理解者は、苦痛を抱き締めず

 五感を塞ぐように広がった毒がジンとメリアを覆い広がる。咄嗟にメリアは口元を抑えジンは異界道具の面で顔を隠したが。


 翡翠の双眸に触れた粉塵は不死の呪いを経由してジンを蝕む。目から血涙が溢れた。一瞬にして鼓動が激しく鳴動して、血の流れを加速させていく。


「他のプニャーレ連中とは比較にならないな」


 ジンはぼやいた。毒によって痙攣し始めた指先を力ずくで制御し、槍の柄を強く握りしめる。


 毒が作り出した暗闇のなか、突き刺す殺意と足取りによって生じる僅かな空気の揺れを頼りに、テンルの投げた無数の針を絡繰り槍で薙ぎ払った。


 乾いた物音と共に銀の煌めきが無数に足元に落ちていく。ジンは攻撃に転じ、地を蹴って肉薄した。鋭い穂先で突き穿たんと腕を伸ばす。槍が空気を裂き貫く。


 テンルは二本のナイフを交差させ槍刃を受け止めた。同時、鋭い金属音が劈き、刃と刃が摩擦し合う。凄烈な火花が瞬いた時、ジンは絡繰り槍の引き金を強く押し込んだ。


 ――瞬間、爆発。槍に仕込まれていた使い捨ての一撃が炸裂し、毒霧を吹き飛ばすほどの衝撃と熱が膨らみ弾けて教会を揺らした。テンルの肉体が吹き飛び、僅かな静寂が広がる。


「その武器……嗚呼、本当に勝ち目がないな。ジン・ジェスター……、お前が誰かわかったぞ」


 四肢が、肉片が、靴を浸す血の水溜りが飛散していたにも拘わらず、声がはっきりと響いた。


 爆煙と毒霧の向こうにテンルの悠然とした姿が見えた。足元に残る炎の波が影を幽鬼のごとく揺れ動かす。


「悪趣味だぞ。その異界道具か、ラインフォードの技術かしらねえけどさ」


 散らばり転がる肉片を一瞥しながら、ジンは追撃の手を引いた。顔を押さえ呻くメリアのもとへ駆け寄り、半ば強引にガスマスクを着けさせる。


 彼女の周囲を羽ばたいていた蝶はすべて腐り落ちていた。


「痛みはあるか? 違和感があっても目を拭ったりするな。洗うが、今は我慢しろ。プニャーレの毒は武器に着いているものじゃなきゃ死ぬ程度じゃない」


「……痛みだけ。痛み以外は全部、貴方に……行ってるはずだけど。どうして貴方は耐えられるの?」


 荒い呼吸。滲んだ涙がレンズに溜まっていくのが見えた。にも拘わらず険しい眼差しが心配するように顔を覗き返してくる。


「……そりゃ、プロだからな」


 ジンは異界道具の仮面の奥で作り笑いを浮かべる。笑みに含まれた自嘲だけは本物だった。


「こんな状況でも怪物相手にご機嫌を伺うんですか。凄まじい執念ですね。私には……無いものです。狂ってる」


 テンルはナイフを二人へ投じた。


 迫る無数の刃に対しジンは破砕した槍でいなし、僅かに紛れ放たれた針は身を翻し回避する。そのままメリアの腕を強引に引き寄せ、距離を取った。


「貴方も便利屋だったのでしょう? ここは私達にとって数少ない可能性だったのでしょう? 夜を寝て過ごし、食べ物がある。……けど無意味だ。なら私達は何のためにここに来たんです」


「……知らねえよ。俺に聞かないでくれ。俺だってわからない」


 絞り出すようにジンは言葉を返した。声が上擦る。


 空間に亀裂を走らせ、槍を仕舞うと同時、透き通った長剣を引き抜いた。柄を握り締めると内部の冷却液が白濁し、刀身が紫電を帯びる。


「わからないことはないでしょう? 現に貴方はここにいる。私にはわかりますよ。あなたの意思が、あなたの想いが。私達はわかりあえたでしょう? 何故あなたが私と対峙するのか理解できませんね」


