魂の解放者~幽霊になった俺たちが有名人の悪霊を退治するRPG~

タムラユウガ

第1話 影に沈む肉体

 男の瞳は、横たわった自分の体を見つめていた。


「なん……なんだよ、これ」


 学校の体育館で行われていた、高校三年生の門出を祝う自分達の卒業式。


 紺色のブレザーに袖を通すのも最後と感慨にふけりながら、ノリで立候補した卒業生代表として登壇し、答辞を述べようとした瞬間。


 急に意識を失い、目を開けて最初に見たのは、いつも鏡で見ていた自分の体が床に伏している姿だった。


「俺、もしかして死……」


 理解不能な事態に現状を把握しようと、黒髪つり目の男──リクが視線をステージ下に向けた。すると、


「嘘だろ……」


 全ての生徒と先生、保護者の体が同じように床に倒れており、同じ数だけ自分の体を呆然と立ち尽くし見つめる人の姿があった。


「えっ何だこれ!? どういうことだよ!?」

「なんで私の体がそこにあるの!?」


 聞こえてくるのは、自分と同じく戸惑いに満ちた声とどよめきで、その場にいる全員が一斉に死んで幽霊になったようにしか思えない光景が広がっていた。


「本当に死んだのか?」


 一般的に想像されている幽霊とは違い、体は透けておらず足もあるし床にも立っている。


 それでも、自分の体が目の前で倒れている光景は、夢にはないリアルさがあった。


「お兄ちゃん!」


 リクの耳に女性の声が響き、立ち尽くす同級生を掻き分けて、同じ制服を着た一つ年下の妹が、肩まである黒髪を揺らしながらステージを駆け上がってきた。


「ユキナ、無事だったか!?」

「無事って言うのも変だけど、なんともないよ。でも何がなんだかわからなくて……」


 死んだら幽霊になって天国か地獄へ行く、とリクは聞いたことはあったが、実際に死んだ経験がある人間がいるはずもなく、誰も事態を理解していないようだった。


「なんで……こんなことに……」

「おい! 動けよ俺の体!」


 突然の死に嘆き悲しむ人や、なんとか生き返ろうと自分の体を揺さぶったり抱き起こそうとする人も出始める。

 その様子から、幽霊でも肉体に触れられることを視認し、リクも横たわる自身の体に手を置くが。


「……心臓も止まってる」


 触れても胸の奥の鼓動を一切感じることができなかった。


 つまりそれは、今の自分は紛れもなく幽霊であるということを示していた。


「でもまだ生き返れる可能性はあるかもしんねぇな。おい! 起きろ俺!」


 とにかく心臓が動き出して意識が戻らないかと、リクは自分自身に大声で呼びかけながら心臓マッサージを試みる。


 だが何度胸を両手で押しても、体はピクリとも動かなかった。


「ユキナ、お前も今ならまだ生き返る可能性はある。とにかく色々試してみろ」

「う、うん。やってみるね」


 ユキナは状況を呑み込めない様子だったが、兄の言葉に素直に従い、自分の体の所まで戻ろうと足を踏み出した、瞬間。


「えっ、ちょっと何!?」


 女子生徒のうちの一人が、突如大声を上げたのを聞き、リクは反射的にそちらに視線を向けた。


 いやリクだけではない。怯えた声は、体育館中の視線を彼女に集めていた。


「何だよ、あの黒いの」


 見ると、声を上げた女子生徒の体の下。

 床の部分に体がすっぽりと収まるほどの大きさの黒い沼のようなものが出現していた。


 それをリクが認識した直後、


「う、嘘……駄目!」


 女子生徒の体が急激に沼の中に沈み始めた。


「誰か助けて!」


 必死に自分の体を掴んで引き揚げようとする女子生徒。

 しかし周囲の人達は、異様な光景に手を出せずにいた。


「あっ、おい! 俺の体!」


 すると今度は、近くにいた男子生徒の体の下にも黒い沼が──いや、周囲にいる全員の所にも沼が生まれ、体を飲み込み始めた。


「──ッ!? くそっ!」


 自分の体から目を離していたリクは、沈みかけていた自分の体を慌てて床から持ち上げようとする。


 だが突如、黒い沼の中から何本もの黒い腕が生まれ出で、もの凄い力でリクの体を引きずり込んだ。


「俺の体、返せ!」


 生き返る可能性が残っているのに、体が無くなってしまえば蘇生すらできなくなる。それだけはなんとしてでも防がないといけない。


