ゴーストボーイ・イン・ザ・トイボックス

二季一彩

ゴーストボーイ・イン・ザ・トイボックス

 人間嫌いだって人間を続けられるのと同じように、必要に迫られれば血が苦手でも医者にはなれる。煩いガキが少しくらい嫌いでも、小児科医にはなれる。例えば私という男のように。

「さあ坊や。どうしたのか話してごらん」

 12歳になるかどうか。不愛想な碧眼のアルバート少年(受付でそう名乗ったらしい)は、少々きつそうに子供用の小さな診察椅子に腰かけ、真っすぐにこちらを見つめている。優しく微笑みかける裏で、私は彼の外見のあまりの異様さにある種の「怒り」を覚えていた。

 服装は、人気のキャラクターが印刷されたTシャツに短パン……ではなく、赤い軍服。過度に装飾された、安い布地特有の光沢があるそれは、所々汚れて破けていた。

 そして何より異常なのは、見当たらない右の眼と、肘の辺りからすっかりなくなった左腕。しかしグロテスクさは無い。右目の辺りはまるで誤って塗った個所に無理やり肌色の絵の具を重ね塗りしたかのように不自然に無くなっており、左腕はマネキンの腕をぽっきりと捥ぎりとったように綺麗に消えていた。圧倒的にリアリティに欠けている。

 手の込んだ仮装。もしくはチープな大怪我の偽装。そうとしか思えない姿である。

 もうこの病院には、私と何人かの看護師しかいない。受付終了時間ギリギリにたった一人でやって来たらしい彼は、窓から差すオレンジ色の光を目いっぱい浴びていて憎らしい。

「坊や、その張り切った仮装はパパとママにしてもらったのかな?」

 少年は黙って首を横に振る。

「違うよ」

「そうか。何にせよ先生を驚かせようとしてくれたのかもしれないけれど、これだと君の身体をちゃんと診てあげる事ができないんだ。……君は、体が痛いんだってね?」

「そうだよ」

「それは、目と腕がなくなっちゃったから、痛いのかな」

 今度は少年はこくりと頷いた。

 医者でなくても、その欠けた目と腕が怪我でない事くらいはわかる。子供の悪戯にして質が悪いし、あまりに大人を舐めている。そろそろ一言言ってやっても良いのではないか、そう思った私が口を開くよりも先に、少年がボソリと呟いた。

「施設の皆がね、僕をいじめるんだ」

「いじめる? ……施設、と言ったね。君はどこで生活しているんだい?」

「孤児院。この病院から北に少し行ったところにあるでしょ、あそこが僕の家」

 言われてみれば、車でその辺を通った時にナントカ孤児院という看板を見た気がする。私は脳内に、庭の手入れが行き届いていない、ぼろいレンガ造りのあの建物をぼんやりと思い浮かべた。

 この少年は孤児であり、そこでいじめに遭っている、という事だろうか。

 そう思うと、突飛な姿にも何かそれに通じた理由があるのだろうかと、少々哀れに思えてくる。

 私は出来るだけ優しい声音を心がけて、少年に訊ねた。

「それは、どんな? 嫌でなければ聞かせておくれ」


「……僕の腕を引っ張るんだ。だから、僕の腕取れちゃった」


「……ほう」

「それにね、顔に怪獣のおもちゃをぶつけてくるの、『戦え!』『ぶっ殺せ!!』って。何度も何度も酷くぶつけてくるから、僕の右目もなくなっちゃった」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

 段々と早口でまくしたてるような口調になっていく声と顔には、それでも感情が乗ることは無い。私の静止も聞かずに、彼の話はどんどんエスカレートしていく。

 僕の頭に熱いスープをかけるんだ。何度もやられたせいで皮が爛れたんだけど、その上から今度は絵の具を塗りたくってきた。

 針で耳と鼻と口の中をぐりぐりと抉られたんだ。

 身体にロープを巻かれて、てるてる坊主と一緒に吊るされたんだ。

 でもね、孤児院の先生も、見ないふり。

 まっすぐにこちらを向き無表情で言葉を並べていく少年から、私は目を逸らすことが出来なかった。狂気的な光景とその内容に、金縛りにあったかのように指の一本すら動かす事が出来ない。

 少年が語るいじめは、とうにその範疇を超えているように思える。

 腕がすっぱりと切れているように見えるのは、ひょっとして義手の一部なのだろうか。先ほどの話の一部をふまえれば、目も「絵の具で塗りたくられて」いるという事かもしれない。

