水呪縛から逃れようと必死にもがいた。
『おのれ陰陽師か……。我をこんな目に遭わせて、ただで済むと思うな?』
「強がりはその呪縛から逃れてから言ってみろ」
護符に込める力を強くすると、水帯は妖怪を更にきつく締め上げた。
この陰陽術を操る力こそ「妖力」に対する我々陰陽師が持つ「心力」だ。心力もまた高めれば高めるほど、強い陰陽術を発動できるのだ。
外の騒ぎを聞きつけ、長屋に住む庶民たちが部屋から出てきたようで、気がつくと辺りには野次馬が集まっていた。束縛されているため安全と思っているのか知らないが、奴を罵る者もいた。
「拓磨様、こいつは最近ここらの田畑を荒らしている妖怪です! 家畜も食い殺されて困っていますだ!」
「そうだ! 早よう退治してくだせぇ……!」
強気な態度を見せるも、妖怪が少しでも唸ると彼らは震え上がって一歩引いた。怖いなら出てこなければいいものを……否、かなり邪魔だから出てきて欲しくないのだが。
昼間の討伐はこうして人も集まるからあまり好きではない。
任務で来てはいるが、他人に指示されると何だかその意欲も削がれる気がした。こちらは別に彼らのために討伐に来ているのではないのだ。
しかし残念ながら彼らは私の名を知っている。討伐任務を命ぜられる陰陽師はごく少数だ。よって祈祷や占いなどで庶民と触れる機会がなくとも、自然と顔と名は知れ渡っていた。
つまり面倒でもここで任務を放棄することにもいかない訳で。
「だそうだ、お犬様。可愛そうだが、お前はここまでだ」
『ぐ……、くそぉ!』
中の下程度の妖力では私の陰陽術から逃れることは不可能だ。このまま片を付けようと別の術を使うべく、護符を取り出そうとした時だった。
空から暁の声が降ってきた。
『拓磨様、後ろ!』
バリバリと激しい破裂音と共に、後ろからこちら目がけて地面の下で何かが近づいてきていた。その〝何か〟が通った後は、その影響で土が盛り上がり割れ目が続いた。
それに足を取られる前に呪縛を解き飛び退くと、直後に地面から無数の木枝が突き出して妖怪を包み込んだ。
吹き上がる血飛沫と共に辺りに響くのは妖怪の断末魔。
あぁ、これは……あの男の陰陽術だ。
「嘉納式陰陽術、
振り返った先で、地に手を着いてその術を放った陰陽師は、こちらを見てにやりと笑った。
数少ない討伐任務をこなす陰陽師、奴もその一人。
歳は私と大して変わらない、同じ師の元で育った男。
「よお、拓磨。悪いな、横取りして」
「……蒼士」
陰陽頭・嘉納雅章の息子で、世間では私と唯一対等とされる、私の同期である。
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