第七話 ふたつのほころび

(あー、終わった、か)


 もうロクに体が動かせないほどのダメージを負っている俺に、目の前のゾンビが容赦なく上段からパンチを打ち下ろして来る。人体を真っ二つにし、車を転がす程のこの怪力の一撃を受けた時が、俺の最後。


 ぱちんっ。


 ゾンビパンチが俺の頭に命中する。思ったより軽い音が響き、首を下に折り曲げられる。


 視界に入ったのは、青い・・地面と、そしてそこに、ぼとっ! と音を立てて落ちる、人間の、腕。

(ん・・・・・・あれ?)

 即死するかと思ったが、まだなぜか意識はある。というかカエルみたいにぺちゃんこに潰されるかと思いきや、パンチを食らった頭の痛みなんざ、全身の軋みに比べてぜんぜん響かねぇ。


 なんだ? と顔を上げて目を丸くする。さっき車を転がし、俺をぶん投げて、今また俺の頭をド突いたゾンビが、肘から先が無くなった右手を押さえて狼狽えているじゃねぇか!


 俺を殴っただけで、腕が、もげた・・・・・・のか?

 コイツ、もしかして、弱っていやがる!?


「うおぉらぁっ!」

 思うより早く体が動いた、ヤクザの喧嘩は相手が弱みを見せたら一気だ! 前のめりになりながら目の前のゾンビにストレートパンチを叩き込む!


 ばっちいぃぃぃん!!


 肉をひしゃげさせる感触が拳に響く、殴られたゾンビがまともに後ろに吹っ飛び、続いていたゾンビの群れが将棋倒しのように後方に倒れ込む。


(間違いねぇ、コイツら、明らかに弱ってやがるっ!)

 さっき殴った時のまるでコンクリかとも思うような強度も、微動だにしない電柱のような手ごたえも無く、見た目の弱々しい死体を殴った通りに吹き飛びやがった。


 なら、今だ! 今なら勝てる! 今しか勝つチャンスは無ぇ!!


「お、おおおおおおおおっ!!」

 悲鳴を上げる全身に鞭打ってゾンビ共に雪崩れ込む。腕をブン回して薙ぎ倒し、頭を引っ掴んで地面に叩き付ける。限界を超える呼吸を歯を食いしばって抑え込み、朦朧とする意識を闘志で叩き起こして暴れまくる!


 だが、半分ほどのゾンビを蹴散らしたところで、ついに俺の体力が尽きた。

「ゼェッ、ゼェッ、ゼェッ・・・・・・」

 泡を吹いた口で懸命に酸素を貪る。やっぱりさっき十メートルほどもぶん投げられたダメージが響いてやがる。アスファルトに落ちてたら即死してただろう、運よく田んぼに突っ込んだとはいえ、落下のダメージで全身の体がズレて痛み、軋む体が呼吸をさせてくれない。


 ばふ、と両ヒザを突く。ひと呼吸ふた呼吸喘いだ後、俺はようやくヒザをついた時の不自然な音と、何故か青く見えていた地面の正体に気付く。

「ブルー、シート・・・・・・」

 そうか。さっきゾンビ共の視界を塞ぐために広げたシート。多分先頭のゾンビがその端っこを踏み、邪魔なシートを前方に投げ出したんだろう。そのせいでシートは絨毯のように広がって今、俺達の足元にあるんだな。


 だがもうどうでもいい。俺が薙ぎ倒したゾンビ共もよろよろと身を起こし始めた、このままじゃ今度こそ俺は殺されるだろう。弱っているとはいえ全部で三十ほどもいる奴らに一斉にかかられたら・・・・・・


 視界の隅に、ふっ、と光が走るのが見えた、もう首を動かすのも面倒だが、それでも吸い込まれるようにそちらに目をやる。

(・・・・・・あ、さっきの、糸)

 横倒しになった一体のゾンビ。起き上がろうと地面についた手の平から、まるで菌糸のような黄金色の糸がいくつも垂れていた。さっきゾンビ共の足の裏にあった腐れ糸が今度は手から伸びている。


 そして、その手は、ブルーシートの外側、アスファルトの上に、あった。


 地面から伝う金の糸、ブルーシート、遮断、弱ったゾンビ・・・・・・


( ま さ か ! ? )


 何かが俺の思考の中で弾けた! 今、いまここで是が非でも確かめなけりゃならねぇ、コイツは、このゾンビは、今! 今!! いまぁっ!!!


「あ”あ”あ”あ”あ”ーー」

 泡を吹く口で雄叫びを上げて、倒れているゾンビに突進する。よろけ、踏ん張って、どうにか倒れている奴の際まで辿り着くと、そのまま片足を持ち上げて奴の胴を全力で踏みつける!


