第25話 可愛い絵

「はぁー、疲れたぁ。こんなにあちこち動き回ったの久し振りだぜ」


 リクが凝ってもいない肩を揉みながら項垂れる。

 あれから時間をかけて、役所や研究所などすべての被害施設を訪ねたが、結局新たに得られた情報は犯行時刻ぐらいしかなかった。


「そうね。時間もこんなに経ってるし」


 ミカがスマートフォンで時刻を確認する。眼下に見える道路では街灯が点き始め、太陽もほとんど沈みかけていた。


「もうすぐ着きますから、頑張ってください」


 癒し担当のアオイが〝あと一息〟と応援する。どちらにせよ夜では見つかるものも見つけにくい。今日は戻ろうと、四人は空を飛びながら渋谷区から大田区へ真っ直ぐに帰っていた。


「体は全然平気だけど、精神的に疲れたわよね」


 疲れの見え隠れする瞳で、ミカは溜息を一つ吐く。

 幽霊になったお陰で体の疲労というものはなくなった。しかし精神的な疲れは依然として──むしろ体がない分、生きているときより顕著に感じるようになっていた。


「気分転換にご飯食べれば、疲れなんて吹っ飛んじゃうよきっと」

「そうね。デザート二つ食べればストレスも消えるかもね」


 ユイトに被せて朝のことを蒸し返すミカに、リクはハハッと乾いた笑いを零した。


「モイライが見えてきましたよ」


 アオイが指差した先、次第にその大きさを増していく自分達の住処に、リクは安堵感と共にドッと疲れを感じた。


「俺も今日はたらふく飯食いてぇ気分だわ」


 頭脳系クエストを望んだはずなのに、結局動き回って肉体労働をしていることに溜息が出る。それでも美味しいご飯にありつけるという希望に、リクは地面に降り立つとモイライの扉を勢いよく開けた。すると、


「おう、お帰りさ」

「お疲れ様です。朝から頑張っていたみたいですね」


 まるで出迎えの準備をしていたかのように、ジェイクとルナが入り口の前に立っていた。


「なんだよお前ら、飯はまだなのか?」

「俺達も今戻ってきたところさ。これから食べるから一緒にどうさ?」

「おっ、いいねぇ。六人で食事って最近なかったからな」


 ジェイクの誘いにリクが乗ると、解放者リベレーター達で賑わう店内を進み、カウンター近くの丸テーブルへと座る。そして各々注文を終えると、料理を待つ間に今日受けたクエストの話を二人にした。


「なかなか難しい案件みたいだな。その香りがなんなのかはわかったさ?」

「どっかで絶対嗅いだことあるはずなんだけど、全然思い出せねぇんだよなぁ……」


 図書館以外の施設でも同じ香りがしたが、四人共覚えはあるのにどうしても該当する言葉が出てこなかった。

 楽しかったような懐かしいような、思い出の中にそっと置かれている。そんな非常にむず痒い感覚に、リクは頭を掻いた。


「確かに、リクから変わった香りがするです」


 仄かに香りをまとっていたのか、ルナは小さな頭をリクの体に近づけた。


「溶けた建物に触ったです? 手のひらから漂っているみたいですけど」


 リクの手を取り、まるで口づけるかのように顔を至近距離に持ってきたルナの顔を、リクは思わず凝視してしまった。


「と、溶けた壁に触ってみたりしたからなっ。匂いが付いたのかもなっ」


 リクは動揺して声が上擦りそうになる。しかしルナは、なぜ動揺しているのかわからないようで、首をコクンと傾げてから顔を離した。


「と、とにかくっ。情報は少ねぇけど、犯人を見つける目星は……」


 ルナが離れてもなかなかドキドキが収まらず、思考がまとまっていない様子の十八歳男。初々しくも滑稽に見えるその様子を見て、


「リク先輩、なんでそんなに顔が赤いんですかっ」

「年下にやられるなんて、リクってロリコンね」

「リクも男ですなー」


 アオイはふて腐れ、ミカは茶化し、ユイトは感心していた。


「私もこの香り、最近嗅いだ記憶があるです。これはなんだったか……」


 うーんと顎に指を当てルナは懸命に思い出そうとする。そのあどけない表情と仕草に、心なしか周囲の解放者リベレーター達の視線を集めている気がした。


「──あっ!? 思い出したです。ちょっと待っていてください」


 香りの正体に思い当たったのか、ルナは眉をハッと上げると店の奥へと消えていった。


「なんでしょうね?」

「わからんさ。まぁすぐ戻ってくるだろうから、俺達は飯を食いながら待ってようさ」


 見送るアオイにジェイクが気楽に言うと、入れ替わるようにウエイトレス達がたくさんの料理を運んでくる。それを食べつつ待っていると、ルナが紙を持って戻ってきた。


「お待たせしたです。これ、いつも遊びに来てくれる近所の小さな女の子が、先週描いてくれたものですけど」


 ルナが見せたのは、画用紙にモイライの建物とルナを描いたであろう水彩画だった。


「小学生くらいですかね。とても可愛らしい絵ですね。色の使い方がすごく上手」

「私、小さな頃はこんな綺麗に描けなかったなぁ」


 画用紙を手に持ち、幼い子供が描いたような絵を、アオイとミカは微笑ましく眺める。


「ミカの絵、前衛的すぎて高校の男連中には〝ピカソ〟って言われてたもんな。あの時は言い得て妙ってこのことだと思ったぜ」

「ほほう、つまりはあなたも私の絵が前衛的って言いたいわけね?」


 ここぞとばかりにニヤニヤしながらイジるリクに、ミカは相手の横腹に拳をグリグリと押し当てながら睨んだ。


「そ、そんなことないですよ。私は前衛的じゃなくて、小学生の頃の純粋な心を持ったまま描いた素敵な絵だなって思いましたよ」

「アオイ、それフォローになってないわよ……」

「えっ? わ、私の感想おかしかったですか?」


 助け舟が泥船だったようで、テーブルに頭を突っ伏したミカに、アオイはあたふたした。


「前衛画家ミカのことは放っておくとして、この絵がどうかしたの?」


 ミカは顔を上げ、向かいに座る男を恨めしそうに見つめる。だがユイトはそれを無視しつつ、ルナに意図を問うた。

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