第16話 河川敷のじゃれあい

 のちに〝霊化のファントムデイ〟と呼ばれるようになった卒業式の日。


 それから三ヵ月後、東京都大田区。


 空の玄関と呼ばれる羽田空港を抱え、数多くの町工場が立ち並び下町情緒零れる、東京都23区内で最大の面積を誇る特別区。


 その南に位置し、隣接する神奈川県との境を作る多摩川の河川敷、そこで。


 リクとミカは喧嘩していた。


「さて、覚悟はいいんでしょうね」


 マントのように羽織った赤く短い絹織物をはためかせながら、ミカはリクに一歩ずつ詰め寄っていく。


「覚悟って、俺はなんも悪くねぇだろ」


 ゆっくりと下がりながら両手を振って拒絶するリクを見て、ミカの眉間に力が入る。

 リクより背は低いが、それでも平均より高めな十八歳の女性。

 そんな人物が、茶色のブーツにショートパンツ、極めつきはファスナーで前を閉めただけの袖のない黒ジャケット、という出で立ちで迫ってくるせいで、さらに迫力を増していた。


「ほほう、自分に罪はないと。その口が言うのね」


 ミカが青筋まで立てて、リクの白黒の重ね着ティーシャツを掴んで揺さぶると、袖のない紺の羽織が揺らめいた。 


「おい、やめろって。服が伸びるだろ」

「じゃあもう一回、頼んでもいいわよね?」


 〝責任をとれ〟と顔を近づけるミカに、リクは視線を一瞬逸らし。改めてミカの瞳を真っ直ぐ見つめると、親指を立ててニッコリと微笑み。


「だが断る!」


 ミカの腕を振り解くと、うむを言わさず駆け出した。


「──あっコラ! 待ちなさいよ!」


 逃げる背中に向かってミカは声を荒らげ走り出す。すると、逃げる者が追われるのは人類の風物詩とでも言わんばかりに、風に服をなびかせながら河川敷の逃走劇が始まった。


「うっわ、追ってきたああああああああ!」


 煽った自覚がないのか、リクは高速で距離を縮めてくるミカから逃げながら叫ぶ。


「マジ怖ぇからやめろって!」


 リクは土を踏み固めるように走り回り、迫ってくる仲間の制止を試みるが。


「うるさい! 〝小さき命に 静かな氷結の夢を与えよ〟 カーム・ビット」


 断罪するように放ったミカの氷の飛礫が、地面にいくつもの氷溜まりを生み出し、勢い余って踏んでしまったリクは、目を剥いて派手に転んだ。


「ミカさん、ちょっと本気すぎやしませんか!?」


 通常、空想妖魔ファンビルを除霊するために使われる心現術イマジンを仲間に対して使うミカに、リクは黒いパンツとブーツに土をつけながら抗議の声を上げた。


「私の大事なものを奪った男に、情けなんて必要ないわ!」


 今度は心霊現象ポルターガイストでリクの真上に瞬間移動したミカが、拳を思いっきり振り下ろす。

 普通の霊同士では、武器や能力による攻撃でも相手にダメージを与えない。とはいえ、怒り顔で攻撃してくる相手に恐怖を感じるのは無理もなかった。


「マジわりぃ、悪かったって! ほら、怒ると美人が台無しだぞっ」


 リクは転がるように攻撃を避け、反省に勝る恐怖心によって即座に謝る。だがミカは、一瞬嬉しそうな表情を浮かべたかと思うと、すぐに頭を振って睨みを利かせ、思いの丈をぶちまけるように言い放った。


「最後に食べようと残しておいた私のデザート、食べておいて許されるわけないでしょ!」


 なんと言うか……食べ物の恨みにご立腹だった。


「全然手つけねぇから、嫌いなのかと思ったんだよ」

「私が注文したのに、んなわけないでしょ! 私が好きな物は最後に食べるの知ってるはずよ!」

「お前の細かい趣味嗜好なんて知らねぇよ」

「リーダーならそれくらい把握しておきなさいよ!」

「ちょ、うおいっ!」


 火に油を注いでしまったのか、跳んで頭上からかかと落としを見舞ってくるミカに、リクは情けない悲鳴を上げて再び転がった。


「お前マジやめっ! そんなん喰らったらマジで死ぬ!」


 〝もう勘弁〟と両手を振って降参の仕草をリクは見せるが。


「もう死んでるのにこれ以上死なないわよ。なんなら脳みそ作り直してあげましょうか?」


 これ以上ないほどの悪魔の微笑みを返され、リクは顔を引きつらせた。


「覚悟しなさい」


 〝歯を食いしばれ〟と言わんばかりに、ミカが拳を振りかざし、尻餅をついているリクの前に立つと、リクは覚悟を決め、目を瞑って顔を背ける……が、頬に加えられるはずの一撃は一向に襲ってこなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る