情報と現場

 〜 稲架川はせがわ、総本家 〜

 

 単調な電子音が耳を突く。手探りで目覚まし時計を止め、暖かい布団の中で伸びをする。さて何時かなと時計を見てみれば、優希とした約束の時間はとっくの前に過ぎていた。

 時間過ぎてる! やばいやばいやばい——。

 携帯を確認すると優希からメッセージが二件届いていた。

「おはよー、健人けんとん家ついた」「寝てる? 起きたら俺ん家来いよな」

 メッセージを確認した後、ものの二分で準備を終わらせ家を飛び出た。

 

 空は青く、十月にしては暑いと感じる今日この頃。いつものリュックにいつもの服を纏った僕は優希の家を目指して、数百メートル先まで続く道を歩いていた。

 優希の家は僕の家からさほど遠くない場所に位置している。自転車で行くなら二分、歩きなら五分ぐらいだろうか。まぁ、これも運動だと割り切ればどうってことはない。

 そして、今日の約束というのは、丸井と親交を深めるための策を考え、それを実行するというものだ。そのために、先日行った調査にいた人間と情報を共有しておく必要もあった。そういうことから、比較的家が広い僕の家で集まることになったが、無惨にも寝坊をしてしまったというわけである。

 相変わらずコイツの家もデカいな。さすが稲架川はせがわの総本家。

 伝統的な日本家屋で広さは五百つぼ、敷地を含めて千坪もあるらしい。

 土地の広さには負けるよ。そんなことを心の中でぼやいた。

「なーにつっ立ってんのさ、國宮くにみやくん」

 引き戸に手をかけると、背後から女性の声が聞こえ咄嗟に手を引き振り返る。

「あっ、知慧ちえさん。お久しぶりです」 

 知慧さんと言うのはは優希の姉で、無茶ばかりする僕らのセーブ役として低学年の頃からお世話になっている。漢字は違えどがあり頼れる女性だ。

「もしかして、ウチに用ある感じ? そういえば、大部屋の借用書が張り出されてたっけ——」

「——父さん!」 

 首を傾げながら庭に入った知慧さんは大声で父親を呼びつけた。

「どうしたんや知慧」 

「ねぇ父さん、大部屋ってさ誰が借りてんの? てかさ、なんで貸し出してんのよ」

 父親に対してトゲのある口調で問い詰めている。

 だが、この言い振りだと本当は、大部屋というのは貸し出しをしてはならないのか? 

 稲架川家のルールがイマイチ掴みきれていない僕は、口を開けてやり取りを見ることしかできない。

「大部屋は優希ゆうきが借りとる。友達ぎょうさん集めて何かしよるみたいや」

「あっそ……。じゃあ、國宮くんは先に大部屋行ってて? あとで私も行くから」

 じゃあね! とこちらの返事を待つことなく知慧さんはどこかへ行ってしまった。まるで嵐のような人だ。いや、通り雨……か?

「いやいやすまんね國宮君。玄関から入ってくれてええからね。優希のことよろしゅう頼むわ」優希のお父さんは優しく言う。

 言われるまま玄関から入り、そのまま大部屋と呼ばれる場所を探すことにした。

 

***

 

 ギシギシと鳴る床を踏みしめながら、大部屋に向かっている。

 大部屋の位置ぐらい教えて欲しかったな。と迷いながら思う。いつも優希にくっついて家を歩くせいか、まるで家の構造が頭に入っていない。

 はぁ、と魂まで抜けていきそうなため息をく。

「はぁ、はぁ……間に合った!」

 先ほどまで耳にしていた声が大きな足音と共に徐々に聞こえてくる。

「國宮くん、案外、歩くの、遅いんだねぇ、もう、先、着いてるかと、思った」

 息を切らしながら話しているせいか、言葉が途切れ途切れだ。

「まぁ五十メートル走、十三秒なんでっ」

 走るのが遅いなら、歩くのも遅いだろうと思って欲しかった。とんだ自虐ネタだ。

「そっか、そりゃ、遅いね。また今度、特訓してあげるよ」 

 そうこう言っているうちに、貸出中の張り紙が貼られた襖が現れた。僕は深呼吸をし、その襖を開いた。

 

 〜 丸井緒人という男 〜

 

「健人、遅かったな。これでツモだ」

 部屋に入るなり、優希はそう言った。

 ツモという言葉は麻雀でよく聞くため、皆で麻雀でもやっているのかと机に目をやる。が、そこには灰色のファイルが乱雑に置かれているだけで麻雀をやっている様子は全くない。

