第十二話 沈みかけた泥船の上で

「お・・・・・・おやっさん、なんの、冗談ッスか?」

「いきなり『絶縁』って、俺達が何したってんですか?」


 可部と風月が愕然とした表情で固まってそう聞く。まぁ無理もないわな、こうもいきなりじゃ受け入れられるわけもない。

 だが、それでも俺は、覆すつもりは全くなかった。

「お前らもわかってるはずだ。この渡世で『絶縁』ってのがどういう意味なのかはな」

 俺の言葉に口を開けたまま絶句する二人。


 そう、ヤクザ世界において不義理や不祥事を起こした者は普通『破門』という処分になる。これは堅気の世界で言えばいわば謹慎、停学処分みたいなもので、一定期間を置いて当人が反省の意を示し組と和解したり、あるいはお馴染みの『エンコ詰め』をすることで復縁が成されることも多い。まぁ本人と組が完全に袂を分かてば縁が切れる事も往々にしてあるのだが。


 対して『絶縁』は懲戒免職や退学処分に相当するもので、組との縁は完全に切れて二度と戻らないと言う事を示しているだけでなく、他の組にもその事が通達され『極道としての資格なし』の烙印を押されることになる。もしその者を他の組が受け入れれば、それは元々の組に対する敵対行為にすら取られる事なのだ。


 つまり絶縁された者は、二度と渡世で生きていくことが出来なくなるという事だ。


「俺ら、なんか間違った事でもしたって言うんですか!?」

 引きつった顔で風月が俺に詰め寄る。いや、別にお前らに落ち度があったわけじゃないんだよ。けどそれを今お前らに話すわけにはいかない、話せばきっとお前らは俺と、そして全てのヤクザ者と一緒に奈落に落ちる事を選びかねないんだ。

「話す事は何もねぇ、絶縁っつたら絶縁だ! さっさと出て行け、さもないとぶち殺すぞ!!」

 顔を上げ、風月に向けて怒鳴りすえる。実際に絶縁された者が後にその組のヒットマンに殺される例もある、そのくらい重い罪を犯した者にのみ適用されるのが絶縁処分なのだから。


「そんな・・・・・・親分! 俺は、俺は、おやっさんの生き方に憧れて・・・・・・なのに、なんで?」

 青い顔で後ずさる風月。その肩を可部がぽん、と掴む。

「よせ補佐、いや、風月。むしろいい潮時だってことだろうよ」

 そう言う可部はどこか悟った表情をしていた。ああ、こいつはどうやら察したらしい、全く出来の良い奴だ。


「正直もうウンザリなんだよ。ヤクザなんて先が無ぇにも程がある、毎日しんどい思いをして愛想振り撒いて、嫌われて食うにも困って、ロクなもんじゃねぇ、やめだやめ!!」

「ちょ、若頭! 何言ってんだよ、気でも狂ったか?」

「お前こそ正気に戻れよ風月、そもそも俺達は盃すら下ろして貰ってねぇじゃねぇか! いつまでも部屋住みの若僧扱いして何が若頭だ、補佐だ、ヤクザゴッコはもう沢山だ! 絶縁? ああ上等だよ、望むところだ!!」


「ぬかしたな、小僧が!」

 声を荒げて返す。が、可部はじもせずにふん、と息を吐いて俺から目線を切る。代わりに見たのは部屋の隅にある手提げ金庫。

「これ、退職金代わりに貰っていくぜ。せいぜい頑張って稼げよ、貧乏ヤクザ」

「おい! 気は確かかよ若頭!!」

 金庫を引っ掴んで出て行こうとする可部の腕を掴んで止めようとする風月。

「ぎゃあぎゃあ喚かれるよりゃあマシだな、そんな端た金くれてやる。だから・・・・・・とっとと、出て行け!!」


 言われなくても、と残してドアを開ける可部。風月を引っ張り出すかのように出て行き、ドアをばたん! と閉める。


 ふぅ、と息をつき座りなおす。これでいい。ここから先はヤクザにとって地獄の始まりだ、そんな所に先のあるお前らがいていいワケがねぇ。お前らはまだまだやり直しがきく、美味いもんいっぱい食って呑んで、イイ女を見つけて幸せになりゃあがれ。

「さてと・・・・・・回状じょうを書いて回さねぇとな」

 組員を絶縁した場合、その通達を速やかに行わなければならない。そいつを受け入れた組が知らなかったでは後々問題になるし、また警察サツにもそいつが渡世から縁が切れたことを知らせなきゃならねぇ。今日日はそっちの方が重要だ、アイツらは盃を下ろして無いから、ほどなく社会復帰とマイナンバーカードの交付が成されるだろう、そうすれは晴れて堅気としてのスタートを切れるはずだ。


