二話


 “マリアージュ”。蜂蜜色の長い髪と、淡い水色の瞳を持った双翼の美少女は、そう名乗った。黒髪に黒い瞳、琥珀の肌が珍しいと、不思議そうに雪之に言ったので、苦笑しながら肩を竦めた。

「だって、仕様がない。わたしは、この国の人ではないのだから」

少女は、硝子細工の風鈴を鳴らす様な繊細な声を震わせて、興味深そうに雪之の髪に触れてくる。

『……この国の人間ではない?』

 少女の話す言葉が、何処の国のものかは不明だった。響きも聞いたことが無いが、何故か目の前の少女が話す言葉が理解出来る。それを訝しく思いながらも、少女の疑問に答えるべく口を開いた。

「海を隔てた東の果ての島。……そこが、わたしの故郷なのだ。そこでは、この取り合わせがほとんどで、貴女やこの国の人々の様な色彩を持っている人は居ない。……本当に、こちらの国は、人が極彩色豊かだ」

 赤い髪に栗色の髪、金の髪に銀の髪。そう言って指折り数えてみせる。双翼の少女…マリアージュは、少し考える様な素振りを見せる。

『……その様な人間たちの国があるなどとは、わたくしは、知らなかった』

 雪之はおかしな言い方をマリアージュはすると思う。雪之は、この様子では自分たちが常識だと思っている事を知らないらしいと思い、試しに故国で得た知識と、こちらで得た知識を合わせて、マリアージュに話した。

「……わたしたちの様な人を東洋人というのだそうですよ。世界には、沢山の国に沢山の人種が存在する。まだわたしは見た事が無いのですが、黒い肌の人や褐色の肌の人等がいるらしい。そして、きっとそれだけの宗教も存在するのでしょうね」

 宗教と聞いて、ピクリと反応する。雪之は、興味を持ったのかな。と、思いながら、故国と隣国・中国の話をした。

「いろんな姿を持つ妖魔や神を祭っている道教や密教、印度から伝来したという仏教。……このあたりの地方と同じ、きりすと教を祭った部族もあったかな。……故国では、中国に伝わったそれらの一部が、儒教として伝わった。元々ある神道や自然崇拝。……八百万の神々と言われるくらいだからね。うん、西洋は一神教が多いけど、東洋は多神教が多数を占めているし……あれ? どうしたの」

 話している内に、マリアージュの様子が、段々おかしくなって来たのに気付き、首を傾げた。

『……そういう事も、わたくし…存じませんでした』

 何をそんなに陰鬱になっているのか、ショックを隠しきれない様子で肩を落としている。

 雪之は、慰める様に軽く肩を叩いた。

「わたしも、国を出るまで知らなかった事が多かった。気にする事も無いと思うよ」

 そして、落ち込み気味のマリアージュの気を紛らわせるため、故国の事を話す。

 柔らかな空の色、四季折々の豊かな自然、そしてそこに育まれた独自の文化。

 話して聞かせるうちに興味を持ったのか、身を乗り出すようにして色々な質問をしてきた。生活様式や風景、そこで信じられている神々の事を。

 その内に雪之の服を珍しげに一つ一つその名称を聞いてきた。雪之は帯や羽織の事。「これも一種の民俗衣装という物だろうな」と呟く。

 淡い瞳を輝かせて無邪気に聞くその様子を見ていると、誰かの面影と重なった。

 誰だったかと首を傾げて…それが、故国に残してきた妹の幼いころである事に思い当たる。

 父がいて、母が居た。病にかかる前で、悩みも苦しみも無い、そんな時代の妹の笑顔だ。

 今の妹は…桜華は陰りのある笑みを浮かべる。優しくて、だけど儚い笑みを浮かべる桜華を見る度、切なくなる気持ちを抑えられない。

 ぼんやり自らの思いに囚われていると、着物の裾を引くのに気付いて、困った様に笑う。

 気にしている様子でしきりに顔を覗き込むマリアージュに、「妹を思い出した」と正直に告げた。

『……妹?』

理由が判らなくて問い返すマリアージュに、この国へ来た切っ掛けだと、苦笑しながら答える。

「妹は…桜華は、病を患ってもう二年以上経つ。父や母と同じ病だ。故国の医術では、綺麗な空気のある場所で、静かに暮らすしか治療する術がない。だから、この国へ来た。病から解放する術を探すため、わたしは異国であるこの地に足を踏み入れたのだ」

『……見つかった?』

 按じるような表情で、雪之を伺い見る。雪之は否定の意味で、首を振った。

「そろそろ半年経つけど…まだ。でも、きっと方法を見つける。……方法がある事を信じている」

 マリアージュは、しばらく雪之を見ていた。

そして微笑む。同意するかの様に、何度も頷いてみせた。雪之は、それを見て、何処かホッとする。

「怪我をみせてごらん」

 素直に腕を差し出したマリアージュの傷を一つ一つ見ていく。そして、その怪我の治癒の速さに感嘆を覚えた。酷い裂傷も幾つか存在していたのに、殆どがその傷口を閉じ、治癒している。全ての診察を終えた後、

「あと、三日だね」

 と、告げた。聞き返すマリアージュに、傷の完治にこのまま順調にいけば三日だと、そう告げる。すると、マリアージュは、複雑な表情をした。喜ぶかと思ったのだが、この反応は何なのだろうと奇妙に思う。