 そこで僕は一つの仮説を立てた。

 この部屋には僕と優希を含め十三人いる。優希は僕らを牌に見立て、僕が来たことにより役が完成し、ツモと言った——。

「優希、強いなぁ。なんだよ国士無双って」

 四年の教室で見たことのある男子がそう言う。

「あ、充電切れた」「充電器そっちあるよ」「ねぇ、それ私のモバイルバッテリーだって」

 聞こえる言葉が右から左へ流れていく。まるで頭に入ってこない。僕の予想は間違えていたと言うのか。

「どした、健人?」

 優希はいつも通りに僕へ話しかけてくる。

「あ、いや。なんでもないよ。遅れてごめん」

 頭を軽く振り、疑問を払い落とす。

「なんだよ、それ」優希は笑いながら言う。

 なんか、自信満々に予想繰り広げちゃったな。

 予想と妄想癖は幼い頃からのもので、直そうと努力してはいるが一向に直る気配はない。役に立つ場面に遭遇することがあるうちは直さなくても良いとも、思っている。

「ありゃ、これ私お邪魔な感じかな?」 

「姉ちゃん⁉︎ いつから……」

 優希は目を見開いて驚いている。

「ずーっと居ました。あ、二十時までには部屋空けといてね。頼んだよん」 知慧さんはそう言うと、またもどこかに行ってしまった。僕は知慧さんの背中が見えなくなるまで、それを目で追う。

「健人、いつまで突っ立ってるつもりだよ。座れって」

 優希は自分が座っている横をぽんぽんと叩く。ここに座れと言わんばかりだ。

 僕はそこに座り、寄せ集められたスマホに目をやる。画面には『雀士集結〜ファイナルフォース〜』の文字が表示されていた。僕は予想が外れたことに少しだけ悔しさを覚えた。

「さ、始めるか!」

 優希は手を叩き、号令をかけた。途端に場の空気が変わり、徐々に辺りがピリついていくのが感じ取れる。僕はこの空気がとてつもなく大好きだ。

 

***

 

 丸井まるい緒人おとは重鳩小学校の五年生。クラスは僕らと同じなのだが、話すことも遊ぶこともない知人程度の人間だ。そんな男が同じくクラスメイトの、阿瀬あぜ将斗しょうとをいじめたとして先日の学級会で謝っていた。いや、謝らせられていた。

「初期情報はこんなもんか。追加でなんかあったりする?」

 優希が皆に聞くと、一人が静かに手を挙げた。

「あの、いじめていたって話なんですけど、阿瀬君はもちろんのこともう一人いじめられてたって子がいるんです」

 被害者は二人いた。ふむ。

 手を挙げた女子はファイルを見ながら、話し続ける。

「いじめられていたのは四年生の伴原ともはらさん。期間は去年の一学期ぐらいから今年の一学期までです」

 伴原しゆ、優秀な生徒で四年をまとめ上げている所謂いわゆる一軍女子だ。直接的な関わりはないが、彼女の噂は学年の垣根を超えて届いてくる。

「約一年ぐらいか……。だけどその情報はどこから? 先生に相談していたとか?」

 そう、この情報はあまりにも具体的すぎる。始まったであろう時期は曖昧なのに、終わったとされる時期が断言されている。

「そ、それは……」

 女子はたじろいでいる。

 まさか嘘を——いや、そんな事は信じたくはない。

「わ、私。四年の早間はやまって言います。正直に言うと見てたんです、いじめられてるところ。けど! 怖くて先生に言えなくて……」

 近くで見ていた人間、言わば傍観者だ。

 実際、今回の件に限らず傍観者は多く存在していると僕は思う。そういう僕も傍観者だった。

「だ、黙っててごめんなさい! 別にいじめを隠そうとかそんなことは思ってなかったんです」

 僕は早間さんの言葉に被せるように言う。

「分かってる。悪意がないことは十二分に分かってるよ」

 僕の言葉に安心したのか表情が柔らかくなり、固まっていた肩も少し力が抜けたように見える。

「じゃあ、他に情報ある人ー?」

 優希は間髪を入れず、廊下にまで響くような声で皆に呼びかけた。

 だが、手を挙げる人間はいない。

 畳と服が擦れる音、紙を捲る音、キジバトの鳴き声。全ては沈黙を意味する。

「ないなら、今日のとこは解散にするか?」 

 否定の声はなく、皆黙々と荷物をまとめ始めている。

 そのまま、一人二人と部屋を出ていく人間は多くなり、残るは僕と優希と一人の女子だけとなった。   

 

「腹へったな」

 優希の一言で自分が朝ごはん、いや昼ごはんも食べていないことを思い出した。

 部屋には僕と優希と見たことのある女子が一人。喋ることなく、各々荷物を整頓したり後片付けをしたりしている。

「ちょっとキッチンまで行ってくるわ」

 優希はそう言うと僕らを残して部屋を出て行ってしまった。

 一分も経たないうちから気まずい雰囲気になり始めているような気がして、咄嗟に女子に名前を聞く。

「あ、お名前ってなんでしたっけ。僕は國宮って言うんですけど」

「花田です。あ、静樹しずきじゃない方の」

 花田という苗字はこの辺りでは珍しくない。学校にも数名ほど花田の姓がつく人間がいる。静樹の方ではないと主張するのであるなら、姉妹かはたまた双子か。

「二卵性だから似てなくて……いつも教室の角っこにいるんですけど」

「あ、光樹みつきさん! あー双子だったんですね……。全然気づきませんでした」

 光樹さんは教室の隅で借りた広辞苑を永遠と読んでいるちょっと変わった人だ。顔は似ていないが、難しい事に手を出している所は少しだけ静樹と似ているような気がする。

「改めて、花田光樹です。よろしく、國宮くん」  

 互いの自己紹介が終わり、ここから雑談に移行しようと思っていた矢先、先程までいた早間さんが息を切らして戻ってきた。 

「稲架川君っていますか⁉︎」

 ひどく焦った様子だ。

「優希ならキッチンじゃないかな。ここにはいないよ」

「あ、誰でもいいんです! とにかく大勢の人を集めて欲しくて!」

 話が見えない。一体何が起きているというのか。

 

