第26話 私だけ?

「香りを嗅いでみてくださいです」


 ルナの促しに、リクはミカから絵を受けとり鼻を近づける。


「──ッ!? これって!」


 すると、今日何度も嗅いだ匂いと同じ香りにハッと目を見開いた。


「……絵の具の匂い」

「そうです。さっきリクの手のひらに付いていたものとそっくりなんです」


 自分の手と画用紙の匂いを交互に嗅いで、ほぼ同じだと確信したリクは、手かがりを一つ得たことに興奮した。


「どうりで記憶にあったわけだな。水彩絵の具か。よし、これでさらに犯人に近づけたぜ」


 具体的に絵の具でどうやって建物を溶かしたかはわからない。けれどわずかでもヒントを得られたことは幸運だった。


「絵の具、建物融解、見えない犯人。なかなかユニークな相手みたいだね」

「あとは相手をどうやって見つけるかだけね」


 ううむと悩むユイトにミカが言葉を重ねると、リクはキョトンとしてミカを見つめた。


「何言ってんだ? 犯人を見つけるなんて簡単だろ?」

「えっ嘘、なんでわかるのよ!?」


 リクの言葉が信じられないのか、ミカは仲間に〝わかるわけないわよね?〟と同意を求めるように視線を送る。しかし全員から〝え? なんでわかってないの?〟という表情を返された。


「え、私だけわかってない感……じ?」


 コクコクと頷く一同にショックを受けたのか、ミカは苦い表情を浮かべると。


「ごめんなさい……わからないので教えてください……」


 ヘコんで項垂れながら教えを請うた。


「仕方ねぇな、俺様が教えてしんぜよう」


 そんなミカの様子に、リクは普段のお返しとばかりに意気揚々と応えた。


「じゃあ基本的な質問。犯人が狙ってる建物は?」

「国の施設よ。それはわかってるけど……」


 普段自分のほうがリクを煽っているからか、ミカはこの状況に不服そうにしながらも反発せずに答えた。


「アオイ君、今日訪ねた施設の職員達は、建物はいつ溶けたって言ってたかね?」


 なぜか口調まで変えて、愉悦に浸るようにリクは仲間に問いかける。


「午後二時に事件が起きたって言っていました」


 理由はハッキリとはしないが、犯行時刻は決まって午後二時。

 それはすべての施設にいた職員から証言を得ていた。


「ではユイト君、まだ被害を受けていない国の施設は?」

「残ってる建物は王立美術館だけだね」

「あー、そこに犯人の能力ヒントがあったのかぁ、先取っちまったな。まぁ直前で気づくよりいいか」


 ユイトの一言で、犯人の手がかりが次の犯行予想現場にあったことに気づき、リクは苦笑いを浮かべた。


「つーまーり、犯人が国の施設だけを狙っている以上、次の犯行現場は唯一残っている王立美術館ってことだ。そして犯行時刻は決まって午後二時、ってことは?」

「午後二時に美術館で待ち構えてれば、犯人の方から来てくれるってわけね……そのことを私だけがわかってなかったと」

「そういうこったな。名推理おめでとうございます」


 自分の不甲斐なさに呆れるミカに、リクはわざとらしい拍手で称賛を送った。


「で、でも次の犯行現場も時刻もわかってるってことは、他の解放者リベレーター達も待ち構えてるってことよね?」


 汚名返上のつもりなのか、思いついただけにしか聞こえない指摘をするミカに、リクは大きな溜息をつく。


「そんなことは百も承知だよ。そりゃ誰よりも早くクエストを達成すれば、報酬が貰えるからいいけどよ。解放者リベレーターは全員目指してるとこは一緒だし、共同戦線ってのも状況によっては必要だと俺は思ってる」


