きっかけは必然的で

「……ありがと」


 息を吐くように溢れでた言葉にジンは困惑した。硬直し、なんとか僅かに首を傾げる。


「飲めないものを渡したののお礼か? 変なやつだな」


「それでも刺激的な体験だったわ? ……自由になったはずなのに、ワタシには何もなかったから。キッカケをくれたことには感謝してるの」


 まだ味が残っているのかもごもごと頬が動いていた。口元を拭うと、メリアは妖艶に無垢な笑みを向ける。


「あんな穴ぶち開けたなら引き篭もるなよな。確かに巻き添えは増えるだろうが、踏み出した以上、立ち止まるのも引き下がるのも良くないだろ?」


 じゃなきゃあ――無駄死にだ。嗚呼、けど俺が前に進むために彼女にケリをつけたら、彼女に殺された全員が無駄になるのか?


 ……けどしょうがないだろう。こうすると思ってしまったからには実行しない限りどこまでも苛立ちと、無力感が後を付いて回るんだ。


 苦痛はいつも正直で、隠れようとすらしなくて、重く全身にのしかかるから。だから――。


 パキリと。


 不意に乾いた物音が響いて、ぐしゃぐしゃと蠢く陰鬱が断ち切れる。


 人の気配。先程までありもしなかった気配が、わざとらしく音を立てた。


「……注意しろ。誰かいる」


 即座に身を屈めた。手元に亀裂を走らせると、ヴィコラの造った拳銃と小さなナイフを取り出し構える。


 透き通った刃と銃身の中で、冷却液が激しく揺れ流れた。


 銃口を地面へ向け発砲。隠す気もない銃声が劈き、ジンは衝撃と共に壁を蹴った。


 色の無い硝煙が渦巻くなか、一瞬で肉薄し、音を立てた人間と対峙する。研ぎ澄まされた刃を首に沿わせながら。


「……お前は誰だ。どこからきた」


「ひぃ……ッ!? わ、わたしは生体管理区のエンジニアのテンルと申します……。その、ここより上層から食料探しで。地上に引き上げられなかった人達がいるので」


 白衣。メガネを付けた冴えない男が声を引き攣らせながら答えた。


 敵意は感じないが。……タイミングを図っていたかのような違和感に人は眉を顰める。


「……研究者の仲間? 貴方は初めて見たんだけど。最下層の担当はしていなかったのかしら?」


 メリアは探るように尋ねた。


 先ほどまでの無垢にさえ思えるほどの笑みは消えて、相容れぬ敵を様子見るように翡翠の双眸でジッと見つめていた。


 ずっと利用された挙句に、こんな施設をぶち抜いてくれたのだから当然の反応ではある。


 テンルは腰を抜かしたままメリアを見上げ、長く揺れ靡く銀と、蛍光色の髪や周囲を漂う蝶を目にし、口角を釣り上げる。隠しようもない緊張と硬直。


「し、知らない……貴女はその、缶人の類なんですか……?」


 ――缶人。人工的に作られ、怪物の性質などを帯びた人モドキに対する言葉だ。


 メリアは辟易としながら頷いた。ほんの一瞬ばかり潤んだ瞳が、なぜか強く記憶に刻まれる。


「そうね? 私は試作品(プロトアルファ)で、本当は用済みだったわ? 沢山の研究者が死んじゃったのに。人殺しの道具が自由を謳歌しようとしてるの」


 まるで自分の存在が否定されるべきであるかのような物言い。


 気に食わなくて、ジンは苦い顔を浮かべていたが、テンルと名乗った男は神妙に沈黙した後、窺うように顔を覗き込んだ。


「……その、お二人の名前はなんと言うのでしょうか」


「ジン・ジェスターだ。ここでは便利屋をしていた。まぁ、制服見ての通りだな」


 プニャーレ四点事務所……メリア殺そうとしていた便利屋連中の黒いロングコートを扇ぎ見せる。


「彼らはほとんど死んでしまいました……。皆、いい人だったのに」


 テンルは遠くを見据えた。黒い眼差しはどこに焦点が合うわけでもなく、薄ぼんやりと濁っている。


「私は……メリア・イクリビタ。貴方達(ラインフォード)の手で作り出された生物兵器で、貴方達に命令されて沢山の同胞を殺したし、その、いい人達も沢山殺した」


 なぜ今そんなことを言う必要がある?


 ジンは怪訝そうにメリアを一瞥し、彼女が数瞬、強く拳を震わせているのを垣間見た。


 ――自分を殺そうとした連中がいい人だったと言われたことに動揺したのか?


 ……わからない。メリアはなんてことのない様子で、表情だけは仮面のように変わらないままだった。


 静かな翡翠色の眼差しの奥に、自己嫌悪と怒りを抑え込んでしまうと、静かに微笑んで見せる。遠い陽光を散らして銀の髪が儚く煌めいていた。


「……それを聞いてもどうにもなりませんよ。死んだ以上は生き返りませんし。……プニャーレも殺す仕事である以上、お互いかち合えばどちらかが殺される仕事になるんです」


 テンルが淡々とそう言い切ると、そのまま言葉が途切れた。


 …………沈黙すると最下層へ水が流れ落ちる音だけが幾重にも反響していく。


「あーあー! ダメだろメリア。そうやって困らせたら。ただでさえこんな場所なんだから、言葉ぐらい仲良く取り繕わなきゃ」


 ジンは笑顔を取り繕った。仮面のように表情を貼り付けて、緊張の糸を解く。


「あの……でしたら銃を下げてもらっても」


「おっと、悪い悪い。なにせ怖い輩もいるもんだからな」


 調子のいい声が嫌に響いた。……俺は何をやってるんだ? 今だって充分に冷静なはずなのに、冷めた想いが自分自身の背中を突き刺す。


「ああ、殺さないでくれて助かりますよ」


「今のって皮肉でしょ? 案外冷静なのね。腰抜かしてるのに」


 ふんと鼻で笑いながらメリアは手を差し伸べた。


 バカにしている訳ではないだろう。……単純に、向かい合って会話することを楽しむような、緩んだ気配。


 テンルは素直に手を取り立ち上がると、わざとらしさを見せつけ返すように土埃を手で払った。


「……余計なお世話かもしれませんが、もし上を目指しているのであれば一緒に来ませんか? 移動できずにいる人たちは道が分からないのではなく、動けない状態でして。動ける人たちが一緒にいてくれるだけでも助かるんです」


 テンルの言葉にメリアはジンの顔色を窺った。無表情……ではない。僅かに飄々さを曇らせてやや不安げに。なんとなくだが……、珈琲を飲んだときの顔にも似ていた。


「……まぁ、好きにしていいんじゃないか? せっかく自由になれるんだから」


「なら、ご一緒してもいいかしら? ワタシは見れる限りのものは見てみたいの。ここを出る前に、ワタシをずっと閉じ込めてた奴等のこと、この場所のこと……知れる限りは知りたいし。きっかけは……大事でしょう?」


「では……着いて来てください」


 水音が遠く響いていたにも拘わらず、細く低いテンルの声はしっかりと聞こえた。

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