問⑥【一度だけのわがまま】

 彼女が優秀だってのは分かっていた。

 だってずっとそばで見てきたんだから。


「予想はしてたんだけど、遠いところに行くことになったの」

 彼女がそう言ったとき、やっぱりな、とそう思った。


「それってどこ?」

「遠いところ。たぶんココには戻らないと思う」


 僕が彼女に惹かれた理由はいくらでも思いつく。

 だけど彼女がボクのどこに惹かれたのかは、僕にとっていまだに謎だ。


 ただこれだけはハッキリ理解していた。

 ここで彼女の手を離してしまったら、僕たちの縁はそれまでだということ。


「そっか……遠距離恋愛ってことか。でも連絡手段はいくらでもある。ボクはここで待ってるよ。ここでずっとキミを待ってる」


 と、彼女はここで大きく息を吐いた。

「それはあなたのためにも、あたしのためにもならない」


「待つのもダメなのかい?」

「あたしは関川君に一緒に来て欲しい。でもあなたにはここでの生活や仕事があることも分かってる」


 ボクはすぐに返答できない。

 失うものは少なくないのだ。


「ねぇ、一度だけわがままを言わせて。ここでの全部を捨てて、あたしと一緒に来て」


 彼女は僕を見つめ、それからゆっくりと手を伸ばしてくる。


 僕は……


🌱🌱🌱


あの日、彼女の手を取ることは出来なかった。

「ごめん」

たった三文字の一言を聞いて、彼女は全て理解した。

「私こそ無理言ってごめん!」

伸ばした手を背中に隠し微笑む彼女は、巨大な夕日のオレンジ色に縁取られていた。

「今までありがとう」

そう言って僕に見せた背中が微かに震えていることに気がついていた。


喉の先まで声が込み上げたけれど、その声をどんな言葉にしていいのかわからない。


「元気で」

「うん」


それ以上、伝えられなかった。



二人はとても似ていた。

仕事が大好きで、そして仕事が出来るタイプ。認められ評価されたなら、さらに仕事に夢中になるのは分かりきっていて、お互いを疎かにすることは目に見えていた。

距離があるなら尚更だ。

連絡手段はいくつもあるけど、気持ちがなければいつでも途切れてしまう。

負担になる前に、嫌いになる前に。

あの選択があの時の最善の方法だった。



「関川さん、次の記事これでどうすか?」


あの日から十年。

がむしゃらに打ち込んだせいか、新聞記者として忙しくも充実した日々を送っていた。


「なになに……日本の伝統技術を海外で、へぇー」

「いいと思うんすよ、美人だし」


手渡された写真を見て驚いた。

あの日と同じ笑顔の彼女がそこに写っていたからだ。


ただ違うのは、彼女の薬指にはめられた指輪だけ。


名前を追うと、彼女の名前に違う国の名字が続いていて、その笑顔を支えている人はこの国の誰かじゃないこともわかった。


「いい記事にしろよ」

「はい!」



キミが幸せで良かった。

僕もまぁ、元気でやってるよ。

あの時、口にした『ずっと待ってる』を、律儀に守っていた訳じゃない。

もしかしたら、いつか会える日が来るかもとミリ単位程度で思っていただけだから、気にしないで。



だからそうだな。

うん。


いつまでも元気で、そうやって笑ってて。


🌱

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