第1話 ストーカー

 1年前のある日、紫園しおんは年下の恋人から桜の木の下に呼び出された。


「別れたいの」


 桜が舞い散るなか、突然告げられた。

 冗談だと思った。


「そうやって僕を試しているんだね。わかってるよ」

「違う。あなたといると息苦しい」


 彼女の片足が一歩下がった。

 不安がうずを巻く。

 本当に自分の前から消えてしまうのではないか。

 逃さないよう、恋人の細い二の腕をつかんだ。彼女は肩をふるわせる。


「僕たちは同じ能力を持った、いい理解者じゃないか」

「なにが理解者? あなたの束縛のせいで友達と連絡が取れなかったの。その子はいじめで自殺しちゃったの。私があのとき……」

「それが? 僕たちの仲にどう関係が?」

「放せ!」


 言葉は威力を持って紫園をつきとばした。

 これが能力。

 恋人は無言で駆け去っていった。

 許せなかった。


「僕はきみをこんなにも愛しているのに」

 

 

 

 

 深夜、女性が自宅のアパートに戻ると、フッと部屋がぼんやりと明るくなった。

 電気のスイッチを入れたのではない。

 パソコン。テレビ。タブレット。室内のあらゆる電化製品の電源が、勝手に立ち上がったのだ。

 画面に映っているのは、灰色の砂嵐。野太い声がゆっくりとくりかえす。


『死ねよお前。消えろ消えろ』


 まただ。

 毎晩これを聞き、すりきれてしまいそうだ。

 しゃがんで耳をふさいだ。


「もうやだよ……」



 

 同時刻。女性のアパートから一駅離れた街の家。

 マイクつきヘッドホンを頭につけたおばちゃんが、パソコンの前で独り言を言う。


「消えろ消えろ消えろ消えろ」


 ぶつぶつと、呪文のように。

 パソコンの前に置いた女性の写真の切り抜きに、釘をいっぱいつきたてる。


「ちょっと若いからって調子に乗りやがって。かわい子ぶっていい気になりやがって」


 今ごろあの女はおびえ、眠れない夜を過ごしていることだろう。

 ストレスで死ねばいい。

 苦しむさまを想像すると、ニヤニヤ笑いが止まらない。

 パソコンが突然、サーっと音を立てる。


『うっせえクソババアっ!!!』


 大声が鼓膜をなぐった。おどろきのあまりのけぞり、ヘッドホンを外す。


『毎晩毎晩メーワクなんだよ! 人様に迷惑かけちゃいけませんって学校で習わなかったのか?!』

「え? え?……うっ」


 急に胸が痛くなる。動悸が激しくなり、吐き気が止まらない。


「うぅ……うう……」


 胸を押さえ、床でのたうった。


 

 

 アパートの一室。女性が見守るなか、中学生の猫崎ねこさき言子ことこはひたすら怒鳴っていた。パソコンの前に座って。


「てめえが呪詛じゅそでバイト先の同僚どうりょう呪ってんのはわかってんだよ! このまま素人が力を悪用すんならプロがてめえを呪うぞ? 死にたいか?」


 ブレザーの制服のスカートの上に、赤い首輪のキジトラの猫が乗っかっている。


『ごめ、ごめんな、さ……い。もう許して……』


 パソコンから声がしたかと思うと、部屋中の電化製品の電源がプチンと勝手に落ちた。

 女性はほっと胸をなでおろす。言子ことこはふりかえった。


「だって。これで呪詛じゅそはなくなるわ。多めに呪詛返ししておいたから、向こうは結構なダメージのはずだもの」

「ありがとうございます」


 ひざの上の猫はゴロゴロとのどを鳴らした。


「おぬしもすっかりいっぱしの呪詛師じゅそしになったわい」

「師匠の修行のおかげです」


 中学生の犬飼いぬかいろくが、あどけない顔に満面の笑みを浮かべ、無邪気にはしゃぐ。


「さすが言子ことこさん」


 気分よく、言子はフッと笑った。


「それほどでも」


 

 

