錆びついた盾に守りたい者はなく



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 「【錆染】様、一つ質問があります」


 地上層、潮風の吹き付ける瓦礫の上でエルドラ・レソラは不意に歩みを止めた。


 青と銀の髪が強く靡いていく。すぐ隣で大穴へ流れ落ちていく海の瀑布のせいで、やけに煌めいていた。


 光褪せた青い双眸が【錆染】の無骨な武具を見上げると、他の《造(レグ)り者(ル・)の規定(レプリク)》の少女達もじっと無表情で見上げてくる。


 ずらりと並ぶ端正な同じ顔。僅かに不気味に思えて、錆染はフルフェイスの防具の奥で苦笑いを浮かべた。


「……ハハハッ、様付けなんてしなくていいさ。それで? 質問はなんだ? オレが答えられる限りは答えよう。プライベートなことでもな! ガールフレンドになりたいなら大歓迎さ」


 誤魔化し、取り繕うように口元の保護パーツを展開し、歯を見せた笑みを向ける。


 彼女達はノーリアクション。


 エルドラ・レソラはジトついた眼差しのまま話を続けた。


「ガー……? いえ、そんな話ではありません。【錆染】様は先ほど、何でも話してくれとおっしゃいましたね?」


「ああ、多分言ったな。言ってなかったとしても何を話したっていいぞ。オレ達はチームなんだから」


 そうだ。チームになった以上、互いに隠し事はすべきじゃない。


 これを力説していた奴が結局、一番何も言ってはくれなかったが。


 ジン・ジェスターの顔が浮かんで、苛立つように握り拳に力を込める。


「ワタシ達は死んでも記憶を引き継ぐと共に、新たなワタシ達へと変わります。その際、不要な記憶、例えば思い出などにリセットが入るのですが、これが好き、というような好みのデータが変わることはないんです――」


 うだうだと御託を数分かけて話し続ける。長く話している自覚はあったのか、ゆっくりとだが歩き始めた。瓦礫を下り、大穴を沿うように降っていく。


「――つまり、ワタシは任務の合間に可能な限りワタシがワタシである証拠を集めていて、それが美味しい物を食べることなのですが」


「……オーケー理解したぞ。つまりオレのオススメ知りたいってことだな?」


 こくりと、エルドラは頷いた。不老不死の生物兵器の捕縛なんて大層な仕事をさせられているというのに、小さな所作はどうにも少女じみている。


「余分に携帯食料は持ってるんだ。あとで味見してみるのはどうだ? お前らの商会が売ってる効率だけの土みたいなレーションじゃないぞ。エンジェル製菓のプレミアシリーズだ」


「いいですね。ぜひ忘れないでください。まぁこれは任務とは関係ありませんがね」


 ふんと、澄ました笑いを浮かべてエルドラは無表情に戻る。腰に携えていた紅く脈打つ剣を、【肉の細剣】をゆらりと引き抜きながら大穴の一歩手前まで詰め寄った。恐怖もなく、遥か地下を見下ろす。


 底は見通せなかった。陽光や視界に映る外壁は不自然に歪み、霧と混ざりあっている。


「停滞キューブ等の時間制御装置が破壊された影響が出ていますが。計測器が振り切れてない以上、時の契約は許容範囲です」


「悪い、専門用語はチンプンカンプンだ。要約してくれ」


「下まで一気に行くことは出来ますが片道です。ワタシ達は死んでも問題ないですが、【錆染】様、貴方は相応の覚悟をしてください」


「問題ないさ。便利屋を始めたときからそんなものはとっくに出来ているとも! オレ達の仕事で誰かが傷ついても、それは多少、致し方ない犠牲って奴になるだろう。それがオレ自身でもな」