 少年は、そこで初めて苦し気に表情を歪めた。片方しかない碧眼の輪郭が滲んで曖昧になり、やがてぽろぽろと涙が溢れる。

「だからね、僕、体中が痛くて悲しいんだ」

 ……きっと今、目の前で起こっているのは尋常ではない事態。関わりたくないという気持ちと、そんな無責任な感情で掃き捨てることは許されないという意識が鬩ぎ合う。

「もう一度、確認するよ。君は病院の北側の、あの孤児院にいるんだね」

 しかし、これはやはり通報しなければいけない、「傷害事件」である。私は看護師にハンドタイプの電話機を持っくるように指示した。

「うん。孤児院の、箱の中にいるよ」

「箱の中?」

「そう、箱の中。先生、僕のことを見つけてね」

「見つける? ……あれ?」





「……それで、少年はまるで霧みたいに一瞬でそこから消えてしまったんだ。後には、小さな椅子に夕日の橙が残るだけだった。……私はね、彼はこの孤児院のおもちゃ箱の中にいた、人形か何かだったんじゃないかなと思うんだ」

 だから皆、おもちゃは大事に扱わないといけないよ。

 そう続けて、私は子供たちを見渡した。あれから半年、孤児院での訪問診療を頼まれた私は、子供の診察を一通り終えてその話を持ち出したのだ。

 始めはおとぎ話を聞くようにし目を輝かせていた子供たちは、次第に顔を強張らせていき、今は恐怖におびえた表情をしている。彼らにとっては少々「怖い話」だったのかもしれない。可哀想なことをしたけれど、きっとこの子達の将来のためにも、この話は必要なのだ。

 一人の子供が、震える声を絞り出した。

「ねえ、それ、アルバートのことじゃない……?」

「え? そうだね、彼は受付でアルバートと名乗ったそうだよ」

 瞬間、孤児院には十数人の子供たち全員の金切り声……悲鳴が響き渡った。孤児院の先生も口元に手をやり、目を見開いている。

「ねえ、アルバートは本当に赤い服を着ていたの!?」

 ある少女が、私の白衣の裾に縋り付いてそう叫んだ。

「そう、彼は赤い軍服みたいなものを着ていたから、軍人さんか兵隊さんの人形だったのかな?」

 勢いにやや圧されつつ答えると、子供たちの騒ぎは更に大きくなる。甲高い声は、不協和音のバイオリン四重奏のようだ。

「やっぱりあの日の服だよ!!」

「ハロウィンパーティの時の……」

「でもそんなずないよ、だってアルバートは今……」

「だってアルバートがあそこから出て行ったとしたら、蓋が開いているはずでしょう!」

「アルバートが生きてるわけないわ!」

「あんな深い場所ずっといるんだよ!? 先生が捨ててくれた時だったらまだしも、今はどっちにしろ……!!」

アルバートはおもちゃ箱にはもういないのか。もうゴミとして捨てられてしまったと言うのだろうか。それにしても、子供たちの様子は少々おかしく見える。

 混乱が収まりきる前に「子供たちが怯えているから」と、私は孤児院から出る事を強要された。確かに「怖い話」をしたとは思うが、まさかこんな騒ぎになるなんて。

 青い顔の孤児院の職員達に頭を下げ、孤児院の扉から背を向ける。背後からは、まだ子供たちの騒ぎ声が聞こえてきていた。

 改めて、子供たちの異様な様子が思い出される。

 確か、子供の中の一人が「ハロウィンパーティの時の」と言っていなかっただろうか。ハロウィンパーティに、兵隊の人形は持ち出されるものなのだろうか。 

 いや、そんな事は些細な違和感だ。

 そんな事よりも、「アルバートが生きてるわけない」。その言葉を私は『人形であるアルバートが生きているはずはない・命があるはずがない』という意味だとった。しかしその解釈は、本当に正しいのだろうか。

「……っ」

 喉が干上がる感覚と、背筋を這いあがる怖気。全身が「これ以上考えてはいけない」と警鐘を鳴らしていた。

 速足で車へと向かおうとして、不意に眩暈に襲われ足元がぐらつく。

 視線の揺に耐え切れず膝を着いた私は、鉛のように動かない体を起こす際、止せばいいのに屋敷の方を振り返った。そして、見つけてしまった。古いレンガの建物の陰に、ひっそりと隠れた井戸。木の蓋がされており、その上には大きな石が乗っている。

 地面から突き出たレンガ製の四角い囲いの部分は丁度、無造作に放棄された『箱』のような……。


 ――あんな深い場所に、ずっといるんだよ。


「そんな……」


――『そう、箱の中。先生、僕のことを見つけてね』


 自分の内側から記憶が響いているのか、それとも今本当に言われているのか。どこからか聞こえる声に引き摺られるように、私は井戸の前に立った。

 重い石を、蓋の上から転げ落として退ける。




 そして震える手で、私はその箱の蓋を開けた。

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