第6話 ロワ・デ・アールグレイの少女



 状況を整理しよう。


 俺はお寿司か焼肉だったら抜群に焼肉派なんだが、かと言ってお寿司を全く食べなくてもいいほど軟弱でもお人好しでもない。


 俺はただ、初めてのデートで好きな食べ物を聞いて「お寿司」とか答えてくる女が嫌いなだけだ。それってつまり次のデートで寿司食わさなきゃいかんってことだろ?


 俺は生粋のフェミニストで通っているが、そんな時はイカだけ食ってろと言いたくなるし、もっと言うならマックで吐くまで食わせてから寿司屋に行きたいっていうのが本音である。


 ちょっと説明が丁寧すぎたな。

 うん、どこがやねんってツッコミはなしだ。



   ※



「シュウ、あんたこの辺りで見かけない顔だにゃ。疑うわけじゃにゃいが、崖の上まで確かめに行っていいかにゃ?」

「それはかまわんが」


 俺は猫耳さん、もといモカと共に今来た崖を登っていく。

 道中で転がっていたチンピラを踏みながら歩いて、こいつらの仲間じゃないですよアピールしてみたがモカは特に何も言わなかった。


 崖の上に着く。

 当たり前だが、さっきダッシュで出てった時と何も変わらない。

 レジャーシートの上に、バゲットに入ったコロッケと紅茶の入ったポット、そして俺のバッグが転がっている。


「ここで何をしてたんだにゃ?」

「何もしてない。ただゴロゴロしてただけだ。そしたら崖下からあんたの声が聞こえてきてな」


 言いながら、俺はアキさんの姿を探す。

 おかしいな。さっきまで俺と一緒にここにいたのに、どこ行ったんだあの人。


「ピクニック? 一人で?」

 なおも疑わしそうにモカが眉を寄せる。


 モカは鼻をクンクンさせながら移動していて、俺のバックをひっくり返した。


「匂いは、一人分。バックの中身、石と木の棒だらけだにゃ。ここまでどうやってきたんだにゃ?」


「い、いや。なんか小鳥さんの鳴き声に誘われてチョウチョを追っかけてたらいつの間にかここに。で、コロッケでブランチなぞ」


 旅の道具がまるでない、怪しい。とかぶつくさ言っているモカを見ながら冷汗が垂れる。


 その時。


『周平くーーん。こっち来て!! 木の影です!!』


 おお、愛しのアキさんの声だ。

 首を振って探すと、遠くにある大きめの木の下で半透明のアキさんが手を振っていた。


「分かった、今行く」

 お返事をする。


「ん? 今行く? 何にゃんだ急に?」

 うげ、しまった。モカに怪しまれている。

「な、何でもない。ただちょっと精神的にちょっとイキきそうだっただけで……」


 言い訳していると視界の彼方でアキさんが天を仰いでいた。


 気を取り直したアキさんが再び叫んでくる。


『わたしの声は猫耳さんに聞こえていません。だから返事しないで言うことを聞いてください。この木の影に、わたしが背負ってきたカバンを置いています。中身は旅道具一式です。猫耳さんより早くここにたどり着いて、カバンを実体化してください。あとは何か上手いこと言って、速やかに猫耳さんを追い払って下さい』


 緊急事態だし仕方ないが、計画がずさんだな。


 ここからあそこまで200メートルくらいか。

 ダッシュすれば20秒ちょいあれば行ける。


 問題は、猫耳さんをそれまでどうやってごまかすかだ。

 しばらく考えて、気付く。

 よし、これで行こう!!