 【錆染】は大げさに返事をした。巨大な盾をガチンと鳴らして、見えない底を見下ろす。


 ――大穴を生み出した生物兵器を生きたまま捕縛するなんて、ジン・ジェスターは絶対に許容しないだろう。……間違いなく敵対することになる。


「…………何かがあっても自己責任さ。嗚呼、チームは違うぞ? 絶対に無事に終わらせよう」


 同じ顔の少女達は各々の武器を取った。エルドラの持つ紅い刃は脈動を早め、ギョロリと気色の悪い目を見開く。


「哭け、細剣」


 異界道具……非科学的な力を帯びた物、技術を行使するための言葉を唱え、エルドラは一閃した。


 紅色の斬撃が薙ぎ払い、くぐもった空洞音を反響させていく。


 宙に刻まれた軌跡が何もない場所に穴を作り出すと、周囲の景色を飲み込み――まず足元が変わった。粉々の瓦礫を踏み締める音が鳴る。


 肌に触れる空気は冷え、湿度を帯びると周囲に水音が轟いた。やがて全てが移り変わり、数秒して吐き気が込み上げた。


 ……空間を裂いて我々全員を転送することができる。そう説明を受けていなければ何が起きたかも分からなかっただろう。


 発動者の負担が特に大きいのか、エルドラは膝をついて嗚咽していた。焦燥した顔をなんとか無感情な表現で隠し、フラつきながら立ち上がる。


「……っ、それが言っていた能力か。いつでも使えれば凄く頼もしいが……あまり無理はしないでくれよ?」


「……平気です。これのおかげで施設の最下層までは辿り着けましたから」


 見渡すと、地上は遥か遠く断面を露わにした施設が崖のごとく四方を囲っていた。周囲を満たす海水。瓦礫の山に、鉄パイプで作られた無数の墓標が突き刺さっている。


 ……一人の男が墓を前に膝をついていた。黒いロングコートが揺れ、物腰穏やかにこちらを振り返る。特徴のない顔。ありきたりなスーツ。しかしその眼差しだけが鋭く、爛々と、眼鏡のレンズ越しに激情が満ちていた。


 瞳の残光が尾を曳いて金色に瞬く。彼は《造り物の規定》を前に深く頭を下げると、歯を軋ませ嗚咽を噛み潰た。


「ッ……全部、同胞の墓です。連絡が途絶えた奴等のドックタグの大半が……ありました。メリア・イクリビタの処理を命じらここへ向かい、壊滅したんでしょう。……申し遅れました。自分はプニャーレ四点事務所二課のテンルです。あなた方への伝達と、個人の感情のためにここで待っていました」


「へぇ。プニャーレごときが任務にかかわるからどういう案件かと思ったが。時間稼ぎ以外も出来そうな奴がいたんだな」


 【錆染】の傲慢な言葉を意外そうに同じ顔の少女達は見据える。テンルと名乗った男は苛立つように指を噛みながら眉間に皺を寄せた。


「他の部下と何も変わらない。生物兵器を前に手も足も出なかった」


 ぎゅっと、黒い布切れを握り締めてテンルは【錆染】達を睥睨した。握り拳が怒りと苛立ち、無力感に震える。


 しかしそれも数秒。我に返るように嘆息し、力を抜くと形見が足元に落ちていく。


「この無謀な命令を与えたラインフォードの連中も冗談じゃないですが、まずは終わらせたい。メリア・イクリビタの破壊が全ての始まりです」


「彼女は今どこにいますか? これまで送られてきた情報だとここにずっと居たはずですが」


 エルドラの問いかけに彼は首を横に振った。もうここにはいないと。


「捜索を行った部下の生命信号が途絶えた位置がパイプライン十七区画です。彼女は移動しています」


 ホログラム投影機が宙に放り出されると、壊れる前にセブンスター海洋島の全体図が映し出される。下層の幾つかの区画が赤く点滅を繰り返していた。手をかざすと、そこへ向かうための順路が表示されていく。


「目撃情報から考えうるターゲットの居場所です。実際には崩落でもっと候補が絞られているはずですがね。……もし会えたなら、どうか自分達の仇を取ってください。彼女は自由にしてはいけない。二度とこんなことが起きないように縛り付けてください」


 そう言い残すとテンルは墓標に吊るされたドックタグを全て回収し、その場から離れていく。


「おいおい待て! どこに行くつもりだ。同じ目的なら同じチームでいたほうがお前も生き残れる可能性があるだろう? それともプニャーレの名を背負っているのに自分の感情で行動するつもりか?」


 【錆染】はすぐに引き止めた。しかしその手が肩に触れるよりも早く、テンルは振り向いて視線を合わせる。重い眼力を前に、気圧されるように言葉が途絶えた。


「……プニャーレの生き残りはもう組織を名乗れない。生き残った部下にも伝えたんです。どうせラインフォードにこれ以上従っても自体は好転しない。好きなようにしていいと。自分もそうします。……皆さんは職務を。検討を祈ります」


 瓦礫の山を強く踏み込んで、跳んだ。黒い外套が靡き、テンルの影が建物の中へ消える。


「はぁ……どうしようもないな。オレ達も候補とやらを確認しよう。……どうして皆好き勝手に、一時の感情に身を任せるんだか。大切な存在だとか、守りたい者だとか、余計なものを作らなければこうはならないだろうに」


 理解できない者への呆れを零すと、展開していた口元も錆色の金属装甲で覆い隠した。

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