 リクは必死になって、周囲に響く嘆き声も届かなくなるほど、渾身の力で自分の腕を引く。


 しかし相手の力のほうが圧倒的に上のようで、努力を嘲笑うように体はズブズブと沈んでいき、とうとう頭の先から足の先まで、沼は全てを飲み込むと一瞬で消えてしまった。


「ぐっ……畜生!」

「何が……起きてるの……」


 側にいたままだったユキナも呆然とし、項垂れ膝をつく兄を見つめる。


 黒い沼が最初に発生してから僅か三十秒後。体育館の中には、絶望と嘆きが充満した。


 死んで幽霊になることをリクも想像したことはあったが、体が奪われるというのは見たことも聞いたこともない。


 しかし現状が普通の状況でないことは、火を見るよりも明らかだった。


「お兄ちゃん大丈夫?」

「……なんだってんだよ」


 見た目以上にリクの精神的ダメージは大きく、文字通り魂と体が分離したような喪失感にさいなまれる。


 順風満帆とまでは行かないまでも、それなりに楽しく過ごしてきた人生と体を突然奪われ、頭の中は絶望と混乱でグチャグチャだった。


「私も何がなんだかわからないけど、何かがおかしいことはわかるよ。でもきっとなんとかする方法はあると思う。普通じゃないことが起きたんだもん、私達の常識じゃないこともきっと起こせる。体を奪われたなら、奪われたものは取り返さなくちゃ」


 こんなわけのわからない状況で、人生最大の絶望に落ちている兄とは対称的に、妹は持ち前の芯の強さを見せる。


「だから諦めずに一緒に探そう? お兄ちゃんと私ならきっと見つけられるよ。だから大丈夫」


 そして兄を勇気づけるように微笑むと、まるで夜明けの太陽のように、リクの心の暗闇に一条の光を注いだ。


「ユキナ……」


 自分の体もどこかに消えてしまったというのに、自分のことよりも兄のことを心配して元気づける。

 その明るい健気さと言葉に、リクの胸にはじんわりと温かさが戻ってきた。


「……へへっ、ちょっとショックでかすぎだけどな。こんな時だからこそしっかりしねぇとな」


 グッと胸を押さえながら立ち上がり、優しく妹の瞳を兄は見つめ返す。

 リクの意志を取り戻した瞳には、太陽の光を反射しているかのような光が戻っていた。


「やっぱユキナはすげぇな。落ち着いたわ、サンキュ」

「良かった。せっかくの卒業式なのに、人生からの卒業なんて嫌だからね」


 兄の顔を覗き込み「でしょ?」と笑って見せるユキナは、リクにとって自慢の妹だった。


「ごめんちょっと待ってて。友達の様子も見てくるから」


 兄の心配をしつつも、落ち込んでいる同級生も心配になったのか、ユキナは急ぎ元いた場所へ走っていった。


「ははっ、相変わらずだな」


 自分より他人を優先する性格。

 兄としては時に心配になることもあったが、そこが妹の良い所でもあり、自分自身もいつも救われている長所だと、リクは兄として誇らしく感じていた。


「まずは状況を整理しなきゃな」


 妹から貰った温かさを一旦胸にしまい、気持ちを切り替える。


 人類が今まで体験したことのない未知の事件。

 とにかく現状を整理して状況を把握しようと、リクは周囲に視線を送った。


 どうやら体育館内にいる人間は例外なく体を奪われたようで、悲しみに暮れる生徒同士で慰め合ったり、親が子を抱き締めたりと、悲劇を受け止められずにいるようだった。


「攫われた姫を取り返すゲームってのは無数にあるけど、消えた自分の体を取り戻すっつーのは、なかなかハードなリアルゲームだな」


 考えるだけで難易度の高い目標に、リクは顔を顰める。

 リクの好きなRPGでは、幾度となく人類を救ってきたが、ゲームがリアルとなると、途端に何をすべきかまったくわからなくなってしまう。


「これって外も同じことになってんのか?」


 奇怪な現象が起きているのが体育館内だけなのか、それとも国や世界レベルなのか。


 とにかく情報が必要だと、リクがステージを降りるために階段へ向かおうとした、そのとき。


 突然爆発のような轟音が体育館中に鳴り響いたかと思うと、扉が外側から内側へ弾き飛ばされ、男性とも女性とも見分けのつかない、不気味な顔をつけたモノが侵入してきた。

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