第5話 世界はただ美しい
見渡すとそこは、美しい春の花が咲き誇る山間の川べりだった。
息を吸い込むと花の甘いような青臭いようなむせかえる薫り。
小川は澄んでいて、緩やかな浅い流れの底に砂利が並びその上を幾匹かの魚影が踊っていた。
「気持ちいーな。これじゃ異世界の冒険っていうよりハイキングだ。日本は冬だったのに異世界は春なんだな」
花の上に寝っ転がってそう話しかけると、俺の頭上をふわふわと浮いていた半透明のアキさんが答える。
「正確には、異世界が春なのではなく、この地域が春なんです。異世界『ラグンシュカ』は地球の半分ほどの大きさですが、地域によって気候も四季も折々なんですよ」
なんでもいいや。真冬から突然春に来た。それだけで十分である。
暖かさに汗ばむ肌が心地よくて、柔らかな陽光のおかげで、ここに来るまでのいざこざを忘れそうだった。
※
「イヤだ、絶対にイヤだね!! なにがお勉強だ!! 俺は現場主義なんだ。アキさん、あんただっていやだろ? 四十越えてAⅤだけで女に触れたこともないおっさんと、二十歳で百人斬りを達成したイジリー岡田似のフリーター、どっちがいいかは明白だろう?」
「いや、どっちも嫌です……」
「とにかく!! せっかく速攻で異世界に行けるのに、まずは異世界のお勉強をしてからなんて生殺しもいいとこだろう。バカバカしい、俺は今遊びたいんだ!!」
「どっかの王様かあんたは」
「もういい。あんたの言うことを聞くのは今日までだ。実家に帰らせていただきますっ!!」
「待ちなさい、周平くん!! せめてナト様のお許しがないと……」
んで。
「なんだ、そんな事か。それならばアキよ。きみがシュウに付いて行けば良い。何か問題があるか?」
「し、しかし。わたくしにも業務というものが……」
「どのみち、だ。シュウが異世界に行くときは、サポートとしてそなたらの中の誰かしらが帯同する手はずだったのだろう。それが遠縁であるきみになって、その時期が少し前倒しになる、それだけだ。問題は何もない」
「大ありです。上司の許可もなくそんな事できませんし、そもそもサポートの人員はすでに決定していて……」
「何を言っている。その上司の許可に許可するのが我である。帯同の人員が決まっていたのなら、その者をきみの業務に就かせればよい。異動許可は出しておく。どうせきみの課は閑職みたいなもんだろう。どうとでもなる」
言われて、アキさんが悔しそうに瞼を震わせた。
そうか、アキさん窓際族だったのか。
なんか身内びいきな目で見ていたのか、もっと有能な人だと思っていたが現実とは時に残酷である。
「わ、分かりました。せめて、引継ぎに三日ください……」
「だ、そうだ。待てるか、シュウ?」
ここでさらにゴネてみるのもそれはそれで面白そうだったが、遠戚をいたぶって笑えるほど俺も鬼じゃないので同意する。
※
ほんで。
「なんかこの辺、異世界っていうか現実世界の山ん中とたいして変わらない気がするんだが、最初にここに来たのってなんか意味があるのか?」
そう聞くと、アキさんは空を漂うのをやめ、ゆっくり俺の横に降りてきて膝を抱えて横に座った。
「知っていて欲しかったんです」
「ん?」
「この世界が、美しい場所であるということを」
俺は何と答えたらいいのか分からず、アキさんのしゅっとした武士の奥方のような横顔をただ見つめる。
「水も、風も大地も空もきっと、ただ理由もなく美しいんです。その中で人間だけが、絶えず傷つけ合い、争い、奪い合ってきました。有史以来、人間が争い合っていなかった時間なんて、地球上で一秒もなかったでしょう。でも、そんな人間は同時に、この世界の美しさを知っています。恐ろしく残酷で、悲しいくらい慈愛に満ちた人間という存在を、どうして神は、神々はお創りになられたのでしょう?」
「知らんよ、そんなこと。俺に分かる訳もない」
「わたしはね、こう思うようにしているんです。神さまはきっと、人間をお作りになった理由を忘れてしまっているんです。それを、思い出して差し上げるためにわたしたちは神さまにお仕えしている、って……」
「………………」
「か、関係ない話しちゃいましたね。今日は記念すべき周平くんの異世界生活初日です!! わたし、コロッケ揚げてきたんですよ。食べましょう食べましょう!!」
なんか、気のせいかな。
暖かな日差しの中、隣に座る幽霊らしくない幽霊のアキさんが笑って細めた垂れた目尻から、涙の欠片が見えたような、そんな気がしていた。
※
俺たちはレジャーシートの上でコロッケを食いながらのんびり話し合う。
あと蛇足だが、アキさんが山盛り抱えている荷物は、俺が「魔女の銀片」を握りながら触れることで、この世界に実体化する。
逆もしかりで、この世界のものをアキさんに持ってもらうこともできる。
人間アイテムボックスと名付けたい。
だから俺は着の身着のままにボディバッグ一つでこの世界に来たが、アキさんはドラクエの商人くらいデカい背負いカバンとショルダーバッグ、二つも持っている。
背中にも背負って、肩からも斜めにかけていたから、正直ちょっとダサい。
まあ俺のサポートで付いて来ているのだから、ぶっちゃけ使えるだけ使ってやろうと思っている。
それはともかく。
「まず基本その一っ!! わたしをアイテムボックスとして扱わないこと!! 何ですかこの無駄な石っころや木の棒は? 子供じゃないんだからまったくもう。カバンにだって収納限界があるんですからね。このゴミは自分で持っててください。冒険の記録ノートに書いておきますからね」
「いや、それはいざという時のための武器なんだ。その石とか変わった形しててカッコいいだろ?」
「ゴミです」
女っていうのはホントに現実主義者だな。
思い出した。
前に、ららぽーとで暇つぶしに物色していたらFFのバハムートのフィギアを見つけて、喜び勇んで買って帰ったら、無駄遣いすんなと怒った奈都に羽をもぎ取られた過去がある。
そんなことを思い出していると。
「ウチに触るなっ!!」
突然、高い叫び声が聞こえた。
なんだなんだ?