 レンズ越し、テンルは狂ったように目を見開いていた。声は穏やかに、しかし重く、耳に纏いつく。


 雷撃に躊躇う様子はなく刃が交錯した。鈍銀の軌跡と紫紺の雷跡がぶつかり合い、鍔迫り合うとテンルは僅かに苦悶に呻く。


 だが白兵戦は痛み分けだった。


 衝撃と共に飛び散った無数の針が服を貫き、ジンの体に突き刺さる。


 毒が血を巡り心臓が締め付けられる不快感。抗いがたい悪寒に歯を軋ませ、痛みを押し殺した。頭のなかを掻き毟るられるような引き攣りが走る。


「普通ならそれで死ぬんですがね」


「生憎、普通ごときじゃここにいられなかったんでね」


「奇遇ですね。私もですよ。だからこそ何人も死んで、殺して、子供のような者さえ犠牲にしたけど私達は平穏を手に入れたんだと、誇らしく口にできる日を望んでいたんです。貴方もでしょう? 似たもの同士のはずなのに。なぜ私の行動を止めるんです」


「お前の言葉は気に食わねえんだよ。空を歩いてはいけないだ? そんなことを偉そうに、どの口が言えるんだ? お前の行動は個人の感情もあるかもしれねえけど、プニャーレ四点事務所の意思なんだよ。だから嫌いだ」


 ――誰かを犠牲にしないと生きていけないのは誰も変わらない。屍の道が無ければ先に進むことだってできない。メリアも、俺も、眼前の敵さえも。


 怪物だとか、生物兵器だとか。存在してはいけないだとか。……そんな言葉を薄汚い俺達が罵倒のように言葉にする意義はどこにある?


 無数の理由を必死になって考え続けた。ぐちゃぐちゃと、刃と刃がぶつかり合うたびに脳内が思考に塗り潰されていく。弾丸を遮蔽でやり過ごし、時に僅かな小口径弾が金属繊維を貫通することなく激しく身体を殴打する。


 ――どうしてメリアのためにこんなぐちゃぐちゃと考える? 俺がやろうとしている所業は彼以上に、最低そのものだろう。自由を、喜びを、苦しみを、全て理解させてから終わらせるというのに。裏切るというのに。


「お前も同類のはずです! 便利屋が、こんな場所で孤独になった! 誰の所為かを考える時間もいらないでしょう!?」


 テンルが叫び、鋭利な刃が目視できないほどの加速をもって空を穿つ。剣戟がいなし打ち弾くが衝撃だけが服を突き抜けて皮膚を走る。疼痛に霧が染み入っていく。


「俺がお前と本当に同じならこんな風にいがみ合うと思うか? 銃口が、刃先が向かい合うと思うか? 違うんだよ。同じ道もあったかもしれないが、もうどこにもねえよ」


 一緒だとは考えたくなかった。どこまでも見苦しく、醜悪な想いだ。


 俺は、彼女が悪だと思うつもりはない。だから違う。


 …………存在してはいけない。空を見てはいけない。生物兵器の怪物。


 無数の言葉が響き渡るたびにメリアは息を呑んでいた。自分がおこなったことの意味を理解していたから、誰よりも指先を震わせて、取り返しのつかない現実をどうしようもなく直視して、見開く目は弱々しく揺れていた。


 閉じることもできない口から溢れたか細い呼吸を前に、テンルは嘲り、殺意を滲ませるだけだった。


 …………迷う必要はない。分かりあえない。ただそれだけだ。


 苦痛を抱き締めることもできない奴と対峙して、殺し合うだけだ。


 ジンはテンルよりも早く照準を向け発砲した。硝煙が散り銃声が毒霧を裂く。

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