第17話 子供から一歩前へ
「……ん?」
おそるおそるリクが薄目を開けて正面を見ると、ミカの拳はリクの眼前で縛りつけられたかのように止まっていた。
「ちょっとユイト、邪魔しないでよ」
犯人を追及するように抗議するミカの視線の先。そこには、呆れ顔で見つめているユイトの姿があった。
「二人共、もうそこまでにしなよ。近所迷惑でしょ」
ユイトは溜息をつき、苦言を呈しながら腰に巻いた水色の絹織物を揺らした。
「そ、そうだ。怪我でもしたら傷害事件になるぞ。暴力はんたーい」
「幽霊なのに怪我なんかしないわよ。痛くもないんだし」
抗議するリクに、ミカは〝いい加減なこと言ってるんじゃないわよ〟と怒りを滲ませる。
普通の幽霊同士は、互いにダメージを与えることができない。もちろんミカも重々承知な上で鉄槌を下そうとしていた。
「それでも衝撃は感じるし、怖ぇもんは怖ぇんだからな。ガサツな暴力女はモテねぇぞっ」
「お願いユイト、一発でいいからリクを殴らせて」
カチンとくる言い草に、ミカは拳を当てようとグググと力を振り絞り、リクも負けじと睨み返した。
「まったく……子供じゃないんだから……」
二人の言い合いに、ユイトはやれやれと再び溜息を一つ吐き。直後、カーキ色のハーフパンツから伸びた長い足を一歩前に出すと、
「うおっ! 何すんだよユイト!」
「ちょっと、降ろしなさいよ!」
自分の意思とは関係なく浮かび上がった体に、リクとミカは手足をジタバタさせるが。
「止めないなら……川で頭冷やすよ?」
ゆっくりと川の方へ二人を移動させながら、笑みを崩さず告げたユイトに、リクとミカはビクッと体を震わせた。
幽霊なので何時間川に沈められようと平気ではあるし、物理的に頭が冷えることもない。
しかし、首に巻いた白いストールと黒いタンクトップがまるで暗殺者のように見える男の笑顔に、二人は死ぬほど恐怖を感じた。
「や……やっぱり喧嘩はよくないわよね」
「そ、そうだなっ。近所迷惑にもなるしなっ」
氷溜まりが散見する河川敷を背景に、二人は顔を引きつらせながら互いに頷き合う。するとストンと地面に足が着き、解放されたことにリクは安堵した。
普段は明るく人当たりの良さそうな言動をしている男なのに、二重人格のように覗かせるサイコパス感に、リクの肝はよく冷やされた。
「まったく……地面をこんな氷だらけにしちゃって」
「悪かったわよ。でも、放っておけば勝手に消えるから大丈夫よ。ね? アオイ」
ユイトの苦言に、ミカはあっけらかんとしてユイトに近づいていくと、隣にいたアオイに同意を求めた。
「元には戻りますけど、周りに住んでる人達が怖がるかもしれませんね」
アオイは苦笑いを浮かべると、華の舞う桃色の着物帯を背中から覗かせながら、白いフリルシャツと濃い紅色のスカートの前で両手を重ねた。
「アオイ、もっとガツンと言ってもいいんだよ? 甘やかしたら後で大変なんだから」
仲間として一緒に行動しているものの、今でも年上である三人に対して敬語を使うせいで、ユイトから見ればミカを甘やかしているように聞こえたのだろう。
「まっ問題ないわね。行きましょ」
しかしミカは何事もなかったかのように、戦闘痕にしか見えない場所に背を向けてスタスタと歩き出し。
「これから出かけるんだから、体力温存しておかないと」
アオイに「ね?」とウインクを送った。
「どの口が言ってるんだか」
ミカの一言に、ユイトは苦笑いを浮かべる。激しく動き回っていたミカ本人が言うのはおかしかったが、このレベルの喧嘩はじゃれ合い程度にしかならない。
さらに言うなら、幽霊になってから体力という概念はなくなったのでまったく問題はなかった。
「先が思いやられるな」
リクはふうと息を吐きながらも、ついさっきまで食事をしていた場所へと足を向ける。そこには住み慣れた石造りの建物──モイライがあった。
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