秋学期のはじまり
残暑がまだ厳しいなか、秋学期がはじまった。
アクセルはあれからルカに会えないかと何度か学内を散策した。あの日会えたということは、ルカは帰省しない居残り組のはずだ。
しかし、彼らしき人影は一度も見かけなかった。
ヘスペリデスの園はあれ以降、いつ行っても誰もいなかった。にも関わらず、どこよりも手入れが行き届いていて、王家の姉弟のお気に入りというのもうなずけた。
ルカの部屋を教えてもらえないかと、寄宿舎の初老の寮監に掛け合ってもみた。だが、痩せぎすで垢抜けないその男はルカの名前を出した途端に慇懃無礼な態度に変わり、教えることはできないと言って眼光を鋭くした。
なにも女子の寄宿舎に押し入ろうとしている訳でもなし、ただ同級の男の部屋を尋ねただけでこの態度とは。
アクセルはむっとしたが、寮監に目をつけられては今後の生活に支障が出るため、寄宿舎内を探しまわることを諦めた。
朝食をとるため食堂に足を踏み入れると、昨日までとは打って変わってそこは喧騒で満ちていた。
天井が高い大広間に長机がずらりと並べられた食堂には、高窓からたっぷりと外光が降り注いでいる。
昨日まではまばらに生徒が座るだけだったそこのあちらこちらから、再会を喜び土産話に花を咲かせる声があがっていた。
アクセルも朝食を受けとると、適当に席を見繕った。
「ここは空いてるか」
陽気そうな男に声をかけると、快く迎え入れられた。軽く互いに自己紹介をして食事をはじめる。
子爵家の次男だという男は、アクセルが思ったとおり、顔が広くて情報通のおしゃべり好きだった。名はニコラというらしい。
ニコラの話にときに相槌をうち、ときにくすりと笑いをこぼすと、彼は浮かれたようにますます饒舌になった。
アクセルは昔から性別を問わず人によく好かれた。彼の快活でちょっと皮肉げなところが、他人を惹きつけるらしかった。
打ち解けてきたところで、アクセルはさっそく本題に入ることにする。
「ところで、ルカ・アプサロンを知ってるか」
「……へえ、君も意外と俗っぽいところがあるんだ。ルカだろ、もちろん知ってるよ」
ニコラは嬉しそうに彼のあれこれを教えてくれた。
ルカはやはり同級生で、残念ながら同じクラスではなかったものの、教室もそう遠くはなかった。
学期はじめのため、今日の授業は今学期のカリキュラムの説明が中心だった。
座学のほか体術や魔術の実技があるのは、遊学していたウルバーノ王国の王立寄宿学校と同じだが、ここダラゴニア王国ではとくに魔術に力を入れていることが伺えた。
アクセルは魔術も苦手ではないし、いくつかの魔法に限っては人より得意であったが、どちらかと言えば体術の方が自信があった。
たぶんこの魔術重視の姿勢はこの国の成り立ちというか、王国創世記も関わっているのだろう。これはアクセルの推測である。
なにしろ千年前の初代王にあたる人はかなりの魔力をもっていたという言い伝えだった。
教師が授業の終わりを告げると、すぐにアクセルは教室を飛び出してルカのクラスに向かおうとした。
しかし、隣国から帰ってきたという季節はずれの転入生にクラスメイトは興味津々で、アクセルはあっという間に取り囲まれてしまった。
「ドラジャン様はウルバーノ王国に留学していらしたとか」
「ああ、我が家の方針で。アクセルで構わない」
「向こうの暮らしはどうでした、アクセル?」
これまで、アクセルが有力貴族の嫡男だからと機嫌を取ってくる大人は多々いた。だが、クラスメイトの瞳には女子も男子もみんな、そんな大人たちとは異なる、純粋な好奇心と好意がうかがえて、アクセルも悪い気はしなかった。
爵位も経済力も関係ない、平等を掲げる本学の理念はたしかに実現しているようだ。
ルカにはまた会いに行けばいい。
アクセルも彼らとの会話を楽しむことにして、気になっていたことを尋ねてみた。
「ところで、あの空いている席は?」
クラスごとに座学の授業をおこなう階段教室では一人一人の席が決まっている。学期はじめの今日にあって、二つ並んで空いた席はよく目立っていた。
「ああ、あちらはロジェ殿下とその騎士様の席だよ」
ロジェとは、この国の第二王子である。王族と同じクラスであることに、みんなどこか誇らしげな顔をした。
「ロジェ殿下とその姉君であられるエロイーズ殿下は一年生、我々と同じく十二歳のころからここに通っていらっしゃるの!」
かつて王族は寄宿学校に通わず、すべて宮廷に雇われた家庭教師から学んでいた。
