第十話 英雄(ヒーロー)
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石川県、志賀原子力発電所から僅か三百メートルほどの地点。我々自衛隊石川駐屯地第七師団、総員二十名は分隊長である私、
ゾンビ出現から既に二時間四十五分が経過している。希望的観測ではあるがあとほんの少し離れた地点に発生していれば、この原発の炉心部まで到達する事無く地面に消えていただろう、考えても詮無い事だが。
各々の持つ重火器は単独で使用する物としては最大火力を有すると言っていい。最新鋭のマシンガンに対戦車ライフル、バズーカ砲にナパーム弾。対ゾンビ用として特別に使用が許可されたもので、一見ひ弱そうなゾンビに対してあまりにオーバーキルな印象があるだろう。だが、これまで警察が阻止すべく使用して来たピストルやゴム弾、警棒による殴打や催涙ガス、放水などは全く通用しなかった。だからこそここまでの破壊力のある武器を装備して、あのゾンビ共を何としても食い止めなければならないのだ。
我々の百メートル後方には最後の抵抗として装甲車や戦車がバリケードを築くように居並んでおり、脇のテントで上級士官の皆様が固唾を飲んで見守っている。彼らは突如日本に現れたゾンビという脅威を我ら自衛隊が排除するという栄光の瞬間を心待ちにしている。
だが、最前列にいる我々には明らかに違う不安が、感情が渦巻いていた。
一体、どうなる、んだ?
銃口を向けるゾンビのほんの五百メートル先にはもう民家がある、通行規制しているとはいえマスコミや野次馬が近くに入り込んでいる可能性もあるだろう。もし狙いを外したり、ゾンビの頭骨などで跳弾でもすればそれが民間人を害する可能性も無いわけではない。更にありえないことだがもし通用せずに乱戦になれば、最悪銃を奪われて発電所に弾が飛ぶ可能性すらあるのだ。銃と言うのは引き金を引けば敵が死ぬなんて便利な代物ではない、原理があり、使用ミスがあり、暴発事故がある。それを十全に使いこなしてこそのプロの自衛隊員といえるのだ。実戦経験のない我々に、果たしてそれが出来るだろうか。
また、今この場でゾンビはまだ我々に危害を加えたわけではない。専守防衛を旨とする自衛隊が先制攻撃を仕掛けることに対しても疑問が渦巻く。ここで私が命令を下し部下たちが発砲する事で、自衛隊が長年守り続けて来た精神が音を立てて崩れてしまうのではないか、と。
だがそれでも迷う訳にはいかない。このままゾンビが突き進めばあの核炉心を破壊し、かつての福島の悲劇をもう一度繰り返すことになる。何よりこれが政府の決定であり、上層部の判断ならば我々に反対する権利など無いのだ。
責任を『上』に丸投げしてでも、俺は決断を下さなければならない。
右手を上にあげ、訓練では何度も唱和して来た、実践では初めての命令を今、発する!
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『待てぇいっ!!』
突如、背中にスピーカーからの声が叩きつけられた。怒声の主は部隊長の
『全員後退! 車両まで撤退して車内からあるだけのブルーシートを引っ張り出せ!』
命令に従い、一列横隊で後退しながら私は心で毒づいていた。一体なんだ、こんな肝心な時に!?
部下たちが命令通りブルーシートを用意している間、私は宮之原一佐の前に立ち、一礼してから疑問を発する。
「部隊長殿、どういう事でありますか! この一刻を争う事態に何故!」
もうゾンビは目と鼻の先まで来ている、これ以上原発に近づける事そのものが危険だ、一刻の猶予もないこの期に及んで、何故隊長殿は攻撃中止の下知を下すのか!
「生方二佐、これを見ろ!」
部隊長が差し出したのはタブレットだった。そこにはとあるローカル放送局の生中継が映し出されていた……この石川県と別にもうひとつ、ゾンビが出現した地の映像を見て、私は目を見張り、絶句した!
―こちら徳島。ご覧ください、なんとあの無敵のゾンビを、素手でしばき倒している人物が居ます―
(なん、だと……!?)
◇ ◇ ◇
「んどおぉぉぉりゃあぁぁぁっ!」
存分に助走を付けた俺、岩熊勝平のラリアットがゾンビ共を三体まとめて薙ぎ倒す。思った通りゾンビ共は大地からブルーシートで遮断された状態じゃロクに力を出せないようだ。敷き詰めたシートにノコノコ上がって来たゾンビ共に、俺と子分二人が真っ向からねじ伏せにかかる。
「でいりゃあっ!」
「よっしゃ、一度シートを敷き直すぞ!」
「ハイッ!」
「おうっす!」
ゾンビの隊列が乱れた所で、乱れたブルーシートを回収して広げ直し、歩いて来るゾンビの進行方向に敷き直す。なんせこのシートはせいぜい五メートル四方しかなく、俺達三人と三十体ほどのゾンビがまとめて上に居られるわけではない。なのでひと暴れしたら改めて広げ直し、再度上がるのを持ってどつき倒しに行く。
「いいか!少しでもシートから出ている奴には絶対に構うな、一発で殺されるぞ!」
「分かってます、あの金色の糸が足の裏に見えてる奴ッスね」
「空振りだけでビビるよなぁ、あの状態のヤツらは」
まるで携帯の電波のように、地面と金の糸で繋がっているゾンビは別物の強さがあった。今まで全国各地で猛威を振るってきたあのゾンビの強さだ。だが電波が届かなければ携帯はただの板でしかないように、奴らもあっさり無力化していた。
ちなみにゾンビ共は何度倒しても起き上がって行進を続ける。手足を叩き折ってもイモムシみたいに這いずって歩みを止めようとはしない。だが突き飛ばして押し返せばここから先に進ませないことは出来る、要はこの先にあるダムまで到達させずに時間切れまで粘ればいいわけだ!