 半紙を広げ、墨を摺って筆を取る。冒頭に挨拶文を綴った後、ふたりを絶縁した旨をしたためていく。


 ―可部鈍。並びに風月助平。この両名を本日をもって岩熊組から絶縁とす。今後当方とは縁なき者なれば―


 漆黒の墨の文の横に、ぽたっ、と無色透明の水が落ちる。やれやれ、ヤクザ失格だな・・・・・・・俺は。


(気のいい奴等だった。お前らといた時間、楽しかったぜ、息子たちよ)


 

      ◇           ◇           ◇    



「てめぇ可部! 何考えてやがる、それはおやっさんと俺達が頑張って稼いだ大事な上納金だろうがよ!」

 部屋の外に出た風月が激高して可部の胸倉を掴み上げる。仮にも若頭の地位に居た者がよりによっておやっさんに何てことぬかしやがる!

「わーってるよ。あれがおやっさんの本音なんて思ってないさ」

 腕をほどきながら冷静に返す可部に、風月は何ィと毒づきつつも、荒げた感情を一時止める。

「なんか、真意があるってのか・・・・・・? 絶縁だぞ!?」

「だーかーらー、これからそれを確かめに行くんじゃねぇか」

 手提げ金庫を掲げながら、軽トラのドアを開ける可部。アゴをくいっと引いて「乗れよ」とジェスチャーする。

「あ・・・・・・そうか、本家!」

 本来この上納金は大阪の天狼組本家に納める物だ。ならそれを持っていくついでに本家に事情を話せば何らかの解決方法が見出せる、おやっさんに近い立場の人たちなら何か真意を知っているかもしれない。

「これ持っていくのを名目に話してみよう、なんなら本家からおやっさんを説得してもらうのもアリだ」



      ◇           ◇           ◇    



「岩熊の奴から連絡は来ている、絶縁された奴に組の敷居を跨がせるわけにはいかんな」

 夜、大阪の本家天狼組の事務所の前には数人の若集と一緒に、若頭である犬神梅之助が仁王立ちして待ち構えていて、開口一番ばっさりと斬って落とされた。

「で、ですが・・・・・・納得がいきません!」

「上納金も持ってきたんすよ、話だけでも聞いて・・・・・・」

「黙れ!」

 返答と同時に拳が飛んできた。最初の一発を可部が食らったのを皮切りに、若集が二人を取り囲んでヤキを入れにかかる。


「絶縁される、っていうのはこういう事だ」

 殴られ、蹴られ、踏み潰され続ける可部と風月。周囲に壁を作って周りから見えないようにした上で、派手な打撃音を響かせてリンチを続ける。

 が、田舎ならいざ知らず都会の大阪の組事務所の前でそんな派手な事をやっていればさすがに人目につく。現に通行人の何人かがこちらを指差して警戒し始め、やがてスマホで通報や撮影を始める。

「ちっ、しょうがねぇ、中で続けるぞ」

 さすがに人目を気にしてか、ボコボコになった二人を事務所に連れ込む一同。



「ったく、少しは世間の目を考えろよ」

 天狼会の応接室、床に正座した可部と風月に、対面のソファーに座る梅之助が呆れ声でそうこぼす。

「すんません、軽率でした。」

「手心頂いて感謝してます」

 そう、さっきのリンチ、実は本気でやったわけではなく、あくまで世間とせい世間せけんに対するアピールでしかない。二人も唇を切り、鼻血を流して全身アザだらけだが、実際には軽傷と言えるレベルで、ヤクザのヤキにしては生ぬる過ぎで、あくまで絶縁者に対するポーズとしての暴力でしかなかった。

 また堅気の衆にアピールすることで通報を促し、ごく自然に事務所に連れ込むことが出来たのも狙い通りだ。本来なら警官が暴力事件としてすっ飛んでくる所だが時間帯も味方した。到着時の時間は午後七時過ぎ、全国の警察官は間もなく出現するゾンビに備えて臨戦態勢で、自分たちに構っている暇など無いであろう。


「勝平の奴から連絡があってな、お前らがここに来ることもお見通しで、こうしてくれと頼まれたよ」

「おやっさんが?」

「どういう、コト、なんすか?」

 二人は岩熊親分の配慮に感謝しつつも、その意図が掴めずにいた。俺達を絶縁した後、その先の行動を読んで命を気遣ってもらえるなんて・・・・・・どうして?