 がちん!


 まるで岩を踏んづけたような痛みが足の裏から全身を駆け巡る。効いちゃいねぇ、コイツ、元の強さに戻って・・・・・・


 どんっ!!


 腹に衝撃を受け、低空飛行で吹き飛ばされる。なんとゾンビが四つん這いの状態で放った雑な、エアロビクスキックが俺を吹き飛ばしていた。道路の反対側まですっ飛んでいき、バァン! という音とともに背中をしたたかに打ち付けて止まった。ガードレール、だな、こりゃぁ。


 ああ、終わりか。景色が暗くなっていく。視界も、臭いも、全身の感覚も痛みも、まるで朝もやのように霞んで、溶けて、消えていく。



 ―おじさん、おじさーんっ! しっかり、しっかりしてぇっ!―


 そんな声だけが、なんでか聴覚だけを繋ぎ止めていた。ああ、あの娘か。


 バカ、野郎・・・・・・とっとと、逃、げ・・・・・・



      ◇           ◇           ◇    



 天井? 蛍光灯、白い壁、頬を撫でるわずかな、風。

「あ、ああー」

 息を吐く。ここは、どこだ? 俺は一体・・・・・・状況を知ろうと上半身を少し浮かした時、全身に激痛が走った!

「いででででででっ!?」

 芋虫のようにのたうち回る。脂汗が噴き出し、ただただ体を固めることでしか激痛に対処できない。しばらく硬直した後で、ようやく俺は今、白いベッドに横たわっている事に気付く。


「いよう、お目覚めかい? 『せいぎのみかた』さんよ」

 声のする方に向き直って、痛みとは別のストレスが俺の脳内を駆け回った。

「あー、地獄か。まぁそりゃなぁ」

「こらこらこら、俺は鬼かっつーの」

 そこにいたのはお馴染みのマルボウ刑事、上里だった。隣には少し若い中年警官が仏頂面で俺を見下ろして、口を開いた。

「ここは淡路西警察署の医務室だ。反社会勢力、天狼組系岩熊組の岩熊勝平で間違いないな?」

 その警官の質問に頷く。ああなんだ、俺はサツに担ぎ込まれて寝かされたのか。ヤクザがしまらねぇこったなぁ。


「淡路まで出張してゾンビ退治とは精が出るなぁ、カッペちゃんよ」

 上里の奴にいつもの軽口を叩かれる。大きなお世話だ・・・・・って、そうだっ!

「ゾンビは・・・・・・あのゾンビ共は、どうなった! あの娘たちは・・・・・・うぐうぅぅっ!」

 大声を出したせいで全身が悲鳴を上げる。痛みに丸まりながらも顔だけ上げて二人の警官を見る、さっさと答えねぇか!

「大丈夫だ、娘っ子達も、誰も人的被害は出ていないよ」

 上里の言葉にほっと息をつく。もし俺が寝てる間にあの娘さんが殺されでもしていたら俺はもう侠客失格だ。体を張るべきおとこが生き延びて小娘を死なせたと会っちゃあ顔向けも出来ねぇ。


「あの少女に感謝するんだな、貴様如きヤクザを保護したのも彼女の必死の説得があったからこそだ」

 中年警官がそう続ける。こいつはこの署の署長だとかで、通報を受けて部下と共にパトカーで現場に急行した時、俺を必死で介抱するその女の子を保護したそうだ。マイナカードが振動する事で俺をヤクザだと知ったサツは彼女だけを保護しようとしたが、そんな警官たちを彼女は泣きながら説得したそうだ。

「この人は命の恩人です! 貴方達は今更やって来て・・・・・・私を助けてくれましたか!」


「そっか、そいつは是非、礼を言いたいなぁ」

「馬鹿を言うな、反社者などに面会させるわけにはいかん」

 そりゃそうだ。夕べの事は居合わせた不幸で片付くだろうが、もしその後もヤクザと接触があったと知れたら、学校でいじめにあう可能性は十分にあるだろう。


「そりゃそうと、なんで俺もあの娘もゾンビに殺されなかったんだ?」

 俺のその質問に、上里と署長は顔を見合わせてハハハと笑い出した。おい待てそこ笑うとこじゃねぇ、ポリスジョークかよ?

