第4話 箱庭の主
怒って歩く私の後ろでレイくんは、えー、と不満そうにぼやきながらついてきた。
でもなんだか、さっきまでのこわいのは平気になったかもしれない。
それにしても、ヨシヨシって何よ? 確かに小さい頃はなにかとヨシヨシされていたけど。
私はけっこう向こう見ずな子で、自分では戻れない所に登って助けられたりするのがしょっちゅうだった。大人に救出されて、ベソベソ泣いて、ヨシヨシって……あああ、恥ずかしい記憶はもういいや。
レイくんは、その頃を知っているんだろうか。でももう中学生なんだよ? 同い年ぐらいのくせに子どもあつかいって――これは照れてるんじゃないもん! 怒ってるんだもん!
私はふうう、と深呼吸した。こうなったら、さっさとあの怪物の正体を見きわめてやるんだからね!
「なあハコベ、おまえあてがあって歩いてる?」
息巻く私についてくるレイくんが、ボソッと訊いた。まったく腹立つな、つまらないこと言って。私は振り向いて親指を立てた。
「――あてはない!」
「なんでえらそうなんだよ? なんかさあ、グルグル回ってないか」
「え?」
足元を指さされて見ると、前にも後ろにも同じようなあとがあった。
「これ、俺たちが歩いた足あとだろ」
「うそ……曲がったりしてないのに」
私は途方に暮れて立ちどまった。
ここは普通の場所じゃないんだ。それがあらためてわかった。まっすぐ歩いたつもりなのに元の場所に戻ったりする、ヘンテコな世界。もしかしたらとても小さな閉じた箱庭なのかも。どうすればここを見通すことができるんだろう。
キョロキョロしたレイくんは、すこし脇を示した。
「あそこ、坂になってる。上から見てみよう」
言われた所は坂というか急斜面で、手も使わないと登れないぐらいだった。
「この上に行くの?」
「引っぱってやる。それとも、下から押す方がいいか?」
「……バーカ!」
スカートのお尻を押さえてにらんだら、レイくんは笑ってさっさと登り始めた。すこし上からほら、と手を差し出す。ムスッとしながらつかまらせてもらうと、大きな手でグン、と引っぱってくれた。
――こんな手、知らないよ。
今のレイくんを知るほどに、昔のレイくんがわからなくなる。会ったことはあるのだろうに。
ねえ、あなたは誰なの? どうすればあなたを見つけられるんだろう。
「きゃっ!」
ズルッと足がすべった。つないだ手が支えてくれる。それなのに、落ちそうになったことで私は軽く青ざめていた。
「だいじょうぶか」
上の平らな場所でへたりこんだ私を、レイくんは心配そうにのぞいた。
「ごめん。今は高い所が嫌だったよな」
「高いだけなら平気――知ってるの」
くちびるをかんだ私にうなずいてみせ、レイくんは困った顔で笑った。
「なんとなくは」
私が落ちたのは三階の教室の窓。病院で目を覚ました時には、下に植え込みがあったおかげで助かったんだとお母さんが泣いていた。
飛びおりたとかじゃないんだ。少なくとも、私は。
撫子は何を思ってたのかな。窓枠に座って空を見て。飛びたいなあ、て手をのばした時の目はキラキラしてた。
フワリと窓の外にかたむいていった撫子が、この森のような世界にいるわけはないか。
あの子なら、きっと空に。
じゃあここは、誰の心の中なんだろう。早く見つけてあげなくちゃ。その人もきっと私の大切な人なのだろうから。
「見おろすのはできるか?」
「――うん。嫌なのは、落ちる感じだけ」
変に気をつかわずに、できることはやらせようとするレイくんのやり方がうれしい。私は周りの様子をうかがった。
この世界は二階建ての箱庭みたいだった。
二階はドームの中の競技場っぽい。奥はぼんやりとかすんで見えなかった。そして下は、さっきさまよった不思議な森。木々の向こうは突然暗くなっている。たぶんあれから先はもう、存在しないのだろう。すみっこの緑の葉の下にはひっそりと、大きくて赤いキノコがあった。なんだか見おぼえがある。
「キノコの家……」
私はつぶやいた。ここからだと見えないけれど、あのキノコの笠の下には、もしかしたら入り口があいているのかもしれない。きっとそうだ。
だとしたら、ここは。
この敷きつめられたフワフワのウッドチップ。
森の葉はたぶん、あれのすぐそばに置いていた鉢植えの観葉植物。
木々の幹は、柵の金属。
四つ足でないと登れそうにない坂と、この二階は運動用。
きっと。きっとこの怪物の正体は。
カラカラカラカラ。
二階の奥で軽い、早い音が鳴り始めた。ほらやっぱりそうだ、間違いない。いつも聞いていた、この響き。見なれた回し車がゆらりと大きく姿を現した。
この箱庭の主、私がかわいがっていたあの怪物の名前は。
「『豆だいふく』!」
想いをこめて、私は呼んだ。私の声が聞こえたのか、回し車の音がやむ。
見つければ見える。レイくんが言ったとおり、向こうに大きな影が現れた――ええと、私の『豆だいふく』はそんなに巨大じゃないんだけどな?
ここがケージの中ならばサイズ感が違ってあたりまえなのか。いやでも。ちょっと。どうしよう。
私の心配をよそに、その影はシュルシュルとちぢんでいった。よかった。ガサガサいっていたあの音が、こちらに近づきながらカサカサと軽く小さくなっていく。
そしてとうとう、チョロ、と顔を出してくれたのは私の『豆だいふく』――白い毛並みのハムスターだった。
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