「モカさんや」

「ん?」


「拙者、ちょっとおしっこに行きたいんだが、ちょっとここで待っててくれるか? 俺はあの木の根元でおしっこしたら速やかに戻ってくるから、な?」


 しかし、俺を疑っているモカ嬢は胡散臭そうに俺を睨んでいる。


「おしっこならその川ですればいいにゃ。なんで木まで行くんだにゃ」

「い、いや。この川ですると近すぎて恥ずかしいだろ。音姫もないし」


「何言ってるんだにゃ。まさか、あの木のところに仲間が隠れているんだにゃ? 怪しいにゃ」

「い、いや待て。じゃあ今のはなしだ。そうだ、こうしよう。しばらく、後ろを向いていてくれ。その間に川で済ますから」


「だめにゃ。やっぱり絶対怪しいにゃ」

「そ、そんなこと言ったって、おしっこなんて永遠に我慢できんぞ。やつらはこっちの事情とか汲んでくれないんだぞ」


「とにかく、あんたに背は向けられないにゃ。さっきの戦いでの身のこなし。危険だにゃ」


 く、くそう。じゃあ一体どうしたらいいんだ。


 お互いしばらくシンキングタイム。


「じゃあこうするにゃ」

 モカが口を開く。

「このポットをウチが持つ。で、あんたは両手を後ろに組んだままこのポットにおしっこする」


 ま、マジか。

 ポットにおしっことか、アバッキオ以来の発想をしてくるなこの獣人。


「ほ、ほかに方法はないのか?」

「異論があるなら今聞くにゃ」


「………………」

「………………」


「わ、わかった……」


 モカは紅茶の入っていたポットを逆さにし、中身を捨てた後、両手で中腰に構えた。

 ちょっとバレーボールのレシーブ体勢に似ている。


「ど、どうぞ……」

「ズボンを下ろして、本体を出すところまでは自分でやっていいか?」


「知らないにゃ。勝手にするにゃ」


 言われた通り、本来の俺を外界に降臨させる。

 モカは猫耳まで真っ赤になっていたが、これはどうしようもない事案なんだ。

 我慢してくれとしか言いようがない。


「手を後ろに組むにゃ」

「分かった」


 教官ポーズでしばし待つ。


 しーーん。


 うん。何も出ないな。


 そりゃそうだ。おしっこはあの木にたどり着くためのただの言い訳で、俺は今現在、尿意など全く感じていない。

 健康診断の検尿とかで、たまに全くでなくて看護師さんがキレてる時があるが、俺はそれを思い出していた。


「は、早くして……」

「緊張して出ないんだ」

「ウチ、もう耐えられへん……」


 うむ。依然、うちの親方は寡黙なままだ。

「う、うぅう。な、なんで? なんで出えへんの? もうウチ意味わからへん。なんでなん? ひっくひっく……」


 モカが泣き出した。

 俺も別になにも泣かしたいわけじゃない。

 懸命に問題解決に頭を悩ませる。


 そうかっ!!


「分かったぞ!!」

「にゃ、にゃにが?」

「俺はいつも左手を根元に、右手を頭の方のここら辺に当ててするのがオーソドックススタイルなんだ。そうしてないから尿意が湧かない、そうだろっ!!」


「そ、そうなの? ウチ、ウチもうようわからへんよぉ。どうしたらいいん?」


「手をこことここに添えるんだ」

「できんよお」

「お前ならできる!!」

「じゃあ、ポットはどうしたらいいん?」

「頭の上に乗せればいいだろう!!」


 ぐっす、えっぐ、ひっく、めそめそ。

 モカはもうボロ泣きだ。


 だが俺のマインドコントロールでメンタルを破壊されたモカは従順に俺自身に触れ、頭上で器用にポットを支えている。


 おお、自分で言うのもなんだが、すさまじい光景だな、これは。


「ではいくぞ」

「お、おいでやす……」


 せーのっ!!

 じょろんじょろんじょ、ろん♪


 ふい~~。

 何とか出たな、ミッションコンプリートだ。


「おい、もういいぞ」

「ぜ、全部出たと?」

「ああ、手を放してもいいぞ」

「よかったにゃぁ」


 モカがご神体から手を放す。

 その瞬間、押さえつけられて出きっていなかった尿の残りが解き放たれた。


 びっ!!


「ふ、ふわわ、か、顔に雫が!!」

「よせ!! 動くなっ!!」


 慌ててとめたが遅かった。


 バランスを崩したモカの頭上から、搾ったばかりのロワ・デ・アールグレイ(アールグレイの最高品質)がこぼれた。


 ああ、時すでに遅し。

 びしょびしょである。

 もっと言えば、美女がびしょびしょである。


「う、うわあぁーーん!! もう、もうイヤや!! ウチおうち帰るうっ!!」

 ギャン泣きしたモカが爆速で駆け出した。


「おーーい。川で洗ってからの方が良くないか?」

「うるさい!! バカ!! 死ね!!」


 な、なんて失礼な奴なんだ!!

 こっちは善意で言ってやってるというのに。


 さて。じゃあ今のうちに木のところまで行って、カバンを実体化して……。


 はて? 考えてみれば、もうその意味ないんじゃないか? 当初のスケジュールと何かが違う気がするが、結果オーライだ。


 俺は達成感に身をゆだね、ゆっくりとアキさんの待つ木の根元へと向かった。

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