第3話 呪詛返し

 学校の廊下。生徒たちがうわさする。


猫崎ねこさきさんすっごいオカルトマニアらしいよ。神社に住んでてお札がバーっとはってあるんだって」

「何それ。キモくない?」

「今度いじってやろうよ」


 ゲラゲラ笑っていたら、ある女子生徒がこちらに向かってツカツカやってくる。


「あ……」


 猫崎ねこさき言子ことこ


「言いたいことがあるならコソコソしないで堂々と言いなさいよ」


 生徒たちは、クモの子を散らすように逃げていった。


 

 言子は胸を張り、奇異の目を向けられるのにも構わず胸をはって歩く。

 窓からキジトラの猫の師匠がのぞいているのを見つけ、立ち止まった。


「あら」

「護衛じゃ」



 

 言子も普段はただの中学生だ。学校では授業を受ける。

 その時も、師匠はひざかけの下で丸くなっていた。

 ボソボソ話しかけられる。


「今も昔も人間は変わぬのぉ。嬉々として話す悪口に呪詛じゅその念がこもっておる」

「師匠、今授業中ですよ」


 と言いつつ、視線を落とした。

 言葉は適切に扱わなければならない。込められる呪詛じゅそは強いのだから。時として人を死に追いやることだってある。

 佳恵かえちゃんだって。

 黒板の前の先生が言う。


猫崎ねこさきさん、教科書のこの部分を読み上げてください」

「あ、はい」


 言子は立ちあがる。師匠は人目も気にせずひざから飛び降りた。

 めくった教科書の文字を、あまり頭を使わずそのまま読みあげた。


「『これを聞いている中に、下人の心には、ある勇気が生まれた。それは、彼女が僕を愛さなくても、彼女の愛の念が僕のほうに向くまで、根気強く彼女を愛し続ける勇気である』」


 教室内はざわついた。

 足元の師匠もひげをピクピクさせる。

 先生は口をあんぐりあけた。


「猫崎さん? 何を読んでいるの?」


 言子は我に返り、教科書を見直す。

 今言った言葉とは、全く違う文章が書きつらねられている。

 ノートもめくった。ページは見覚えのない文字でびっしり埋めつくされていた。


『愛してる愛してる愛してる愛してる……』


 寒気とふるえが止まらない。

 



 紫園しおんの部屋は、壁一面に言子の写真が貼られている。

 その部屋のまんなかで、紫園はノートを開き、ページを文字で埋めつくす。


「愛してる愛してる愛してる……」


 書いているうちに真っ黒になったので、ペラっとページをめくった。

 白いページいっぱいに、ゆがんだ赤い文字が書かれている。


『呪ワレタイカ?』


 自分では書いた覚えのない文字。

 呪詛が返ってきている。彼女が反応してくれたのだ。

 よろこびに包まれた。


 


 昼休みになると、言子は屋上に行きお弁当を食べる。

 ながらでスマホで猫が甘える動画を見るのが日課だ。


「かわいいー」


 駆けつけた録がソワソワし、師匠はウロウロしている。


「授業中のこと放っておいていいの?」

「先ほどのあれは呪詛じゅそであろう。そのうちあやつはお主の呪詛の網も破るのではないか?」

「大丈夫。本人は近寄れないはずだから。それに呪詛は気にしないのが一番の防御。師匠も言っていたじゃないですか」


 それに呪詛返しもしておいた。十分だろう。

 おすすめに、ある動画が表示される。猫が飼い主のひざの上で寝ている動画。

 かわいかったのでクリックした。

 動画が再生される。

 首のちぎれた猫をひざの上に乗せ、若い男がニコニコ笑っている。


『言子、うちの猫かわいいだろ。遊びにおいでよ』


 激しい胸やけがして、食べ物を吐きだす。落としたお弁当は、腐って粘り気をおびていた。

 録がすぐさま動画を消す。




 撮影所。パシャリ、パシャリと、ポーズを決めた紫園しおんを、カメラが撮影する。

 休憩時間になると、紫園はドサっと椅子に座った。

 整った顔は真っ青で、今にも倒れそうだ。

 スタッフが声をかける。


「シオンくん、大丈夫?」

「ええ……。愛する人からの……、愛のお返しなので」


 息も絶え絶えに言われても、スタッフにはよくわからない。

 キャーっと悲鳴が上がった。写真を確認しているスタッフたちがおののいている。


「なにこれ」


 写真のなかのポーズを取った紫園の背後に、不鮮明な顔が浮かんでいた。目のない猫のようなもの。

 ドサリと、紫園が倒れた。


「シオンくん!」


 紫園の息はあらく、苦しそう。スタッフがひたいに手を当てると、燃えるような熱が伝わった。


 


 学校が終わると、言子はスーパーまで買い物をしに行く。


ろく、今日は補習ですって。成績大丈夫かしら」


 師匠は背中のリュックに入れていた。


「お主は自分の心配をせよ」


 ブーっ、ブーっと、スマホが何度も鳴った。


「うるさいわね」


 言子が見れば、何百件というメッセージが届いている。


『愛してる』

『一緒に死のう』


 様々なアカウントからだ。止む気配はない。

 師匠がリュックから頭を出した。


「わしが止めよう」

「大丈夫です。この程度なら……」


『きみが僕を愛さないのはあの小僧のせいか?』


 激しい恐怖がわきあがった。


 


 夕焼けの赤い道路を、言子は電話しながら疾走しっそうした。師匠も走る。


「師匠、電話がつながりません」

「落ち着け。おそらく呪詛じゅそで電波が妨害されておる」

「言子さん」


 呼び声に横断歩道の向こうを見れば、録がいた。

 彼はこちらに駆け寄ろうと、赤信号の横断歩道をつっぱしる。

 言子は無我夢中で走った。


「録! ダメ! 信号が……」

「言子さん! 信号!」

「言子!」


 録と師匠の叫びに、ハッとわれに返った。

 いつのまにか、言子は横断歩道の真ん中に立っていた。

 信号は赤。

 知らぬ間に呪詛をかけられたのだ。

 目の前に、紫園しおんが立っている。


「行こう。二人だけの世界に」


 ゾッと背筋が凍った。

 トラックがつっこむ。

 師匠が呪詛を込めて叫んだ。


「そこのとらっく、停まれっ!!」


 キキーっと耳をつんざくような急ブレーキ音を立て、トラックは停まった。

 紫園の姿はどこにもない。

 言子はひざの力が抜けた。

 あの男は危険すぎる。

 


 

 録はショックで話せなくなった言子の代わりに、警察からの事情聴取を受けた。

 呪詛師じゅそしの男にストーカーされているから保護してほしいと言葉をつくしても、信じてもらえない。

 嘲笑され、ろくのほうが頭がおかしいような扱いをされた。



 

 警察から帰ったあと、録は言子から神社の木の下に呼びだされた。

 待てど暮らせど言子は来ない。


「どうしたんだろう。まさか……」


 いやな予感がした。神社のそばの言子の家に行こうとする。

 不意に、心臓のあたりが切り裂かれたようにひどく傷む。


「うっ……」


 ひざをついて胸を抑えた。

 ズキズキとした激しい痛み。けれど血一滴も出ていない。

 呪詛の力。

 紫園が来たのか?


「もうここには来ないで」


 録の前に、ひとりの少女がやってくる。

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