「やってるかな、っと」

 そう言ってリモコンで部屋の隅にあるTVを点ける上里。現れた画面には大きく『ゾンビ』の文字が見える。


『昨晩八時、新潟県佐渡島と兵庫県淡路島に出没した無数のゾンビ、幸いにも人的被害はありませんでした』

「おい! 俺、俺っ!」

 ニュースキャスターに思わず突っ込む。まぁこいつらにとってヤクザに人権は無いと言いたいんだろうが。


『にしても間抜けなゾンビですよねぇ』

『まさか、まっすぐ歩くしか出来ないとはねぇ』


「んなにぃっ!?」

 解説者の言葉に思わず目を丸くする。直進しか出来ないって・・・・・・いやまてよ、確かに奴等も夕べ、歩道に沿ってゆっくり行進して、目の前にあった邪魔者、つまり俺や軽トラを蹴散らしただけだ。俺が田んぼに飛ばされた後も奴らはこっちに目もくれず、娘たちの方に、いや元々進んでた方向に歩き直してただけ・・・・・・


「そういうこった。あいつら午前と午後の八時にいきなり現れて、三時間ほどまっすぐ歩き続けて、その後地面に引っ込む性質みたいだ」

「つまり相手にせずに道を開ければ殺される心配は無いわけだ」

「なんだーそりゃあーーーっ!」

 そんなんアリかよ、昨日の俺の苦労は一体何だったんだ。


 初日の夜は名古屋と博多、昨日の朝は東京と大阪。建物や車がひしめく都会ならゾンビは進路にあるものすべてを手当たり次第に破壊して被害は甚大になるだろう。しかし昨夜の田舎の島、佐渡島と淡路島に現れたゾンビの進路には、せいぜい電柱と信号機ぐらいしか破壊するものが無かったせいで、少々はた迷惑なパレードをしただけで引っ込んでしまったとの事。


「ま、対策は打たねばならんがな。また貴様如き反社者に警察が後れを取るわけにはいかん」

 署長が俺を睨んでそう告げる。まぁ確かに市民と財産を守るのが警察の仕事、それをヤクザに攫われちゃカッコつかんだろうなぁ。

「今回だけは例を言う、お前の人とナリは上里から聞いている。だが次はこうはいかんぞ」

 話を聞くに、俺の免許証から四国人と言う事を調べ出して上里に連絡を取ったそうだ。それに応えて上里は淡路まで来て俺の軽トラや米や肉を回収して四国の事務所に届けてくれて、これから俺を乗っけて帰ってくれるそうだ。


「言うまでもないが、その条件は今回の件を口外しない事だ、いいな」

 社会から消されるべきヤクザの正義の武勇伝など語られるわけにはいかない、あくまで市民を守るのは警察組織でなけりゃメンツが立たない、今回の奴らの親切にはそんな裏があるのだ。

「わーってるよ、俺は正義の味方だが、別にヒーローになりてぇワケじゃねぇ」


 痛み止めを打ち、松葉づえを付いて立ち上がり上里の車に向かう。正直まだまだ寝ていてぇが、警察署なんてな居心地が悪すぎるんでむしろ有り難てぇわ、早く帰って事務所で寝っ転がりたいよ。


 玄関を出て、上里が車を回して来るまで階段に腰かける。


 と、そこに数人の足音がぱたぱたと響き、俺の前で止まる。顔を上げた前に居たのは見目麗しい五人のセーラー服の女子学生、正面に居るのは、昨日の・・・・・・


「夕べは、本っ当に、ありがとうございましたーっ!」

「「ありがとうございましたーっ!」」

 深々と頭を下げる少女達。その光景に、その声に、俺は思わず固まった・・・・・・


 何年ぶりだ、こんなの。



「くっく、モテるなぁカッペちゃんの分際で」

 上里の車に乗り込んで帰路につく。だんだん小さくなる手を振る少女達を見送りながら、俺は顔のニヤケを抑えきれなかった。


 ―ありがとうございました―


 忌み嫌われ、恐れられ、排除されるだけの毎日。いつしかそれが当たり前になり、心にはずっと影が差したままだった。所詮ヤクザなんてそんなもんだ、と。


「昔を、思い出すなぁ」

 彼女たちの夕べの浴衣姿に、かつてテキ屋をやっていた頃のことを思い浮かべる。俺が焼いたタコ焼きを、巻いた綿菓子を受け取って、満面の笑顔でありがとうを言ってくれた、あの懐かしい時代を。



 思わず顔が『ほころぶ』。彼女たちは無事だった、誰にも言えないけど俺が守った、そして彼女たちに「ありがとう」を言ってもらえた。ああ、長生きはするもんだなぁ。


(それと、もう一つ)

 ゾンビ達の性質、直進しか出来ず、進路を阻まなければ無害な存在だと言う事。そして・・・・・・

(あの金の菌糸、もしあれが、ゾンビ共の電源・・だとしたら)


 無敵のゾンビの思わぬ『ほころび』。それが今後のこの国の運命を変える気付きである事を、今はまだ誰も知らない。


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