聞こえてきた方を追ってみると、ここから見て崖下に、数人の男たちが一人の女の子を取り囲んでいるのが見えた。
おまけに女の子は素手で、周りのおっさんたちは武器を手から下げている。
「アキさん、あれ」
「ええ。少し成り行きを見てみましょう」
言いながら、アキさんが小振りの短刀を手渡してくる。
俺は受け取って実体化し、動向を見守る。
「お前たちのことは、この街に来た時から目障りだと思っていたがぁ、お前さんがまさかの単独行動とはなあ!! あのパーティーのメンバーだ。人質として売って良し、奴隷商人に引き渡しても良し、あるいはぁ、思い切って俺たちの女になってみるかあ~~?」
族の長っぽいモヒカンがそう言うと、周りのチンピラがお決まりのようにガハハ、と笑う。
チームプレイができているなと、俺はどうでもいい感想を抱いていた。
その間にもやつらのトラッシュトーキングは過熱していく。
言い合いをしている連中を上から見てて気づいた。
あの子、獣人ってやつだ。
猫っぽい耳に、明るい栗色のセミロングが眩い。
後ろか見ると、お尻のあたりから細長いしっぽが出ている。
顔は背を向けているので見えないが、体はムチムチでとても美味しそうだ。
戦闘になったらどっちの味方に付くべきか一瞬本気で迷った。
「周平くん?」
いつの間にか横に来て崖下をのぞき込んでいたアキさんが俺を睨んでくる。
「何を勘違いしている。俺は生きとし生けるすべての美しい女の味方だ。だから一旦、あの子の正面に回り込んでみようと思うんだが」
「顔見て判断するな、すぐ助けろや!!」
「いや、そうは言うがこんなちっちゃいナイフで何ができるっていうんだ? 相手、斧とか持ってるんだぞ? 言いたくないが、カッコよく散るくらいなら、俺は見てみないふりができる男なんだ」
「いいからやれ」
さっきまで完全にピクニック休憩だったのに、今はもう戦闘待ったなしだ。異世界マジ半端ないと思いながら言われた通り、なだらかな崖を駆け下りてダッシュする。
「ウチ、あんたたち嫌い!! 邪魔するなら、ぶっ倒す!!」
猫耳さんが叫んで、いきなり戦闘が始まった。
男たちが鬨の声を上げて応戦する。
おいおいおい、シャレになってませんよ、これ。
女の子一人を相手に、大の大人が八人ほど徒党を組んで襲い掛かっている。
日本国内で見かけたら一発で通報対象だ。
だがしかし。
猫耳さんは恐ろしい速度で飛ぶように動き、モブたちを蹴散らしていく。
しかも、バトルモードになると獣人って手足が変化すんのな。
さっきまで普通の手足だったのに、今はこぶしと足裏が一回り大きくなっていて、ふさふさの毛に包まれた肉球と鋭そうな爪でばったばったとモブを薙ぎ払っている。
俺は助けに駆け付けたはいいものの、猫耳さんの驚異的な戦闘力を目の当たりにして戦意喪失し、仕方なく殴られて気絶していたモブの胴体を蹴って憂さを晴らしていた。
「くっ、まだ居たか!! えい!!」
突如、猫耳さんが俺に気付き突撃してくる。
「おわっ。ちょ、待てよ。あ、あぶねー」
「ていっ、たあ、せいっ!!」
猫耳さんの悪魔の如き連続攻撃が俺を襲う。
ちょ、ちょっと待ってくれ。
ま、マジあぶねえんですけど!!
無我夢中で攻撃を避け続けていた俺は、しかし気付いてしまった。
避けると、獣のような俊敏さで体勢を立て直す猫耳さんの豊満なお乳が、上下左右にバルンバルン揺れているのが見れる。
おい、これマジか、世紀の大発見だぞ!!
ニュートンざまーみろと思いながら俺は別人のように軽くなった体でステップし猫耳さんの攻撃をいともたやすく回避していく。
しばらくすると猫耳さんの息が上がってきた。
俺も奇遇だが別の意味で息が上がっている。
猫耳さんはその鋭い目つきでニヤッと笑い、俺に話しかけてきた。
「獣人族のウチの攻撃を躱せるだけのスピード。反撃もしてこないその余裕。あんた、ただ者じゃないにゃ? 何者だ」
「俺はなかはら、じゃなかった。シュウと言うものだ。刃をひけ、猫耳さん。俺たちには互いに誤解がある。俺は崖上からたまたまあんたを見かけて助けに来たんだ。戦いは本意ではない。別の意味で俺の中の俺自身があんたと戦いたがっているが、男の子なのでそれはもうどうしようもないことなんだ」
「な、何を言っているのかよく分からにゃいが、ウチの名前はモカ。モカ・ブレンディだにゃ。所属ギルドは『闇を切り裂く剣』、だわん!!」
………………
…………
……
「そうにゃんですね……」
「そうだにゃん……」
「もう遅いわっ!!」
最後に何で犬ボケしてきたのか謎だったが、この日、こうして俺は獣人族のモカ・ブレンディと出会ったのだった。
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