 解放者リベレーター達が平等にクエストを達成していたら、突出したレベルの者が現れず、いつまで経っても結界を解くことは不可能だろう。

 かといって、同じ目的を持った者同士が争っていては、さらに被害者が増えていくばかりだ。

 リクにとって、他人を犠牲にして得るものに価値はなかった。


「そうですね。誰かを蹴落として目的を達成しても全然嬉しくありませんし、自分のせいで不幸になる人が出るのは絶対に嫌です」


 意見を後押しするように、全面的にアオイも支持する。その気持ちに、リクは嬉しそうに「だよな」と微笑んだ。


「私もそれには賛成だけど、達成目前で他人に手柄を取られるとイラッとするわよね」


 過去にされた横取りを思い出したのか、ミカがムスッとしてテーブルに頬杖をつき。


「確かに、後ろから刃物でエイッてやりたくなるよね」

「それはさすがに賛同しかねるけど……」


 笑顔で物騒なことを言い出すユイトに、頬を引きつらせた。そんな四人を見て、


「ははっ。皆、出会った頃より立派な解放者リベレーターになって、お兄さん嬉しいさ」


 会話を楽しそうに眺めていたジェイクが、子供の成長を喜ぶ父親のように言った。


「初めて会ったときは、驚くほど切羽詰まった顔してて、こっちが心配になるくらいだったのに。こんなに見違えるほど逞しく成長するなんてな」


 期間にして未だ三ヵ月だが、四人は人生で一番濃い時間を過ごしてきた。それを近くで見守ってきたジェイクの言葉は、彼がNPCということを忘れさせるほど、実感の熱を帯びていた。


「あの頃は右も左もわかんなかったからなぁ。ジェイク達がここを紹介してくれて、ちょっとずつクエストにも挑戦していって。最初は武器も能力も上手く使いこなせなくてな」

「そうでしたね。心現術イマジン心霊現象ポルターガイストも、敵に当てられずに苦労しましたね」

「本当、色々あったわよね。リクがスライムに飲まれたり、リクが河童にキスされたり」

「俺の黒歴史ばっかじゃねぇかよっ!」


 思い出に浸ろうとしていた思考を邪魔するミカに、リクは反射的にツッコミを入れる。そのまるで漫才のようなやりとりに、ユイトだけでなくアオイまでも顔を逸らしてクスクスと笑った。


「そう言うミカだって、瞬間移動で出現位置ミスって、自分から空想妖魔ファンビルの腹の中に飛び込んだり、粘液まみれにされたりしたじゃねぇか」

「ちょ、やめてよ! その過去は記憶から抹消してたんだから!」

「へへーんだ、ぜんっぜん痛くないですよぉ」


 過去を掘り返す男の頭をミカがバシバシ叩くが、髪が揺れるだけで痛くも痒くもないと、リクは悪魔の笑みを浮かべた。


「アオイ、これがどんぐりの背比べ、五十歩百歩ってやつだよ」

「ことわざを自ら体現するって凄いですね。私も面白い黒……歴史? 作らないと」

「ぐっ……そこ外野、うるせぇぞ」


 小バカにするユイトと天然発言をするアオイに、リクはぐぬぬと唇を噛みしめる。少なくとも今まではミスらしいミスを二人はしていないので、どうやっても言い返せないのがリクは悔しかった。


「人間誰しも失敗はあるです。大切なのは失敗から学んで次に繋げること。逃げたり諦めたりしなければ、必ず大きく成長できるです」

「あーん、ルナちゃーん、ありがと。かわいいっ」


 さりげなくフォローしてくれる優しさに、ミカはルナをギュッと抱きしめる。


「ルナ、二人を甘やかさないでくれる? この二人すぐ調子に乗って、今度は揃って空想妖魔ファンビルに飲み込まれかねないからさ」

「するか!」「しないわよ!」


 仲間を憐れむユイトの頼みに、リクとミカが同時にツッコむと、アオイは何かに気づいたように言った。


「でも、こういうのなんて言うんでしたっけ……フラグ?」

「うっ……そ、そんなフラグへし折ってやんよ!」


 思わぬ方向からトドメを刺してくる後輩に、リクは胸を押さえつつ強がってみせる。


「ははっ、皆元気があり余ってるみたいだな。その意気でクエスト頑張るさ」


 そんな四人の楽しそうな姿を見て安心したのか、ジェイクは笑ってジョッキを掴むと、飲み物をグイッとあおった。

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