「知りたいか?」

「はい!」

「是非。聞かせて下さい」

 地べたに座ったまま土下座をする二人を見て、梅之助はやれやれしょうがねぇなと前置きして語り始める。


「沈みかけた泥船に、大穴が開いたんだよ」

 その例えに頭にハテナマークを浮かべる二人。沈みかけた泥船ってのは、もしかして岩熊組の事、か?

「あのゾンビの正体な・・・・・・・どうやら俺達ヤクザが過去の抗争で、沈めたり埋めたりした奴等らしい」

「な、っ!?」

「勝平がそう言ってきたよ、こっちでゾンビが出た道頓堀に心当たりは無いか、ってな」


 もう何十年も前の話。西日本で起こった大きな抗争の中、最大の激戦区である大阪でも多数の死者を出した。当時、街中の工事を請け負っていた天狼組の企業舎弟のいくつかの工事会社の現場は、表に出せない死体を処理するのにうってつけだった。そこから湧いて出たゾンビが、彼らである可能性は限りなく高かった。

「全国のヤクザにその事を電話しまくってみた。告げられた全ての組が絶句してたよ、心当たりがあるんだろうなぁ」


「もし・・・・・・そんな事が世間にバレたら」

「ああ、俺達ヤクザは、終わる」

 ただでさえ反社新法と共にマイナカードの進化で追い詰められているヤクザ。もし今世間様を騒がせているゾンビが、ヤクザが殺して埋めた死体の成れの果てなんて知れたら、それこそヤクザはその責任を十全に負わされるだろう、この社会からの完全抹殺、という形で。


「ゾンビ共もこの時期を待って、狙いすまして出て来たのかも知れねぇなぁ。俺達ヤクザに復讐するのに今の社会はまさに好機だったんだろうよ」

 梅之助の言葉が、不自然過ぎたゾンビの出現と行動の謎を氷解していく。突然現れたのも、直進しか出来ずに進路上の者を破壊するだけだったのも、全国各地から別々の個体が出現したのも、全ては自分たちがヤクザに殺された者だと言う事をアピールするためだったのだ。今のヤクザ排除の風潮に、強烈な一押しをする為だけに、やつらはこの世に蘇って来たのだ。


「じゃ、じゃあ、俺達を絶縁したのって・・・・・・」

「そういうこった。お前らはまだ盃を貰ってないだろ、今なら沈みつつある泥船から抜けられる。まったく、勝平らしいや」

 ぎし、とソファーに身を沈めて息をつき、二人を見下ろして告げる梅之助。

「分かったらもう出て行け、勝平の奴の気遣いを無駄にするなよ」


「じゃ、じゃあ、おやっさんは・・・・・・天狼組の皆さんは、どうするんですか!」

 自分達が抜けても、岩熊親分や梅之助さん達はその泥船に残り続ける事になる。自分達だけ安全地帯に避難して親分や兄貴分が世間から消える羽目になるなんて!

「まぁ、知らぬ存ぜぬで押し通すしか無いだろうな。ゾンビも無視、世間の声も無視。証拠がなけりゃサツもどうしようもないだろうしな。日本中の同業者ヤクザも鳴りを潜めてダンマリを決め込むしかねぇ、いつまでシラを切り通せるかは分からねぇがな」

 確かに現状を考えたらそうするしかない。幸いと言うかあのゾンビに対する対処法は確立された。あとはサツや自衛隊に任せて、日本中のゾンビを壊滅してくれることを祈るしか無いだろう。


 と、その時。外からサイレンが、梅之助のスマホやふたりの携帯から緊急警報が鳴り響く。


『間もなく午後八時です、ゾンビ警報が発令されました。最寄りの放送局や自治体からの情報に注視し、避難の準備をしてください』


 すっかりお馴染みのゾンビ警報だ。梅之助の指示に従って若い衆がTVをつける。今朝八時には出現しなかったが、かといって安心できるわけもない。奴らの出勤時間に合わせて国が警戒態勢に入り、報道もこぞって出現位置の特定を待ち構える。そして・・・・・・


『北海道登別、ゾンビ出ましたぁっ!』

『高知県南国市、ゾンビ出現です!』

 ほぼ同時にゾンビ出現の報が成される。そのうちひとつを聞いて可部と風月は思わず立ち上がる!

