第7話 私のせいで
夜になって、お母さんが仕事から帰ってくるなり私は食ってかかった。
「お母さん知ってたんでしょ、私と撫子のせいで怪我した人がいるって!」
お母さんはバッグを置きかけたまま止まった。私のことをじっと見る。
「……聞いたの?」
「ウワサがすごくて、先生に確めた」
「そっか」
小さくため息をつきながら、お母さんはジャケットをハンガーに掛けた。言いたくなさそうな顔。
学校で聞いた時、萩野先生もあきらめたみたいにため息をついていた。
『ハッキリ言うわけにいかないんだけど、あの時の関係者は三人いるんだよ』
一人は撫子。一人は私。そしてもう一人、地上に人がいたそうだ。
『巻き込んだってことですか』
『そうだね。それが誰なのか、具合はどうなのか、ていうのは当事者同士の話なんで私からは言えないんだ、ごめんよ』
当事者同士って。
私は落ちた当人なんだよ、私こそ当事者じゃない。その私が知らないなんて、そんなのだめだ。
『怪我して入院してる子に何を教えられる? そういう子どもを守るのが大人とか親の役目でしょうが』
萩野先生はそう言ったけど、私はどうしてもお母さんを非難する口調になった。だってさ、生き残ったのは私なんだよ。
「私、その人のこと下じきにしたの?」
「――はこべ」
私は青ざめていたと思う。お母さんも厳しい顔になった。
「私が助かったのは植え込みじゃなくて、その人のおかげなの?」
言いつのる私に、お母さんは唇をふるわせた。もう教えるしかないと覚悟したみたいだった。
「――はこべを受けとめながら、植え込みに突っ込んでね。植え込みがなきゃ、あの子が死んでたかもしれない」
「じゃあ生きてるんだ」
「生きてる、けど――」
お母さんはうつむいてしまった。苦しそうだった。
「目を覚ましてくれないの」
私の下じきになった人は、怪我は治ってきているのに意識が戻らないのだそうだ。
こんこんと眠り続けるその人のことを知ったら私が悲しむだろうから、と相手の家族が口どめしたらしい。だからお母さんは、それが誰なのか教えてくれなかった。
悲しい。というか、ショックだった。
どうしたらいいのかわからない。とにかく食欲はまったくなくなってしまい、部屋にこもった。しばらくしてお父さんも帰ってきたけど、お帰りなさいも言わなかった。
「はこべ、ご飯食べないのか」
「いらない」
何があったのかお母さんから聞いたんだろう。お父さんが廊下から声をかけてくれたけど、やっぱり顔を出せなかった。
私を助けてくれた人。
お母さんは「あの子」って言ったんだ。だからお母さんも知っている、中学の生徒の一人なんだと思う。おかしいな、来なくなった子はいないって平子先輩は言ってたのに。
その人を下じきにして、その人の人生を下じきにして、今私はここにいる。
そんな大事なことも知らないで、のうのうと生きていたなんて。みんなのウワサ話に傷ついたような顔して保健室登校していたなんて。
私なんて、ただの加害者じゃないか。
最低だ。
夜のうちに雨が降り出していた。
薄暗くて雨の音しかしない朝は、なんだか気がめいる。それでなくても動けなくなっているのに。
朝になっても出ていかない私の部屋まで来て、出勤時間のお父さんはドアをノックした。
「お父さん会社に行くからな」
「……行ってらっしゃい」
返事はした。これ以上心配かけちゃいけないのはわかってるもん。そうしたらお父さんはドア越しに話しかけてきた。
「なあ、はこべ。辛いかもしれないけど――お父さんは、はこべが生きててくれてうれしかったよ」
「――」
「はこべを助けてくれた人にはすごく感謝してる。早く目を覚ましてほしいな。起きてくれたらお礼を言いに行こう」
――私はそうっと、ドアを開けた。
「……行ってらっしゃい」
なんて言えばいいかわからなくて、私はもう一度言った。お父さんは黙ってうなずいた。
「はこべー、今日欠席するでしょ?」
バタバタと支度しながらお母さんが一階から大きな声を出す。お母さんも出かける時間が近かった。
「え、なんで。行く」
「何言ってんの、ご飯も食べてないくせに。行きたいんならちゃんとしなさい! それなら遅刻するって電話しておくからね。あ、今日、昼には雨やむから。学校に傘置いてきちゃだめよ」
娘が悩んでいるっていうのに、お母さんはようしゃない。必要なことを早口で言うだけ言って、さっさと学校に電話をかけ始めた。
お父さんはあきれたように首を振ると、私を見て苦笑いした。
私は言われた通り、ご飯を食べてから家を出た。とてもゆっくりの登校だった。もう小学生も中学生も、幼稚園児だって歩いていない。
通学路にはあちこち水たまりがあった。雨粒が落ちるたびに波もんが広がる。打ち消しあう波は大きくはならないけど、いつまでも消えなかった。
今日の風はすこし強く、冷たい。
この間咲いていたヤマブキはしおたれてしまっていたけど、公園では今エゴノキが白い花をたくさんつけていた。その小さな星のような花が、風に降る。
ポトリ、ポトリと降る白い星にひかれて私は公園を抜けることにした。どうせ遅刻だし、今朝はやっぱり学校に行きたくはないし。ちょっと寄り道。
公園に足を踏み入れて散る花を見上げると、木の下で空気がゆらりと揺れた。幹に寄りそうように人影がある。
「――ハコベ」
私を呼んだのは、そこにいた知らない男の子――ううん、違う!
知らなくなんかない。
どうして忘れていたんだろう。彼は。
いのちのはざま、
「レイくん――!」
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