正義006・常識

「それでは……乾杯!!!」

「「乾杯!!!」」


 ロレアの掛け声に合わせてコップをぶつけ合うエスとラナ。


 3人は街の一角にある【龍の鉤爪かぎづめ亭】でテーブルを囲んでいた。


【龍の鉤爪亭】は美味しい食事と酒で有名な大衆酒場らしい。


 ロレア達もロズベリーの町民に教えられて以降、何度か通っているようだ。


 ちなみに食事代については、ロレア達の奢りとなっている。


 倒した男の引き渡し報酬の半分を2人に渡したところ、「せめて食事は奢らせてほしい」と頼まれた。


「エス、本当にジュースでいいのですか? ここは酒も有名なのに」


 果実水を飲むエスを見て、ロレアが不思議そうな顔をする。


 酒を嗜むロレアとラナは、当然エスもそうだと思っていたらしい。


「もしかして、お酒が苦手とかー?」

「いや、一回も飲んだことないからわかんない」

「え!? 飲んだことがないのですか? それならなぜ……」

「宗教的な理由とかー?」


 エスに尋ねるロレアとラナ。


 この世界にいわゆる飲酒可能年齢の概念はない。


 幼子の飲酒に対してはさすがに眉を顰めるが、十代の半ばにもなれば酒を飲むのが普通である。


「うーん、そんなんじゃないんだけど……なんとなく飲むのに抵抗があってさ、絵面的に」

「絵面的に?」

「どういうこと??」

「うーん、なんていうか……」


 ロレア達は首を傾げているが、実のところエスにも分かっていなかった。


 エスの年齢は不明とはいえ、その顔にはまだ少年の面影が残る。


 理由はよく分からないものの、『飲むのは止めろ』とエスの正義がささやくのだ。


「まあ、無理強いはしません。気が向いたら飲んでみてください」

「そうするよ」

「エス君ってかなり変わってるよねー。服装も不思議な感じだし。遠い国の出身なの?」

「うん。遠い国っていうか別の世……うっ、頭が……」


 別の世界から来た。


 そう言おうとしたところ、謎の頭痛がエスを制止する。


 飲酒を控えようと思ったのとは別の、より強烈な抑止力だ。


(言わないほうがいいのかな?)


 エスはなんとなくそう感じ、「大丈夫ですか?」と心配するロレアに笑う。


「すごく遠い国から来たみたいでさ。どうやって来たのかもあんまり覚えてなくて、気付いたらこの町にいたんだよね」

「気付いたら……そんなことがあるのですか?」

「いわゆる記憶喪失ってやつ?」

「うーん……まあそんな感じ」


 過去に関してうろ覚えだというのは本当だ。


 エスに自我が芽生えたのは、あの薄暗い路地でのこと。


 あの瞬間こそが、本当の意味で今のエスが生まれた瞬間なのだ。


「そうですか」

「災難だねー」


 ロレア達も特に追及しないことにしたらしい。


 エスの言葉に頷きながら酒を飲む。


「そういえば気になってたんだけど、冒険者とかクランとかって何のこと?」

「ええっ!? それも分からずに聞いていたのですか!!?」

「記憶喪失ってそのレベル!?」

「いや、元々知らないんじゃないかな。俺がいた場所ではそもそも連合ユニオン自体なかったから」

「どんな辺境ですか/だったの!!!?」


 ロレア達の声が揃う。


 その反応からして、連合というのはかなり一般的な存在のようだ。


「まさか、そのようなレベルで疎いとは……まずは冒険者についてですね」


 ロレアは苦笑を浮かべつつも、エスの質問に答えてくれる。


「冒険者。冒険をする者。元々はそのままの意味で、世界中を旅する人達のことを呼んでいたそうです」

「呼んでいた? 今は違うの?」

「ええ。時代が進むにつれて意味が広義化したんです。今では連合に登録した人を冒険者と呼んでいます」

「何でも屋って感じだねー。先人のように自由に旅したり、町の清掃の仕事をしたり、薬草とかの素材を採取したり。でもやっぱり主な仕事といえば〝邪獣の討伐〟かなー」

「ふーん、邪獣……って何のこと?」

「ええっ!?」

「それも知らないのですか!?」


 ロレア達は大きく目をみはる。


 ラナと顔を見合わせたロレアは、咳払いの後に口を開く。


「邪獣。邪悪なる獣という意味です。獣とは付きますが人型のタイプから獣型のタイプまで種類は多岐にわたります。人間に対しての明確な敵意を持っていて、普通の動物には使えないスキルを使える邪獣もいます」