 女性から何度もお礼を受けた後、言子こところくは家路をたどった。キジトラの猫も尊大にトコトコ歩く。

 歩きながら、録はほこらしそうに話した。


「さっきの録画しといたよ。SNSにアップして、もっと仕事もらえるようにするから」


 キジトラの猫はえらそうにしゃべった。


「録よ、残念じゃのぅ。すまほをよく見るとよい」


 言子は唇をとがらせる。


「師匠、それ私が言おうと思ったのに」


 録はスマホの動画を再生した。流れるのは、さーっという音だけ。


「消えてる」

「呪いも生きりょうも、人間にはめったにお目にかかれないようにしくまれているの。私みたいな霊力を持った人間は別だけど」

「そうじゃそうじゃ。この世は徳をためる修行の場。人間どもが霊力という『ちーと能力』に頼れば、それもままならぬじゃろう」

「ちぇ」

「ねえ録、私について来るのはもうやめなさい」


 もう何度も言ったことを、またくりかえす。


「やだよ」


 彼は頑固だ。


呪詛師じゅそしの仕事は危ないのよ」

「俺はもう二度と天国の姉さんみたいな人を出したくない。俺には霊力とかないけど、言子さんの手伝いならできる」

「録……」

「それに……」


 録は言いよどむ。どうしたのかと言子は首を傾げた。


「……広報担当として依頼見つけて言子さんを稼せがせるからさ。俺にもこづかいちょうだいよ」


 おどけたような言葉に、言子はあきれた。


「バカねえ」


 師匠はフンッと鼻を鳴らす。

 ブブブと、言子のスマホに通知が。

 画面を見ると、ライムのメッセージが来ている。


『きみのいる場所はわかってる』

『遠隔で呪詛じゅそ返しをしたね。見ていたよ』

『きみの助手はずいぶん頼りないね』


 表示されているアカウントは、上から下までちがう人物のアカウント。

 なのにすべてのアカウントから、まるで同一人物が書いたかのような、言子へのうらみごとが届いている。

 あの男のアカウントはブロックしたのに。

 さては呪詛か。


「誰から?」

「まさか奴か? もう1年たつだろう。しつこいのぉ」


 録と師匠は心配そうだ。


「べつに」


 気にしていないふりをして、笑ってスマホをしまった。

 


 

 あくる日の学校。

 日が落ち、夕日がグラウンドを血のように染める。

 玄関口からぞくぞくと下校する生徒たち。

 言子はキョロキョロとあたりを見渡した。

 グラウンドには、自分の学校の生徒と先生だけ。あの男はいない。

 歩き出そうとした。

 ポーンと、スピーカーから校内放送が流れる。


『二年四組の猫崎言子さん、至急僕のところまで来なさい』


 立ち止まった。

 周囲の生徒たちがいぶかしそうにしている。


「何あの放送」

『3年四組の猫崎言子さん、どうして僕の気持ちをわかってくれないの?』


 言子は校門に向かって全速力で走った。

 門前に、ジャージの女性の先生が背を向けて立っている。


「先生」

猫崎ねこさきさん? あの放送何?」


 ふりかえった先生の顔は、若い男のもの。切れ長の目の端正な顔。両の口角が不気味につりあがっている。

 夕日に伸びる先生の影。帰りゆく生徒たちの影。全部、あの男の影の形をしている。

 言子は元来た道を走った。

 校内放送は鳴り止まない。


『言子、きみには僕だけで僕にはきみだけだったのに』

『どうして急に僕の前からいなくなったの?』

『どうしてどうしてどうしてどうしてどうして』


 声が怒りをおびはじめる。

 逃げまどう言子は、グラウンドの隅の体育倉庫に駆けこんだ。




 倉庫の扉にもたれ、ほっと息をついた。

 ここなら校内放送も聞こえない。

 顔をあげる。

 窓から差しこむ夕日が壁が照らしていた。

 赤ペンキで書きなぐられた、いくつもの乱雑な文字も。


 愛

 死

 呪


 恐怖するまもなく、横から長い腕に首をはさまれる。


「……!」

「待ってたよ。きみならここに来ると思ってた」


 耳朶じだにふれるのは校内放送と同じ、聞き覚えのある男の声。

 

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