その慣習を打ち破ったのが先代の王である。ただそれも、十六歳からの二年間だけであったはずだ。
それは、宮廷でしか教えない歴史や文化、統治論や修辞学など、王族ゆえの学ぶべきことがたくさんあるからだ。
「エロイーズ様もロジェ様もそれは仲睦まじく麗しいご姉弟で」
「その美しさはこの世ならざるもの!」
「畏れ多くてお声がけするのも憚られるの」
どこか夢見るような調子で口々に言う。
「――やはり王族は特別なんだな」
アクセルは思わず口を挟んだ。
「うーん。というより、あの方々が特別なのです」
「おふたり自身は身分による差別をよしとされない寛大な方なのよ」
「……ただ、ロジェ殿下は人と関わるのをあまり好まれないから、我々も見守るだけに留めているのです」
ひとりが眉をひそめて語り出す。
「ご姉弟は幼くして母君にあたる王妃様を亡くされ、ロジェ殿下にいたっては、腹違いの兄君にあたるマクシム殿下に王位継承者の位を譲られて」
我慢ならないとばかりに、もう一人も声を上げる。
「ロジェ様はとても優秀で高潔な方なのに、魔力が少ないからって、公妾の子に王太子位を奪われるなんて! ……っと、これは不敬が過ぎました」
王妃が病で急死して以降、公妾であった女が王妃の座につくことはなかったものの、息子であるマクシムとともに王宮で幅を利かせているという噂は辺境伯領まで届いていた。
「そのためか、とくにロジェ様は人を寄せ付けないというか、他者との関わりを避けていらっしゃるようなのです」
そんなしんみりとした空気を変えるようにひとりが言った。
「そんなロジェ殿下を陰になり日向になり支えているのが、騎士クロードなの」
「まるで騎士道物語の姫様と騎士様のように……!」
続けてうっとりと語ったのは伯爵家の令嬢シモーヌである。
アクセルは正直、王子を姫に重ねるのはどうかと思った。たしかに、この年頃の夢見がちな娘が好きそうな話題ではあるが。
「先ほどから気になっていたのだが、その『騎士』というのは?」
「あら、アクセルは王族の専属騎士をご存じない?」
「もちろん知っているが。あれは通常、成人してからだろう」
「正式な叙任はそうだけど。ロジェ様の騎士は乳兄弟のクロードで決まりだと、もっぱらの噂なのです」
「お二人は片時も離れないんだから!」
王族は成人になると一人、自分だけの騎士を叙任するのが慣わしである。専属騎士はただの護衛にとどまらず、主人と一蓮托生の存在。武芸で身を立てる者にとって最高の栄誉であった。
クロードという男は相当腕が立つのだろう。
「その『姫と騎士』が欠席とは、公務かなにかだろうか」
「クロードはエロイーズ殿下についてニヴルガル帝国に行っていて。ロジェ殿下はクロードが不在のときはけっして寄宿舎から出ていらっしゃらないの」
その言葉にも彼女たちは悩ましげな声をあげてうっとりとした。
この国の第二王子はかなりの深窓のお嬢さまらしい、とアクセルは半ば呆れるのだった。
放課後になりアクセルはルカの教室へと急いだが、すでにルカは寄宿舎に戻ったあとだと告げられた。ついでに、なぜか数名の男子生徒から睨みを利かせられた。
時間を持て余したアクセルはヘスペリデスの園にも足を伸ばしてみることにした。しかし、その付近をたむろしていた男たちに「これ以上先に進むな」と不躾に制された。
なにやら彼らは王女と王子の自称『親衛隊』だという。殿下たちの唯一の憩いの場を汚すものは何人たりとも許さない、と鼻息荒く主張していた。長期休暇中は休業していた『お勤め』を秋学期がはじまって再開したらしい、とアクセルは鼻を鳴らした。
勝手にあそこに入ったことが知れたら王女や王子になにをされるか、とルカは言っていたが。姉弟がどうかは知らないが、彼らには確実に睨まれることだろう。
この様子ではルカもあの庭にいるはずはないと、素直に帰るアクセルだった。
翌日以降も、アクセルはクラスメイトと親交を深めつつ、足繁くルカの教室に通った。
しかし一度も彼に会うことは叶わなかった。
どこからか自分がルカを探していることが伝わって、彼に避けられているのだろうとは察した。それでも、どうしても諦められなかった。
いつもなら『去る者追わず』のアクセルである。
自分でもなぜ、これほどまでルカに惹かれているのか分からなかった。
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