「高知、南国市! 事務所からなら一時間半の距離!」

「おやっさんは、どうする!?」


「勝平の奴だってバカじゃねぇ、ここでヤクザが動いても、ゾンビの正体をアピールするだけだ」

 そうだ、もうヤクザはゾンビに関わらない方がいい。ヤブをつついて蛇なんざシャレにならない、しかもそれは自分達だけじゃなく、日本中のヤクザを巻き込むことになりかねないのだから。


 そう思っていた梅之助だが、その思惑はすぐに崩壊する事になる。


『たっ、大変です! ゾンビ共が足元に敷かれたシートを次々と破り捨てています!』

『こちら登別! 自衛隊が敷いたシートをゾンビ達が次々に排除して・・・・・・うわあぁっ!!』

 現れたゾンビ達は、敷かれたブルーシートに機敏に反応し、それを次々と排除しながら行進、そして破壊活動を続けて行く。


「学習、しやがった、のか・・・・・・」

 梅之助の言葉に組員全員が言葉を飲み込む。そうだ、今朝八時はどこにもゾンビが出なかった。そして今、ソンビ共はブルーシートをきっちり排除にかかっている。

 まるで出なかった代わりに、ブルーシートの事を全てのゾンビに周知したかのように!


『こちら南国、ゾンビが高速道路の基礎部を突き破りつつあります。まっ、まるで削岩機です!』

『あ、ゾンビの後方に何かいます。あれは・・・・・・熊でしょうか、腐臭に惹かれて近づいて・・・・・・ひ、ひいぃぃぃっ!!』

 ソンビの蹂躙は止まらない。高知で巨大な橋桁をぶち抜かれた道路は倒壊を予感させる軋み音を発し、その先にある病院に向けて歩き続ける。北海道でゾンビを捕食しようとしたヒグマが逆にゾンビにふん捕まえられ、そのまま前方にぶん投げられて自衛隊の装甲車に派手に激突し、パニックと被害を拡大させている。


「まずい、ことに、なったなぁ」

「親父!」

 二階から降りてきたのは梅之助の父であり、天狼組総会長の犬神正和だ。介助の女性に支えられて階段を降りきると、TVから目を切らずにソファーに腰を下ろして、嘆きの声を発する。

「これで、ゾンビの出所を、追及される、可能性が、高くなった、なぁ」

 息をつきながらそう言う会長に、部屋の全員が沈痛な空気に包まれる。あのままブルーシートを使ってゾンビを根絶やしにしてくれれば、あるいはその正体を突き止められなかったかもしれない、のど元過ぎれば何とやらだ。

 だが、またしてもゾンビに苦戦するのはが明らかになってしまった。こうなるといよいよサツや科学者があのゾンビの正体を研究しにかかるだろうし、並行して全国のゾンビ被害もさらに広がってしまう。そうなればその先にあるのは、ヤクザが絶対悪として世間から抹消される未来しかない。


「もう、どうしようも無い、のか・・・・・・」

 梅之助の嘆きに応える者はいなかった。ただ絶望と終わりの予感だけが、この部屋を支配して・・・・・・



「あ! あれ、おやっさんのカブ!」

 風月が高知の方の中継に映った一台のバイクを目ざとく見つけてそう叫ぶ。中継のカメラもそれに気づいたらしく、その人物をズームして映し出す。

「やっぱり! おやっさんだ!!」

「こ、の・・・・・・勝平! 何やってるんだテメェわあぁぁっ!!」

 可部の歓喜に続いて、梅之助がTVを鷲掴みにして怒鳴りつける。いくらゾンビ退治が困難になったからって、お前みたいなヤクザでございって奴がゾンビに関わったらそれこそ・・・・・・っていうかブルーシートが敷けない今のゾンビと、一体どうやって戦おうってんだよ!


 入院患者が多数いる市民病院の玄関先、迫り来るゾンビの前に一人の大男が走り寄って立ち塞がる。その両手には緑色の茎の束が握られていて、茎の先にはカラフルな色が躍っている。


『一体なんでしょう、一人の男が警察の阻止を振り切ってゾンビの前に出ました・・・・・・持っているのは、花束、でしょうか?』


 リポーターがいぶかしげに実況を入れる仲、その男、岩熊勝平はゾンビの前に立つと、両手に持った花束をそっと地面に置き。


 その真ん中で両ひざをつき


 両掌を前方にばたっ、とついて


 その先に、自らの額を、地面に叩き付けた!



 総会長も、梅之助も、多数の組員たちも、そして、可部も風月も、その光景に完全に固まった。



『なんと、反社者と思われる人物が、ゾンビに深々と土下座・・・していますっ!』

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