第2話 奪われたもの

「冗談だろ……」


 思わず腕で顔を覆いそうになったリクが、目にした異様なモノ。


 それは長くて太い緑色の体をくねらせ、先端に人間の上半身を融合させた、十メートルを超える大蛇だった。


「う、うわぁ!」


 見たこともない奇妙な怪物に、若い男性教師が大蛇の入ってきた入り口に向かって逃げる。

 するとそれを見た他の人達も、我先にと一斉に出口に殺到し始めた。


「──ッ!? マズい、避けろ!」


 状況を俯瞰的に見ていたリクが叫ぶが、時すでに遅く。

 出口付近にいた人達が反応するより早く、大蛇が長い体をしならせ薙ぎ払うように尻尾を振ると、人間達をまとめて吹っ飛ばした。


「かっは……あれ? 痛くない?」


 一度も床に触れることなく端の壁まで弾き飛ばされ、最悪即死、良くても全身骨折してもおかしくないような衝撃だったにも関わらず、幽霊だからか、最初に逃げた男性教師は何事もなかったかのように立ち上がった。


「ははっ、痛くないなら恐れることは何も……なっ」


 そう言って不敵な笑みを浮かべ歩き出そうとした直後。

 男性教師は自身の足が動かないことに気づき、視線を足元へ向け。


「なっ、なんだよこれ! 俺の体が!」


 足の先から服ごと体が石へと置き換わっていることに気づき、限界まで目を見開いた。


「ちょっと、何よこれ!?」


 一人だけではない。一緒に大蛇に弾き飛ばされた生徒や保護者の体も、まるでアニメのワンシーンのように、次々と石に変化していく。


「やだっ! やだよ!」

「誰か……助け……」


 男女問わず悲痛な面持ちで近くの人に助けを求めるが、誰も進行を止めることも救うこともできず。


 十秒も経たないうちに、石化が始まった人達の声は一切聞こえなくなった。


「嘘……だろ……」


 ついさっきまで動いていた何人もの人間が、石像と化して静寂の中に佇んでいる。


 悪夢のような光景は、体育館内にいる全員に、過剰な恐怖を与えた。


「いやああああああああ」

「早く行けよ!!」

「もう駄目……」


 一度爆発した混乱は誰にも止められず、ステージや別の出口へ人々は駆け出す。

 しかしそんな人間達を嘲笑うかのように、大蛇は嬉しそうに人の体に噛みつき尻尾を叩きつけ、次々と新たな犠牲者を生み出していく。


「こんなの、どうすればいいって言うんだよ……」


 目の前で友達が先生が親が、おもちゃの人形を薙ぎ払うように弾き飛ばされ、物言わぬ精巧な芸術品へと変わっていく。


 そんな絶望的な光景を、リクはステージ上から呆然自失して見ていることしかできなかった。


 体を奪っただけじゃ飽き足らず、希望までも奪うってのかよ……


「お兄ちゃん、避けて!!」


 ふいに近くから聞こえた妹の声と風切り音に、リクが我に返った瞬間。


 華奢な腕に突き飛ばされると、何かが近くを通り抜け掴み取るのを感じ。

 ただならぬ予感に、リクはバッと顔を上へ向けると、目を限界まで見開いた。


「──ユキナ!」


 見上げた先で、妹が大蛇の尻尾に捕らえられ、必死に藻掻いている。


 おい……やめてくれよ……


「……私のことはいいから……逃げて……」


 自分が呆然としていたせいで身代わりとなったユキナに、リクは無意識に腕を伸ばす。


「はや……く……」


 すでに体育館で生き残っている人間はリク兄妹と僅かな人数だけで、周囲には爆発でもしたかのように破壊された壁と、大量のパイプ椅子が転がっていた。


 他に残っているものと言えば……石化して、物言わぬ石像へと変わり果てた大勢の大人や高校生達だけだった。


「──きゃっ」

「ユキナ!」


 兄と妹の悲劇を存分に楽しんだのか、大蛇はニヤリと笑うと、まるで物を放るようにユキナを投げ捨てた。


「ユキナ、待ってろ……俺が注意を引きつけるから」


 意識の定まらない思考で、リクは大蛇の動きを凝視する。


 なんとか妹から離れさせて助けなければ。


 その思いだけが、リクの体を動かしていた。しかし、


「もう無理だよ!」


 囮になろうと大蛇の正面に回り込みかけたリクを、立ち上がったユキナが制止した。


「もう……足が動かないんだよ……」


 そう零す妹の足を見ると、灰色に染まって徐々に固定されていくのが目に入った。


 このままじゃ、ユキナまで他の皆と同じに……


 焦りが頭を混乱させ、自分がどうしたらいいのかわからなくなる。

 そのせいで、リクの足は妹にも出口にも向くことはなかった。


「お兄ちゃん……お兄ちゃんは逃げ延びて、皆を守ってあげて」


 太腿まで石になり、移動することができなくなった妹に、リクの心は震えが止まらなくなる。


「頼りになる私のお兄ちゃんだもん。絶対に解決法を見つけて皆を救ってくれるって、絶対やり遂げてくれるって信じてるから」


 自分のほうが辛いはずなのに必死に笑顔を作る妹の姿に、リクの顔は苦痛に歪む。


 妹を助けたい、でもその方法がわからない。

 自分の無力さに、子供のように心が涙を流していくのを感じる。


 そんなリクのもとに、今度は兄を捕らえようと、大蛇が床を軋ませながら近づいてきた。


「だからお兄ちゃん──走って!」


 腰まで進行した石化は、容赦なく妹の体を無機質な物へと変化させていく。


 もう助かる見込みがないと妹自身が思っていることは、聞こえた妹の声から兄には痛いほどわかっていた。


 そして、大蛇の尻尾がリクの体に触れようとした瞬間。


「──ちくしょお!!」


 リクはハチ切れそうになる感情を無理矢理押し込んで、巨大な尻尾をかい潜ると必死に走った。


「ちくしょう! チクショウ! 畜生!!」 


 例えようのない悔しさを口にしながら出口へと向かい、石像と化した人達の間をすり抜け飛び越えて。


 壊れた体育館の扉の前で振り返り、兄を見送る妹の顔がこれ以上ないほど、温かい笑みを浮かべているのを目に焼きつけた。


 これで終わりじゃない、絶対に助けてみせるからと自分と妹に誓いながら。


「ユキナ……」


 妹の名を口にし、迫ってくる大蛇と未練を振りきるように、胸まで石化した妹を置き去りに、リクは零れそうになる涙を必死に堪えながら、学校の外を目指して走った。

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