 診療器具を鞄に仕舞っていると、マリアージュは、ここに来た当初からの疑問を口にした。

『……わたくしがこの部屋にいる事を、他の人達には言わなかったのね。……何故?』

 マリアージュの問い掛けに、雪之はあっさり答えて返した。

「だって、きみの様な人種は町中でも他に居ない。初めはこの国の何処かにきみの様な人種がいると思っていたけれどね。……見つけた事といえば、町中の教会の壁画くらいだ」

 そういって、苦笑した。

「そうなると、他の人に見つかっては困る状況に陥る事になるだろうと予想がつく。……好奇の眼差しで見られたり、下手をすれば捕まる。……それは、嫌だろう?」

 思わず頷いたマリアージュに雪之は笑顔を向けた。

「なら、何事も無いまま、無事空に返してあげるのが、道理だ。違うか?」

『…………』

 雪之の言いように、マリアージュは子供の様な無防備な表情で見返して来た。

 雪之は、幼い子供を宥める様に、軽く頭を撫でると、

「人が来たら、隠れるんだぞ」

 と、念を押して、部屋を出ていく。

『いってらっしゃい』

 マリアージュは微笑んで雪之を送りだす。

それは日課だった。 雪之は、何時もの様に、筆記用具を持って部屋を出ると、師の元へ向かう。

 その後、他の留学生たちと共に、町へ今日の予定をこなしに向かうのだ。

『ユキノ……』

 宿舎となっているこの建物に人の気配が消える。 この建物に宿泊している殆どの者たちが雪之と一緒に街に繰り出したからだ。雪之たちの世話係となっている地元の住人も、雪之たちが居なくなると、建物の戸締りをして、夕方まで自宅に帰っている。 再びここを訪れる時は、夕食を作るためだ。

 だから、今はこの建物の中で、マリアージュは一人きりだった。

 それが、痛いほど感じる。 空虚さがじわじわと身体を蝕んだ。 脳裏に浮かぶのは、先程まで言葉を交わしていた雪之の様々な仕種。 声。 差し延べられた手の温もり。 

泣きそうな声で、扉の向こうに消えた雪之を呼んだ。 そして、顔を伏せる。

『ユキノ。……何処?』

何度か、心細げにその名を呟いたが、近くに居ないから、返事を期待出来るはずがない。

 だが、それを知っているはずなのに、マリアージュは、呟き続けた。

 何度も何度もその名を呼び、窓から覗く空を見上げる。

『三日しか、側におれないの? もっと、酷い怪我をしていたら、ずっと側におれたのに』

 そして日が暮れる頃、勉強するために借りてきた沢山の本を、何時ものように抱えて帰ってきた雪之に、マリアージュは何時もと違った笑顔を向けた。

 その反応は今まで無かった事なので、雪之は面食らって硬直する。

 立ち尽くす雪之を見て何を思ったのか、今まで語ろうとしなかった自身の話を語りだした。

 雪之は椅子を引き寄せ、聞く事に専念する

『……わたくしは、人間じゃないの』

 それが、第一声だった。雪之は目を丸くする。

『……この国の人達が神の使いという意味で、“天使”と呼ぶ存在がわたくしたちなの。……現在魔界と呼ばれる場所と、わたくしたちが所属する天界では、紛争が起きているわ。紛争事態は頻繁に起きているけれど、今回起きたこの紛争は長くてそろそろ千年は経過している』

 雪之は驚いた様子だったが、それは一瞬で、次に真摯な眼差しでマリアージュを見つめた。

「だから、あの様な戦装束を身につけていたんだね。きみは戦士なんだ」

『この戦いの決着は、魔界側が天界の管理する、“魂の部屋”から盗んだ、三冊の神書の一冊、過去を綴った本を無事取り返す事にかかっているの。……悔しいわっ! 張本人を見つけ出し、追い詰めた所だったのにっ』

 雪之は、ギリギリ唇を噛みしめて悔しがるマリアージュの肩を軽く叩いた。

「肩の力を抜いて。……今は焦る時期じゃないだろう。まず、怪我を直し、万全の体制で望むことが現在の目標だ」

 マリアージュは、雪之の言葉に素直に頷いた。

「紛争というからには、戦っているのは、きみだけじゃないのだろう? きみがその時取り逃がしていたとしても、他の戦友たちが、きっと何らかの形で、敵の情報を得ているはずだ。戦線復帰するまでに、考える事は多いだろう? 焦る気持ちも判らないでもないが、この状況に陥った事を利用するくらいの、心の余裕を持った方がいい。……相手も、きみが居ないことで、油断しているかも知れない。そこを突くというのも、戦術の一つだよ」

 マリアージュは、嬉しそうに何度も頷いた。

『遅れを取った事ばかり気にしていて……全然そういう事を考えていなかった。ユキノは、凄い。……わたくし、別な角度から見るという事を忘れてました』

 雪之は照れくさそうに笑って首を振る。

「第三者の目から見て思った事だから、凄い事じゃない。……きっと、当事者だったらまた見方が変わったかも知れないし。それより、マリアージュの方が凄いじゃないか。わたしたち“人”が、確証持てない“神さま”に仕えているのだから。……その御使いであるきみを助ける事が出来て嬉しく思う」

 マリアージュは、その言葉を聞いて、少し沈んだ表情をする。雪之は、それを不思議そうに見た。マリアージュは、沈んだ表情のまま、掛け布団を頭から被って雪之に背を向ける。

「……気に障る事を、言った?」

 突然取ったその行為に、意味が判らずそう問いかけたが、返事が無かった。雪之はしばらくその背を見ていたが、一つため息をつくと、机に戻り、借りてきた本を開く。

 読んでいる内に、そのままウトウトと居眠りを始め、終いには突っ伏したまま、寝てしまった。

(……この、綺麗な天使が訪れて、桜華の夢を見なくなったな……)

 久方ぶりに夢に訪れた妹の面影に、忘れたわけじゃないよと、言い訳をする。

誰かが泣いている気がした。……雪之は眠りに身を任せながら、それが切なかった。

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