 ***

 

 稲架川家を出て、空節うろふし公民館を過ぎた先。元は共有倉庫だった場所、そこに丸井と阿瀬と六年の連中の姿があった。

「なぁ、阿瀬くん。こっち向いてよ」

 六年が阿瀬に詰め寄る。

「そうだよ、最初からそうしてりゃ良かったんだ」

 六年は阿瀬から何かを奪い取り、そのままポケットの中へ突っ込んだ。次は丸井が阿瀬の元に行き、その場にしゃがみ込む。

「将斗、お前のせいでこの前みんなの前で恥かいたじゃねえか。大沢にちくりやがって。死ねよ」

 丸井は阿瀬の頬を平手打ちし、近くに転がっていたサッカーボールを投げつけた。

「次、学級会が開かれたら分かってるよな……なぁ?」

「はい……すみませんでした」

 間違いなく、これはいじめの現場だ。丸井が阿瀬をいじめている確たる証拠をこんな形で手に入れることになるとは。

「引き上げていくみたいね」

 光樹さんが耳打ちする。

「止めれなかった……」

 早間さんは、倒れ込んでいる阿瀬を見てそう呟いた。確かに、この人数なら割って入れば止めれたかもしれない。けど、僕は感情に任せて動くことは避けたい。多分、割って入っていれば今ごろ僕は丸井を……。

「仕方ないと言ってはなんだけど、僕らでは止めようがなかった。しかも相手は男子四人。力勝負となれば分が悪い。だから僕らは僕らなりの力を使っていじめを止めるんだ」

 そう、力でねじ伏せて終わらせていては丸井と変わりゃしない。ただの力ではなく知力でねじ伏せるんだ。丸井も大沢先生も。

「これから、丸井の家に行こう。遊ぶのに人数が足りないとかかこつけて誘おう」

 今日の目標は丸井からの聞き取りだ。先日、阿瀬から聞いた限りでは無視と暴力を受けているとの事だった。だが、本人に殴りましたかなんて聞けるわけがない。僕らのせいで阿瀬が追い込まれてしまうこともないことじゃない。だからまずは丸井の素を知る必要がある。そこからいじめに結びつけていきたい。

 

 ***

 

 丸井の家は重鳩保育園の近くに建っている。現代的な家で広さはそこそこ。

「稲架川君の家見た後だと、しょぼく見えるね」

「俺ん家と比べてやるなよ……」優希は呆れた様子で言った。

 優希とは道中合流し、現場を見たことや丸井の家に向かうことを伝えた。早間さんはあの後家に帰っていき、今は僕と光樹さんと優希の三人が残っている。

「インターホン押すよ?」

 今なら離脱してもいいという意味も込めて二人に聞く。が、二人は頷きこの場を去ろうとしない。

 僕は意を決してインターホンを押す。ピンポーンと鳴り、鳴らした本人にしか分からない謎の緊張が訪れる。きっと、出るかな出ないかなとやきもきしているのだろう。

 そして、その時が訪れた。扉が開き、丸井が出て来たのだ。

「あの、何?」

「遊ぶのに人数が足りなくて、丸井君暇だったりする?」

 なんとか平常心を保ち、やり取りをする。阿瀬のあんな姿を見た後だ、丸井を殴って二度といじめが出来ない体にしてやりたいと思ってしまう。

「うん、暇だけど……あ、これからおっちゃんとこ行かなきゃだから、遊ぶってなったら少しだけになるよ?」

「いや、いいよ。遊ぶって言っても大したことじゃないから。僕らもそのおっちゃんの所に行っても大丈夫だったりする?」

「大丈夫だよ! 場所は商店街にあるタバコの自販機の横の店ね」

 丸井はそう言うと、家から飛び出し商店街の方へと走っていった。僕らは丸井の後を追う形で商店街に急ぐ。 

 

 

 

 

 〜 人物紹介 〜

 

 花田はなだ光樹みつき・小学校五年生の女子。ノンデリカシーで発言も少々危ういが、知識はあり同年代の子供より賢い。図書室の本は四年生の時に全て読み終え、次は図書館の本を全て読み終えるつもりでいる。最近ハマっている物は「広辞苑」と「漫画」

 

 花田はなだ静樹しずき・小学校五年生の女子。光樹とは双子で静樹の方が早く生まれ、お姉さんと呼ばれている。國宮とは推理対決をする仲で、ミステリー小説を読みながら共に考察や推理をしている。最近ハマっている物は「ミステリー小説」と「ジャズミュージック」

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