第4話 ラグンシュカ・ホテル part2



 戸惑ってはいたが、文字が読めるというのは非常に便利だった。


 もう二部屋ほど試しに入ってみたが、どこかの山中と、同じくどこかの蔵の中に出て、今度は○○県××家の蔵などと書かれていたので、3Fに関しては途中から部屋の前に行き、行き先を眺めるだけとなった。


 そして、エレベーター前に再び立って、俺はやっと気づいた。

 エレベーターの上の枠に、「3F、アジア、日本」と書かれていた。


 徒労感に体が重くなる。

 貴重な体験をしたという反面、非常に無駄な時間を過ごしたという感覚が拭えない。


 昔、海外のホテルに泊まった時もそうだったな。

 読もうと思ってアルファベットを真剣に追いかければ、案外読めるものなのだ。

 しかし「英語読めんしなあ」とアルファベットをただ眺めていると、それは意味の分からない苦手な記号になり果てる。


 反省した俺は、まず全体を掴むことにした。


 フロアマップの表示板を探して、一つ一つ読んでいく。

 アジア、ベトナム。アジア、中国その一。などなど。

 なるほど。地域と国で、整然と区分されているな。

 ヨーロッパ。北米。アフリカ……。


 マジか、世界中、異世界とつながりまくりなんだが!!


 そしてまた気付く。

 今さらだが、改めてフロアマップに目を通してようやく気付いた。


 このホテル、地下がある。


 しかも上に無限に伸びていると思えるほどに世界各国を網羅している、と思っていたのと同じほどに、地下に深く深く伸びているのだ。


 行き先の地名を見ると、聞きなじみのない国や地域の名前がずらりと並んでいる。

 これたぶん、異世界の地名ってことだよな。


 フロアマップから離れてエレベーターの降りるボタンを押した。

 乗り込むとしかし、地下を示すボタンがない。

 地下専用のエレベーターが別にあるのかもしれない。


 さっきからうっかりが続いていたので念のため、表示を確かめる。


 すると、1Fの下に、Lの文字があった。

 さすがに覚えている、前に海外に行ったときに勉強した。

 LはロビーのLだ。


 そして、大した発見じゃないがまた分かったことがある。

 俺が最初に見たエントランス、あそこは本当にそのまま1Fだったんだな。

 思わぬ観光気分と発見に多少浮かれていたが、本命は異世界だ。

 地下に伸びているのなら、地下一階部分がロビーであるのも頷ける。



   ※



 地下のロビーでエレベーターが止まり、降りて見渡すと、ここにもあったラウンジでナトが何かを飲んでいるところだった。


「やあシュウ。世界旅行は満喫できたか?」

「ナトか。いや、途中から謎解きがメインになっててな。実はほとんど行ってない」

「ん? 謎解きの要素なんてあるか?」


 他意はないのかも知れんが、腹は立つな、そう言われると。


「ま、いい。改めてようこそ。ここが異世界、『ラグンシュカ』への入口だ」


 そう言われても、異世界感は一切ないな。

 近代リゾートホテルから、オペラでもやってそうな古い劇場のロビーに来た、ぐらいの感動しかない。


 俺が無反応でいるとナトは多少不機嫌になったように見えた。


「ちなみに。上の階で見たもの、というか、このホテルの存在自体、他言無用だ。普通、勇者の卵たちは最初のきみのように、それぞれとある部屋で目覚め、神の説明を聞き、そしてそのまま異世界「ラグンシュカ」へと飛ばされて生まれ変わる。きみのように、ここがホテル型の転移施設であることを知りもせず、だ」


「それは、俺が調停者だから教えてくれるのか?」


「そうだ。きみは勇者ではない代わりに、勇者にはない特権が与えられている。このラグンシュカ・ホテルの存在を知っていることも、特権の一つに含まれる」


「このカードキーもか?」


「そうだ。それは『魔女の銀片』と呼ばれる魔具だ。簡単に言うと、どこでもドアだ」


「言っちゃダメえ!!」

 俺は絶叫する。


 ナトは笑っていたが、やがて笑顔を引っ込めて少し真面目な顔になった。


「少し話そうか。魔女の銀片、その力について。真面目に忠告するが、調停者はこの特権に溺れる。きみも溺れる。間違いなく溺れる。自分だけは違うと否定はさせない。これは過去の調停者を見てきた我の真理だ」


「…………」


「勇者の卵たちは、冒険をし、経験を積みながら魔女を探す。情報を集めることから始めないといけないんだ。人に聞き、伝承を調べ、地べたをはいずり、地道にコツコツ、何年も、何十年もかけてな。それでも魔女の居場所を見つけることさえ叶わない勇者の卵がいったい何人いたと思う? 一方きみは、その気になれば一瞬でその居住へと近づける。どこにあるか知りもせず、ひょい、とな」


 ナトは一度言葉を切り、再び話し始めた。


「同じように、ある場所からある場所へと移動するとしよう。きみは最寄りの扉からこのホテルに帰ってきて、あくびでもしながら、ラウンジで軽く一杯コーヒーでも飲んでから、違う部屋の扉を開ければいい。他方、勇者はどうだろう? きみの想像でいい、言ってみろ」


 話は本気でマジらしいので、俺なりにちゃんと考える。


「異世界っていうくらいだから、俺のイメージでは、中世ヨーロッパくらいの文化レベルなんじゃないかと漠然と思ってるんだが」


「うん」


「きっとその頃って道とかも全然舗装なんかされてなくて、勾配があって、ぬかるんだり石ころが多かったり、もっと言えば山や谷や砂漠だってあるだろうな。天気だって毎日変わるだろうし。車や鉄道があるような世界かどうか知らんが、想像するに乗れても馬車とか、水を渡るなら木製の船とか、俺のイメージではそんな感じだ」


 ナトは黙って聞いている。


「勇者や魔女のいる世界だから、やっぱりモンスターとかもいるんだろう。そんなもんと戦った経験なんてないから陳腐だが、ただ移動するだけで毎回命の危険を感じるんだろうな。ああ、あと旅の道中の食料とか、たぶん武器とかほかにも、担いで移動、するんだな、その人たち……」


 想像して、眩暈がした。

 そうして過酷な旅をする勇者たちを、ただ勇者、と呼べなかった。その人たち。人間が、そうして生きているのだ。

 俺と同じように現実の世界で死んで、異世界に飛ばされた人間たちが。


「魔女の銀片。その力と、きみが導くべき勇者たちの苦労。少しは分かったか?」


「ああ、少しだけな」


「そして忘れるな。敬意をもって、哀れな勇者に思いを馳せろ。そして忘れるな。いざという時、その敬意をかなぐり捨てて、容赦なく哀れな勇者を殺せ。この特権は、その対価として調停者に与えられた、ある意味当然の権利だ。矛盾しているだろう?」


 そう言ってナトは笑った。

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