第36話 弱点

「ダ・ヴィンチ……」


 おそらく全身を絵の具で覆って描き変えていたのだろう。

 透明化を警戒するあまり、姿を変えて現れることをリクは考慮していなかった。


「やはり私のほうが何枚も上手なのだね。私を捕らえる話を近くで聞いていて、笑いを堪えるのが大変だったのだね」


 兵士に成りすまし見事に目的を達成した男の言葉に、リクは悔しさを滲ませる。

 自身の足元すらも溶かし宙に浮くダ・ヴィンチ。それに対峙するのはリク達四人と外を警護していた数人の兵士のみ。

 時間を稼げれば、城の内に落ちた兵士達も加勢してくれるだろうが、目的を達成した相手を足止めできるかどうか甚だ疑問だった。


「これですべての施設を芸術品へと昇華できた。とてもいい気分なのだね」


 長年の夢を叶えたように、ダ・ヴィンチは満足そうに溶けきった城を尻目に空を仰いだ。


「人に迷惑かけといて、興もへったくれもねぇんだよ。もう目的を達成したってんなら、おとなしく除霊されてくんねぇかな?」


 リクは挑発するように相手を指差す。城は溶けただけなので、壁や天井に押し潰された者はいないはず。

 二、三分も時間稼ぎをすれば兵士達の態勢も整うだろう。


「確かに最終目標だった城を昇華させて、私はかなり満足感を得たのだね。だが天才は、ゴールした瞬間から次の目標を見るもの。君達と遊んだときも、周囲には芸術性のない建物が零れていた。非常に芸術家の血が騒いだのだね」


 ダ・ヴィンチは無数の敵を前にした戦闘狂のように、目を妖しく輝かせながら興奮ぎみに語る。

 それはつまり、今後はお前達の建物も溶かすぞと宣言されたに等しかった。


「そんなこと、俺達が見過ごすと思ってるのかよ。価値観のズレた酔狂なことがしてぇんなら、あの世でやってろよ」


 実際そんなことをやられたら、あの世の住人には大迷惑であろうが、今のダ・ヴィンチは一時的に悪霊化しているだけなので、除霊してしまえば元に戻るはずだ。

 問題は、どうやってこの場から逃がさずに除霊するかだが。


「時間稼ぎに付き合うつもりはないのだね。君達にはまたこの子達と遊んで貰うかね」


 やはり天才にはバレていたらしく、ダ・ヴィンチは前回の流れをなぞるように絵筆を天へ向けると、大きく横に振り黒い絵の具を宙に舞わせる。

 このままではまた大量の空想妖魔ファンビルが生み出され、ダ・ヴィンチに逃げる隙を与えることになってしまうが。


「──ミカ、今だ!」

「ウェアー・トレント」


 リクの合図で、ミカの手のひらから大量の水が解き放たれる。そして水は空へ流れる川のようになると、空中に広がっていた絵の具をすべて押し流した。


「なんと! こんな方法で防がれるとは思わなかったのだね」


 地面に広がる薄まった黒い水を見て、ダ・ヴィンチは驚きと称賛を送る。

 念のため警戒してみるが、水から空想妖魔ファンビルが生まれることはなかった。


「リクの言ったとおりね」


 ミカが嬉しそうにリーダーの顔を見やる。

 水彩絵の具であるなら、水の心現術イマジンで無効化できるかも、という予測を立てミカに実行して貰ったが、どうやら上手くいったようだ。


「能力を封じちまえばこんなもんだ」


 思いどおりに運んだ結果に満足し、リクは怖いものなしと強気になり。


「絵の具なんざ、水で洗い流しちまえばどうってこと」

「というのは冗談なのだね」


 バカにしようとした言葉を、ダ・ヴィンチに遮られた。


「自分の能力の弱点くらい、誰でも把握しているものだね」


 〝その程度で喜ぶなんて、まだまだ子供だね〟とでも言いたげに、天才が憐れみを持った目で見下ろしてくる。


「さて、そろそろ邪魔が増えてくる頃。次はこれでどうかね」


 そしてダ・ヴィンチは、またもや絵筆を掲げて大きく横に振った。


「させるわけないでしょ! ウェアー・トレント」


 それを再び阻止しようと、ミカがすかさず水流で絵の具を押し流そうとする。が、先程とは打って変わって、絵の具は水を弾くように術を寄せつけなかった。


「甘い。弱点はわかっていると言ったのだね?」


 勝ち誇ったようにダ・ヴィンチは眉を上げる。その間にも、木や草に付着した黒い絵の具からは、次々と空想妖魔ファンビルが湧き出てくる。

 理由はさっぱりわかんねぇけど、天才に同じ手は通用しないってことか……


「この数を相手していたら、ダ・ヴィンチさんに逃げられちゃいますよ」


 焦るようにアオイが周囲を見回す。ザッと見積もっても敵は三十体はいる。態勢を整えつつある兵士達に加勢して貰ったとしても、相手をしていたら犯人に簡単に逃走されてしまうだろう。


「仕方ねぇ。俺がなんとかあいつの足止めする。三人でやれっか?」

「やれるかどうかって言うより、やるしかないね」


 リクの問いかけにユイトは決心を固め、アオイとミカも頷く。

 全員でダ・ヴィンチに向かっていっても、空想妖魔ファンビル達に邪魔されるのがオチだろう。透明化で逃げられる隙を与えなければ、単独でも足止めは不可能ではないはずだ。


「兵士達と油断せずに対処すれば大丈夫だ。じゃあ行ってくる」


 仲間を信頼し、後は任せたとリクが飛び立とうと体を浮かせる。

 黒魂ブラック相手に一人では、長い時間の足止めをするのは難しいだろう。それでも、三人が空想妖魔ファンビルを全部倒すまでやらなければ、今度こそ被害者が出てしまう。

 そう思い、リクが刀を携えて飛び寄ろうと体に力を入れた瞬間。


「しかしこれでは、前回と同じ結果になる可能性が高いのだね。だから君達にはこっちで遊んで貰うかね」


 ダ・ヴィンチが不穏な台詞を吐いたかと思うと、今までとは比べものにならないほど、大量の黒い絵の具を一気に空中へと広げ、リク達四人を周囲の空間ごとドーム状に覆った。


「な、何よこれ!」


 正体不明の現象に驚いたミカの声が、ドーム内に反響する。


「皆さん、大丈夫ですか?」

「俺はなんともないよ」

「こっちも平気だ」


 いきなり真っ暗闇に包まれたため、近くにいる仲間の姿すら確認できないが、どうやら全員無事のようだった。


『さて、楽しい楽しいショーの始まりかね』


 そこに、マイクを通したようなダ・ヴィンチの声が響き渡ると、トンネルを抜けるような光が四人を包み込んだ。

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