第2話 墓場の呪詛

紫園しおん……」


 紫園は片手でナイフを取り出した。


「僕はきみのことだけを思い続けてきみのことだけ念じてきた。きみは言ったよね。僕が死ぬ時は、きみも一緒にってくれるって」


 似たようなことは確かに言ったことがある。

 ひざを抱え泣いていた紫園しおんに。


『誰も僕を愛してくれなかった。この力のせいで親も友人も恋人も誰もかれも、みんな離れた。僕は永遠に一人なんだ』


 あわれな人だと思った。なぐさめようと頭をなでた。


『私も同じ力を持ってるわ。だからずーっと一緒にいてあげる』


 そのとき彼は顔をあげた。女神でも見るように、言子を見つめてきたんだっけ。


「……一緒に死ぬとまでは言ってないんだけど」


 紫園しおんはナイフの切っ先を向けてくる。


紫園しおんいさぎ。17歳。モデル。まったく。女の人には顔だけで男を選ばないでほしいね」


 突如声がし、ナイフが止まった。


「お主もたいがいじゃが」

「どういう意味?」


 体育用具の裏から、男子中学生とキジトラの猫がひょっこり顔を出した。

 言子はクスクスと、紫園をせせら笑う。


「計画通り。ざまあみろ。掃除もしなきゃね。汚い字、消えろ!」


 霊力を込めて怒鳴る。壁の『愛』やら『死』やらの文字が、すぅっと消えていった。

 呪詛じゅそで書かれたものなら呪詛で消せる。

 紫園は不愉快そうに、言子の首をはさむ腕の力を強めた。


「僕たちの愛を邪魔しないでくれる?」

「愛? あなたのは一方的な呪詛でしょ。呪詛師が自分の欲のために呪詛を利用すれば天罰が降るわよ。動くな!」


 霊力を込めた命令の言葉は、紫園をがんじがらめにし、ナイフを持ったまま動けなくさせた。

 紫園が舌打ちする間に、外からサイレンの音が響く。


「イチイチゼロもしておいたぞい」

「したのは俺だけど」


 ここに紫園をおびきだし、ナイフを出させて警察に現行犯逮捕させるのが目的だった。


「じゃあね」


 紫園をおいて、言子は録や猫師匠と一緒に倉庫を出て行く。

 言子の背中を、紫園が執拗に目で追っていることも知らずに。

 



 数日後。百合の花を買ってから、言子は墓場に立ち寄った。

 墓前で手を合わせる。

 百合をくわえたキジトラの猫師匠も、花を供えた。


佳恵かえちゃん、ろくは元気よ。最近は呪詛師じゅそしの仕事も手伝ってもらってるの。呪詛で相手を苦しめる人が多いから忙しくなっちゃってさ。言いたいことがあれば本人の前で堂々と言えばいいのにね」


 あの子は1年前、ひどくいじめられ、家に引きこもって泣いていた。

 ある日スマホで自分の悪口が大量に書きこまれたSNSを見てしまい、屋上から飛び降りた。

 言子が気づいたとき、あの子には強い呪詛じゅそがかけられていた。集団の悪口や陰口、陰湿な悪意が、呪詛師なしで呪詛の塊になったのだ。


「言葉には力があって、悪い言葉は呪詛になることを、みんなわかってない。佳恵かえちゃんみたいな人を守れるように、私がんばるから」


 だからあの男からも離れた。

 背後に人の気配がした。ふりかえると、背の高い若い男が立っている。

 紫園しおん


「なんで……」


 逮捕されたはずなのに。

 師匠は毛を逆立てる。


「言子よ。イチイチゼロじゃ」


 紫園しおんは気味の悪い笑みを浮かべた。


「警察に言っても僕は釈放されるよ。証拠不十分でね」


 呪詛に証拠は出ない。そして大体の人は信じない。

 それにしたって、ナイフでかよわい少女をおどした男を、平気で解放するなんて。

 イライラして舌打ちした。師匠も尻尾で地面を叩く。


「なにがねらい? 私に呪詛をかけたいの? ムダだから」

「愛している。きみにどんなことをされても」

「わかってる? あなたより私のほうが強いの。今の寒いセリフも弾いたわ」


 紫園の足元の地面に、いつの間にか『愛』の文字が書かれている。その形は、粘土細工を思いきり地面に叩きつけたようにゆがんでいた。

 紫園は楽しそうにくすくす笑う。


「わかってる。きみの首に鎖をつけるには僕も全力を出さなくてはならないってね」


 彼の足が一歩近寄った。

 言子は肝を冷やす。


「近寄るな!!」


 呪力を込めて怒鳴る。

 言葉は呪詛となり、紫園をからめとった。

 これで動けなくなるはず。


「愛しているのに!」


 言子には、空中に浮かんだ『愛』の文字が見えた。その字は言子の言葉を弾き返し、圧を持って迫る。

 自分の呪詛が破られるなんて。

 師匠も目を皿のようにしておどろいている。


「こんなに人を愛したことはないんだよ。きみのことだけ考えてきみのことだけ見ているんだ。いつでも一緒にいよう。前みたいに」

「もう私に構わないで。あんたなんか嫌い」

「なら一緒に死のう」


 『愛』の文字が言子に巻きつこうとする。紫園はナイフを取り出した。

 師匠がジャンプし、紫園の顔を思いきりひっかいた。


「……っつ」


 彼の呪詛が弱まったすきに、言子は師匠と走って逃げる。

 


 

 街はずれに猫崎ねこさき神社という古い神社がある。小さくも大きくもない、中くらいの神社だ。


 白い着物の言子は、池に入って手を合わせ、念入りにみそぎをした。


 


 神社のそばには小さな家がある。

 リビングで、ろくはレシピブックを見ながら、いくつもの細長いコップに、クリームやチョコやフルーツをつっこむ。


「次はホイップを乗せてと」


 キジトラの猫師匠は椅子の上で丸くなり、肉球でスマホをポチポチいじっていた。


「すまほはむずかしいわい」

「ていうか猫の手に反応するの?」


 リビングに白い着物の言子が入る。


「あ、言子さん。言われた通り作ったよ」

「ありがと」

「ところでこれは何の呪詛に使うの?」

「それはもちろん……」


 スマホをくわえた師匠を持ち上げ、ひざの上に乗せて椅子に座る。

 それからパフェのやけ食いを始めた。

 録はあきれている。


「食うためかよ。糖尿病になるぞ」

「あんた何歳?」

「それより大丈夫? 例の言子さんの元カレ。あの超ヤバい人。神社や学校に来たら困るんじゃない?」

「へーき。街全体に呪詛かけておいたから。呪詛師やってればこういうこともあるわ」


 カゴに収まった師匠を乗せ、街中を自転車で走り、あちらこちらに呪詛をかけておいた。


『紫園シオンは猫崎神社と猫崎中学校の半径40キロメートルに近寄るな』


「でも墓場じゃヤバかったんだろ」

「あの時は力で押されたのよ。けど呪力の網目あみめを張るのは私のほうが得意なの」

「俺、言子さんの警護をするよ。姉さんもきっとそれを望んでる」

「やめなさい。危ないからあなたはもうここに来ないで」

「やだ」


 固い決意の言葉。

 いつも言い出したらきかないのだ。


「もう。知らないわよ」


 少し安心してしまう自分がいた。

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