第56話 付喪神
「安らかに眠れ、ダ・ヴィンチ」
刀を収めて目を瞑り、リクは本来の偉大なる天才に黙祷を捧げる。その背中は哀愁を漂わせる一人の武士に見えた。
「元に戻ったか……」
目を開くと、編まれていくように光が集い、人の形を形成する。やがて光が鮮やかに色づいていくと、ダ・ヴィンチの核にされていた人間が目の前に現れた。
「──ッ!? 女の人だったのか」
気の優しそうな顔立ちの、長い黒髪女性にリクはハッとする。男性がダ・ヴィンチの核にされていたと思っていたが、どうやら
「あっ……私……」
女性はリクの顔を見てから周囲を見回すと、
「わ、私、なんて酷いことを……あっ……」
驚愕と混乱に声を震わせ、両手を口元に当てた。
「大丈夫。すべて悪霊化したダ・ヴィンチのせいだ、あなたのせいじゃない」
我を忘れそうになっている女性に、リクは優しく言葉をかける。憑依された人間には意識も記憶もある。過去に
「でも……でも……私……あっ、ああっ!」
女性はなお心苦しそうに嘆く。しかしそんな悔やむ時間すら与えてくれないのか、急激に足元から石化が始まると、女性は助けを求めるようにリクを見つめた。
「少しの間眠るだけだ。いつか絶対に俺達が助ける」
ダ・ヴィンチを除霊すれば、憑依されていた人間のSPもゼロになる。
人の命を天秤にかけることはできないとはいえ、何もしなければ全滅する道しか残されていない。だからこそ、リク達は全区を解放してすべての人を救うつもりでいた。
「皆も必ず元に戻す。だから待っていてくれ」
リクの言葉に、相手が何を思ったか知るより早く、女性は縋るような表情で灰色一色の石へと変わった。
まるで天才の作り上げた、最高峰の芸術作品のように。
「……おやすみ」
静かな休息についた者へ眠りの挨拶を告げ、リクは仲間のもとへと歩いていく。何度経験しても慣れない。
けれど慣れてしまえば何か大切な想いを失ってしまうような気がして、リクは湧き上がる苦悩も悲しみもそのまま胸に受け止めた。
「付喪神の様子はどうだ?」
アオイの横にしゃがみ、腕に抱えられている小さな魂をリクは見つめる。
「残りすべての力を送り込んでみたんですが、一向に回復する兆しが見えないんです……」
どうやら風船に穴が開いているように、力が抜けていってしまうようだった。
「……もう……無理しないでくだちゃい……」
それでもなお、なんとかできないかと思い悩むアオイを、付喪神はそっと制止した。
「お前のお陰でダ・ヴィンチを除霊することができた。本当にありがとな」
彼がダ・ヴィンチを捕らえてくれなければ、さらに悪夢は続いていただろう。誰よりもボロボロだったにも関わらず、力を振り絞って助けてくれたことに、リクは頭を下げた。
「出会ったときから最後まで、助けられてばかりだな。それなのに、お前自身を助けてあげられなくて……ごめんな」
「謝らないでくだちゃい……僕は皆さんに……いっぱい迷惑かけまちた……だから……最期くらいは……お役に立ちたかったんでちゅ……」
付喪神は弱々しく声を絞り出し、閉じかけている目蓋をなんとか開いて笑みを作った。
「付喪神さんのせいじゃありません……それに最期だなんて言わないでください」
力ない言葉と様子に、アオイは辛そうに声を震わせる。
「だから……こんな結末になってしまいまちたが……自分を責めないでくだちゃい……人を守りたいという気持ちは……僕も皆さんも同じでちたから……」
なおも四人を気遣う小さな命にリクは息を飲む。人間でもここまで命を張って他人のために尽くす者は少ないかもしれない。けれど付喪神は、なんの躊躇いもなく力を貸してくれた。
「何か俺達にできることはあるか?」
その温かい想いにせめて一つでも報いたいと、リクは優しく問いかけた。すると、
「僕……高い所から……世界を見てみたいでちゅ」
付喪神は空を見上げながら願いを口にした。
「世界を見てみたい……か」
彼は以前〝大きく立派な木になりたい〟と言っていた。あのまま成長していたら、もっと高い位置から好きなだけ公園も街も一望することができたはずだ。
「わかった。思いっきり高い所から一緒に世界を見ようぜ」
付喪神の願いを聞きリクはアオイに頷くと、四人揃って地面から足を離し、体に負担をかけないようにしながら、高層ビルすら見下ろす位置まで上昇した。
「ほら、見晴らしのいい所まで来たわよ」
そっと寄り添うように、ミカがアオイの隣から声をかける。すると付喪神はゆっくり顔を横に向け、視界いっぱいに広がる街と空を眺めた。
「すごく……綺麗でちゅ……」
目の前に広がる街並みを見て、付喪神は目を細める。街に降り注ぐ太陽の光と、空の青が彩りを添える景色は、皮肉にも天才芸術家の描いた心揺さぶられる絵画のように見えた。
「東京の街って、こんなに壮大に見えるんだね」
遥か遠くまで見える街並みに、ユイトは感嘆の声を漏らす。ほとんどの人が避難した影響で、人の姿も喧噪もない渋谷は風だけが流れていた。
それがまるで人類の消えた近未来のようで、優美でありながらも本能的な恐怖も感じさせた。
「こんな素敵な景色が……見られて……僕はとても幸せ者でちゅ……本当にありがとうございまちた」
景色に心動かされたのか、小さな頬には一筋の涙が伝っていた。
「お礼を言うべきなのは私達のほうです。付喪神さんにはいっぱい助けて貰いました」
「そうだぜ。お前がいなかったらダ・ヴィンチを倒せなかっただろうし、もっと被害も広がってたはずだ。すっげぇ感謝してるし、誇りに思っていいことだぜ」
アオイとリクに力強く言われ、付喪神は顔を綻ばせ笑みを浮かべる。
「そう言って……貰えるだけで……なんだか元気に……なれそうでちゅ……」
しかし言葉とは裏腹に声に力はなく、ロウソクに灯った火のように、吹けば消えてしまいそうだった。
「時間を作って、またこの景色を見に来ましょう。皆で一緒に、ね?」
「何度だってこうやって連れ出すからさ」
奇跡が起きて欲しいと願いつつ、優しく話しかけるミカとユイトの声を聞きながら、付喪神は青空を遠くに眺めるが。
「そうでちゅね……それなら気合い入れて……元気にならないと……いけないでちゅ……ね……」
眠気に勝てず眠ってしまう子供のように急激に声が小さくなると、静かに目蓋を閉じ、安らぐように体の力を抜いた。
「……付喪神さん?」
動かなくなった小さな顔に向け、アオイは微かに声を震わせながら話しかける。しかし完全に閉じられた目蓋は、声をかけても再び開くことはなかった。
「付喪神さん……」
反応しなくなった小さな体を温めるように、アオイはしっかりと付喪神を抱き目を伏せる。それはまるで、我が子を慈しみ悲しむ母の姿に見えた。
「体が……」
直後、全身が淡く温かな光に変わり始めた付喪神に、ミカが息を飲む。
「見送ってあげよう」
ユイトが寂しげな眼差しで、解けて空気に溶けていく体を見つめる中。
天に昇っていくように光の軌跡を残しながら、付喪神は消えていった……
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