「なるほど……それは厄介だね」


 エスは相槌を打ちながら、かつて戦っていた悪魔を思い出す。


 悪魔も人類を滅ぼそうとする邪悪な存在だったし、その姿形は様々だった。


 ロレアの話を聞いた感じ、邪獣も似たようなものかもしれない。


 そうであれば悪魔と同じくエスの敵――成敗対象だ。


「邪獣はその辺にいるの?」

「さすがにその辺というほどではありませんが……草原や森のように町から少し離れると出現します」

「へえ、今度行ってみようかな。邪獣見てみたいし」

「まさか1人で行くつもりですか? たしかにエスは実力者のようですが、いきなりソロで挑むのは危険かと」

「そうだねー。邪獣と戦う時はパーティを組むのが普通だよ」

「パーティ? お祭りのこと?」


 エスは首を傾げて言う。


 ラナ達は一瞬目を見開くが、さすがにエスの無知にも慣れたようだ。


 笑いながら答えてくれる。


「冒険者同士で組むチームだよ。職業ジョブやスキルのバランスを見て組むことが多いかなー」

「チーム……クランとは違うの?」 

「クランはもっと大きな括りだねー」

「パーティはクランの下位分類にあたります」


 ロレアがラナの言葉を継ぐ。


 酒が回りはじめたのか饒舌度合が増し、あれこれと説明してくれるが、エスに難しいことは分からない。


 ・同じ志を有した数人~数十人の集まりがクラン

 ・クエスト――依頼を受ける際に組むのがパーティ

 ・クランは世界中に無数にあり、入退団は各人の自由(クランによっては入団試験有り)


 長い話から理解できたのはこんなところだ。


 ちなみにロレア達のクラン【英霊の光】は4つのパーティが併合してできており、大規模クエストを受ける時以外は別々に行動しているらしい。


「――へえ、なるほどね。ありがとう!


 正味3~4割しか分かっていないが、エスは細かいことを気にしない。


 ロレアとラナに感謝を告げると、テーブルの上の料理を食べはじめる。


「おおっ!! 美味いっ!!! こんなに美味い食べ物は初めてだよ!!!」

「ふふ、いい食べっぷりですね。私達の奢りですから、どんどん注文してください」

「ほんほお?(本当?)ひゃあ、えんよなふ!!(じゃあ、遠慮なく!!)」


 バクバクと夢中で食べるエスを笑って見つめるロレアとラナ。


「おお! これも美味いっ!!!」

「「あはは」」

「こっちの料理も美味いっ!!!」

「「あははは」」

「これもめちゃくちゃ美味いっ!! おかわりっ!!!!」

「「あは……はは……」」

「ついでにこっちのもおかわりっ!!!」

「「……………………」」


 初めは微笑まし気だったが、だんだんと困惑の表情に変わっていく。


「エス……その……よく食べますね」

「そんなに掻き込んで大丈夫……?」

「むぐむぐ……む??」


 エスは2人の質問に顔を上げる。


 その口には大量の料理が詰め込まれており、膨らんだ頬はさながらリスのようだ。

 

「んぐっ……ごめんごめん、美味しすぎてつい。おかわり分のお金は払うから心配しないで!」

「いえ、お金は別に構いませんが……よく入るなと思いまして」

「うん……その体のどこに収まってるの?」


 ロレアとラナは驚いた様子で呟く。


「ふぅ。言われてみれば結構お腹いっぱいかも。あ、お腹膨らんでる」

「「!!!!?」」


 露わになったエスのお腹に、ギョッとした表情を浮かべる2人。


 風船のように膨張し、今にも破裂しそうなお腹には、×印のへそがくっきり見える。


「それは……大丈夫なのですか?」

「ん? 大丈夫って何が? いっぱい食べたらこうならない?」


 平然と訊き返すエスに、ロレア達は顔を見合わせる。


「エス君ってびっくり人間だったんだね……」

「ええ……今日は驚かされっぱなしです……」

「そう? よく分からないけど心配無用だよ!」


 満腹になるとお腹が肥大する。


 前の世界では常識――〝お約束〟だった。


 こちらではどうも違うらしいと思いながら、エスはニカッと歯を見せる。


 その後も、辛い料理で火を噴き出して驚かれたり、あっという間に元に戻ったお腹を不思議がられたり……常識の違いを実感しながら最高の食事を楽しむのだった。

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