水族館で見る夢

第6話 学校の怪談


 開けはなった保健相談室の窓から気持ちいい風が入った。カーテンがゆらゆら揺れる。机に置きっぱなしていた教科書のページも、パラパラとめくれた。

 窓の向こうの五時間目の体育のざわめきは、なんだか遠くて眠そうだ。給食のすぐ後だもんね、あんまり元気にしてもお腹が痛くなるし。


 私はまだ教室には戻っていない。骨折も打ぼくも問題ないと病院で言われたけれど、みんなと一緒にわいわい授業を受ける気分にはならなかった。なのでプリントをもらったりして相談室で自習している。

 クラスの係とか、どうなったんだろう。委員会も。私は部活に入っていないし、去年は美化委員をやっていたんだけど。それを知った撫子なでしこはびっくりしていたっけ。


『はこべちゃん、絶対運動部だと思った。こんなに元気なのに、なんで?』

『おしゃべりなのと運動神経は、カンケーないの!』


 よく誤解されるけど、私はいきおいがいいだけで運動おんちだ。走るのは遅いし球技もだめ。手を出したら突き指しそうで、ドッジボールも逃げるしかできない。

 自分では花壇のお世話とか実は向いていると思うんだけど、最初はみんなにおどろかれた。枯らすんじゃないの、と心配された。どんだけそそっかしいと思われてるのよ。だからムキになってがんばったし、きれいに花が咲いた時にはうれしかったな。


「――尾花おばなさん、いる?」


 保健室から、こそっと呼ばれた。保健の萩野はぎの先生の声じゃない。男子生徒だ。


「……」


 心あたりのある声だったので私はドアを開けた。思った通りの人だった。


平子ひらこ先輩」


 私を呼んだのは三年生の平子先輩。去年、撫子と一緒にお世話になった人だ。


「ああよかった、やっぱり保健室登校だった。確かめるために仮病使ったよ」


 平子先輩は私を見てほっとしたようだ。心配されていた理由がわかって、私はエヘヘと笑った。


「私が死んだってウワサ、聞いたんですか」

「うわ、知ってるんだ」


 先輩は嫌そうな顔をした。


「女子ってさあ、ひどいこと言うよな。授業に出てこないからって死んだとか意識不明だとか言われてて、尾花さんも――なのかと思った。元気でよかった」


 先輩は言いよどんで弱々しく笑った。

 私より、撫子が元気ならよかったのかもしれない。平子先輩は撫子のことが好きだったんだから。



 一年生の秋、図書委員会の読書推進キャンペーンでしおりを配ることになった。期間中に本を三冊借りた人に一枚プレゼント、ていう企画。

 図書委員だった撫子から、その栞に押し花を使いたいと相談されたんだ。美化委員の育てた花で作れないかなあ、て。

 だけど押し花を作るには花壇の花を切ることになっちゃうし乾燥させる時間も足りない。じゃあ葉脈標本はどうだろうと理科の先生に話したら、科学部が協力してくれた。

 平子先輩は科学部員の中心になって手伝ってくれた人で――つまり、撫子が気になったからがんばったらしい。引っ込みじあんな撫子は黙って作業するだけだったけど、先輩は何かと話しかけていた。

 そして栞作りが終わってしばらくして、先輩は告白したみたいだった。撫子がものすごく困った顔をして、つきあうとか全然わかんないと泣きつかれたんだ。



「意識不明って説もあるんですか。死んだより、やさしいですね」


 私はおどけて笑った。死んだことにされたって私は文句を言ったりしないよ、ていう先回り。

 だって先輩は私をせめるかも。なんで撫子だけ死んじゃったんだよ、なんて言われてもおかしくないでしょ。でも平子先輩はそんなこと言わなかった。


「意識不明で入院中の生徒がいるってウワサがあるんだ。あれは現場にもう一人いたって話の流れなのかな」

「もう一人?」

「救急車が三台来てたんだってさ。それで尾花さんたち二人以外にも誰か一緒に落ちたはずだとか、そうじゃなくて幽霊に引っぱられて落ちたんだとか、いろいろな話になってる」

「え。幽霊のぶんも、救急車呼んだってこと?」


 私がきょとんとなると、平子先輩はさすがに笑った。


「変だよね。だけどあれから学校に来なくなった生徒なんて他にいないみたいだし、なんかの間違いだと思うよ」


 私以外の、新しく不登校になった生徒。そんな人がいるかどうかまで。


「……先輩、わざわざ調べたんですね」

「まあ……だって、気になるよ」


 平子先輩は顔をくしゃっとゆがめた。


「どうしてあんなことになったのか、てさ。俺が言ったこと、負担になったのかなあ」


 ああそうか。

 この人は自分をせめていたんだ。撫子が飛んだ理由がわからないから。先輩からの気持ちが撫子を追いつめたのかと考えたのかもしれない。


「たぶん、そんなことないです。好きとかそういうの、よくわかんないとは言ってたけど。先輩はいい人だって」

「いい人。いい人かあ」


 平子先輩が泣きそうな顔をした時、萩野先生が保健室に戻ってきた。


「お、平子くーん。気持ち悪いのは治ったのかな?」


 ニヤニヤされて、平子先輩はバツが悪そうにした。仮病はバレていたらしい。

 なのに保健室で休ませてくれたのはどうしてだろうと不思議に思ったのだけど、先生は持っていたプリントを丸めて私の頭をポンポンとなでた。


「尾花さんをここで預かるんだからさ、去年どんな人とどんな活動したかぐらい申し送りされてるんだよ。話したいことがあるなら話して行きな」

「あ、じゃあ萩野先生に質問が」


 平子先輩は片手を上げた。ウワサばかりでモヤモヤしているので、このさい事実が知りたいと言う。


「三人目の怪我人って、本当にいたんですか?」


 ズバリと言われた萩野先生は、片方の眉を上げて黙ってしまった。


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