「くぉら岩熊! 何目立ってやがる、反社者のクセしやがって!」
げっ、と聞き慣れた声に冷や汗が出る。毎度おなじみ県警の
「ホントにシートが効くとはな、金の糸とやらは見えないがこれなら腐るほどあるぜ」
見れば十人ほどの警官が畳んだシートを担いで駆け付けていた。まぁ警察にブルーシートは付き物だし、沢山広げてくれるならまぁ有り難い。
「ぐわぁっ!」
悲鳴のするほうに向きなおってみると、一人の警官がゾンビに吹き飛ばされていた。シートの外にいるヤツに不用意に近づいて殴られたらしい。
「足元の金のコードが見えねぇならどいてろっ! どいつがパワーあるか分からねぇなら危険だ!」
当たりはずれを判別する術が無い奴にこの戦場は危険だ。いくらシートを敷き詰めても隙間はどうしてもできるし、風などでめくれ上がればそこから糸が伸びて力が戻っちまう。見えているなら一目瞭然だが目で見えなければ一撃で命に係わる、戦うのは『見えている』ヤツの役目だ。
そして、この場でそれが『見えて』いるのは、俺と子分の三人だけだった。
◇ ◇ ◇
「みんな! TV見てる? 徳島の」
『もちろん! ねぇ千絵、これあの人だよね、こないだの!!』
『あのおじさん、またゾンビと戦ってる、しかも勝ってるじゃん』
『一緒にいる人たちもすごい! ちょっとイケメンだし、仲間かな?』
淡路島の女学生たちがラインで会話しながらTVを嬉々として見つめる。かつて自分たちを救ってくれたヤクザさんが今またゾンビを仲間と共に蹴散らしている。日本中で誰一人歯が立たなかったモンスターを、ヤクザの人たちが今まさに圧倒しているのだ。
「この人がヤクザだって知ったら、みんな驚くよねきっと」
『警察面目丸つぶれじゃん』
『モザイクかかる前に録画しとこーっと』
『でもなんで必死でシート広げてるの? 謎だよね』
◇ ◇ ◇
「行けー! ぶちかませーっ!」
「ど突けど突け、ぼてくり回せーー!!」
大阪、指定暴力団天狼組の組事務所。総会長の犬神正和、若頭の犬神梅之助をはじめ大勢の構成員がTVにかじりついて歓喜の声を上げていた。
「くーっ、岩熊のヤロウ、美味しい所を持っていきやがって!」
「会長、そんなに興奮するとお体に触ります!」
「じゃかあしい! 血沸き肉躍りゃあ病気なんぞ吹っ飛ぶってもんよ!」
寝たきりだった筈の会長が身を起こしアグラをかいてガッツポーズを見せる。そうよ、アイツはこの前ここに来て約束してくれたことを今まさに果たしてくれてるんじゃねぇか! 警察でも自衛隊でも敵わないゾンビ共を、侠客のヤツが今まさに蹴散らしてんじゃねぇか、これで興奮しなくていつするよ!!
◇ ◇ ◇
『今、自衛隊員がゾンビ達をほぼ全員拘束したようです。原発の安全は保てました、ついに私たちはゾンビの脅威から脱したのです!』
国営放送が全国ネットで流す志賀原子力発電所での戦いの顛末を、アナウンサーが歓喜の声で〆る。シートを大きく広げた上での自衛隊員との取っ組み合いによって、数名の負傷者こそ出したものの見事にゾンビ四十三体を拘束、無力化することに成功したのだ。火器も使わず、周辺地域に被害も出さず、ついに人間がゾンビに一矢を報いたのだ。
とはいえそのすぐ後、ゾンビ達は拘束の手錠やロープを残して地面に消え去ってしまったのだが。
「自衛隊の皆さんの活躍、まさに白眉でした! あのゾンビに堂々と渡り合う、まるでヒーローですね!」
夜通し続く特別番組のインタビューを受ける宮之原一佐他、上層部が半分苦笑いしながら愛想よく答える。幸いと言うか全国のTVのほとんどがここ石川の攻防戦を中継していたせいで、多くの視聴者はゾンビ退治の立役者を自衛隊と信じて疑わなかった。
だが私、生方二佐を含むごく一部の者は知っている。この戦いの本当の功労者、いや
◇ ◇ ◇
「で、俺らはなんで
仏頂面で嫌味の一つも言ってやる。が、上里の奴は檻の向こうから、アゴを撫でつつニヤケ顔で俺達三人に自慢げに返した。
「道交法違反、立ち入り禁止地区への侵入、ゾンビへの接触禁止違反、騒乱罪。他もろもろだ。まぁ一泊していけや」
本当の英雄たちは、その功績に似合わない場所で今夜も不貞腐れていた。
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