廃嫡王子の秘密は辺境伯嫡男に暴かれる

森田りよ

1章

秘密の園

 王国中から前途有望な青少年たちが集い、勉学に武芸に切磋琢磨するこの寄宿学校のなかにあって、そこだけは世俗の喧騒からへだたれた静謐な空気が流れていた。

 聞こえるのは葉擦れの音と鳥の囀り、動物が下生えを踏みしめる音。そして、この国の王女と王子の歌うような囁き声。


 ――世にも美しい姉弟がたわむれるその庭は、精霊たちが守護するという庭園になぞらえて、生徒たちから秘かに『ヘスペリデスの園』と呼ばれていた。





 季節はずれの転入生、アクセル・ドラジャンは、広大な王立寄宿学校の敷地のなかでさっそく道に迷っていた。

 校門の無口な衛兵が指し示した方向に歩いてきたものの、寄宿舎らしき建物は見当たらない。だれかに道を尋ねようと見回したが、夏の長期休暇中であるいまはほとんどの生徒が帰省していて、あたりは閑散としていた。


 こんなことなら休暇明けまで自領でゆっくりしているべきだったろうかと思案して、すぐにその考えを打ち消す。

 女傑と名高いドラジャン女辺境伯を尊敬してはいたが、思春期の息子にとっては口煩い母親に変わりない。

 遊学先から数年ぶりに戻ったものの、母のお小言をのらりくらりと躱すのにも早々に飽きて、新学期を待たずに屋敷を発ってしまった。

 この国よりも温暖なウルバーノ王国のさざなみがまぶしい海辺の街で、ゆうゆうと羽を伸ばして過ごした日々がすでに恋しかった。


 しばらく歩き回ったアクセルは、ふとあたりの空気が変わったように思った。こういった勘は鋭い方だという自負がある。

 先ほどまでは閑散としてはいるものの人の営みを感じさせる雑多な雰囲気があった。

 しかしここには、深い森のなかのような、人を超越した空間に踏み入ったような、清浄な空気が漂っていた。

 そして、突如あらわれた美しい生垣や白亜のガゼボ。学校に雇われた庭師によって手入れされたものには違いないが、これらもどこか浮き世離れしていた。


 アクセルはどこか緊張気味に一歩踏み出す。

 すると、ガゼボの足元にうずくまる人の影に気がついた。

 と同時に、その人影もアクセルの存在に気づいたのか、びくりと肩を揺らす。

 次いで、その影からネズミやコマドリといった小動物が飛び出して風のように走り去った。


「誰だっ」

 少年期からまだ抜け出しきっていない、語尾に甘さを感じさせる声が空気を切り裂く。

 アクセルは息をのみ、動きを止めてその男を観察した。

 頭から全身を覆うように学校指定のローブを纏っているため、姿形はようとして知れない。だが、肩幅の小さなシルエットや覗き見える足首の細さから、青年と呼ぶにはまだ薄い身体であることが伺える。

 ここ、王立寄宿学校では十二歳から十八歳までの男女が学ぶが、その線の細さから彼は十二、三歳だろうかと検討を付けた。


「驚かしてしまったようですまない。俺はドラジャン辺境伯家が嫡男、アクセル。来学期からここに転入するものだ。寄宿舎を探して道に迷ってしまい……、よければ道案内を頼みたい」

 ここは平等を謳う王立寄宿学校。相手の爵位は知れないもののひとまずフランクに話しかけたアクセルだったが、相手はそれにどこか焦った様子だった。

「――ドラジャン家、竜の谷の」

「詳しいな」

「ダラゴニア王国の北の守護者たるドラジャン家を知らぬものは、この国にそういないだろう」

 ドラジャン辺境伯領は北の国境にある。その北西を接するのが世界の果てと言われるエリュシオン山脈、北東を接するのが長年に渡って膠着状態が続くニヴルガル帝国であった。


 エリュシオン山脈は、無数の切り立った山々からなる山脈である。開闢以来これを越えたものはいないと言われる、まさしく世界の果てであった。

 唯一、『世界の果て』を越えたと言われるのがドラゴンである。が、ドラゴンが神話や御伽噺の存在になって久しい今、この伝説も忘れ去られつつあった。

 その逸話ゆえか、ドラジャン辺境伯領の領都があるエリュシオン山脈の山間一帯は、かつて『竜の谷』と呼ばれていたそうだ。

 ただし、領都がこの地に遷されたのはおおよそ二百年前。山間が切り拓かれたのはそれよりもずっと前であり、竜の谷と呼ばれていたのもその頃だという話だった。


「――すまないが私は急ぐ。道案内はほかの者を探してくれ」

 男は読んでいたのだろう大判の本を閉じるとローブの中に隠し、俯いたまま足早に立ち去ろうとした。

 しかし焦ったためか、すれ違いざまにその本を落としてしまう。アクセルはそれをさっと拾いあげた。


「へえ、イブラギモフの『魔術論理学概論』とは、ずいぶん難しい本を読むんだな。一年、いや二年か?」

「っ、四年だ」

「それは失礼。ということは俺たちは同級だ」

 アクセルは人好きのする笑顔で続けた。

「それにしたってこの本は難解だろう。家の蔵書にあったが俺は一度背伸びして手に取ったきりだ。……いま読んでも理解できる気がしないな」

 アクセルが本をペラペラとめくると、男がそれを奪い返そうと手を伸ばす。そのときにローブから覗いた金髪が柔らかに日差しを反射した。

 つい、アクセルはそれに見惚れる。ただし、本を男の頭上高くに掲げることも忘れない。

「それで、君の名は?」


 アクセルの上背に敵わないことを悟った男は、身を引くと悔しそうに名乗った。

「……僕はルカ・アプサロン。アプサロン男爵家の嫡男だ」

 そして口早に懇願しだした。

「――ここで僕と会ったことは黙っていてほしい。頼む」

「なぜと聞いても?」

「転入してきたばかりの君は知らないだろうが、この庭は第一王女と第二王子の姉弟が入り浸っているからか、他の生徒は寄り付かないんだ。『ヘスペリデスの園』なんて呼ばれているらしい。そんなところに勝手に入ったと知れては、あの姉弟になにをされるか分からない。なんでも、ずいぶんと高慢で不遜で人嫌いな二人らしいから」

「あのエロイーズ王女とロジェ王子が――」

「だから頼む。僕とここで会ったことは忘れ、さっさとその本を返してくれ」

 人になにかを請う態度じゃないな、とアクセルはおもしろく思う。

「黙っていてもいいが、一方的に願いを聞き入れるばかりではつまらない」

「な、なにを言っている。僕は急いでいるんだ」

「今日のところは返そう。その代わりと言ってはなんだが、また二人で会えないか」

「……」

「君のことが知りたい」

 はじめてアクセルに興味をもったかのように、男がローブの影からこちらを思慮深く観察しているのを感じた。

「……分かった」

 そしてゆっくり十数秒ののち、うなずいたのだった。


 アクセルが本を差し出す。

 すると、先ほどの熟考はなんだったのかという勢いでそれをひったくり、男は走り去った。

 アクセルはその背を追いかけるように呼びかける。

「君、クラスはどこだ?」

「知らん。そんなものは自分で調べろ」

 男は叫ぶように返すと、その姿はあっという間に見えなくなった。


「くっ……、――――はははははっ!」

 その高飛車な態度に、アクセルはもう堪えきれなかった。

 ――おもしろい子だ。

 アクセルはこれからの楽しい学生生活を予感させる出会いにひとしきり笑うと、清々しい気持ちで辺りを見回した。

 それから、自分が迷子であることを思い出すのだった。

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