人でなしが人間らしく






 巨大な通気孔を淡々と進んでいくのに反して足取りが重く思えてくる。


 ジンは顔を引き攣らせた。仮面をつけていて良かったと思ったことは多々あるが、今この瞬間もそのときだろう。


 ――――違和感が拭えない。今までにないタイプだ。


 力技で対処できない存在に対して親しい関係を築き信頼を得る。……今までだってそうしてきた。そうやって、仕事を終えてきた。


 組織の長や人間不信に陥った技術者……。決して少なくない言葉を交えたうえで終わらせてきたというのに。何故いまさら、こうも動揺する?


 彼女が、メリア・イクリビタの境遇の所為か? だが、決して珍しい出自ではない。むしろ悍ましい怪物のはずだ。


 ならどうして……こうも思考する?


 ジンは沈黙したまま歩き進んでいくと、不意に目の前に影が立った。


 メリアはその凛とした眼差しで見上げると、怪訝そうに顔を覗き込んでくる。ゆらりと、妙に露出のある衣服の裾が艶やかに揺れた。


「平気かしら? 随分考え込んでいるみたいで、難しい話ならいいの。仕方ない犠牲って、どうしても存在するものだから」


 仮面をしていなかったら、今の表情を見られていただろう。彼女の純粋無垢な詰問が目の前に迫ったに違いない。


 見られなくてよかったと、僅かに安堵してしまった。――なぜ?


「いや、こういう話をするのは久々でな。色々、感傷深いとでも言えばいいのか? わかる?」


「ええ、すごく分かるわ? ワタシは、こうやって話し会えるのも初めてだから、凄く楽しいの。うん、楽しい。こうして歩いてるだけでもね。けど何を話せばいいかって全然わからないから。……嫌な想いをさせたらごめんなさい?」


 すぐ隣を平然と歩むメリアを、悟られない程度に一瞥してみても、彼女が何を考えているのか、まるで分からない。


 言葉とその飄々とした表情に全て出きっているのかも、なにか奥底に隠れた部分があるのかも。何も見えてこない。


 メリア・イクリビタ・プロトアルファは大人びているような達観さと、何も知らない幼さが混ざり合って、軋んでいた。


「……君は――。どうして犠牲が少ないほうがいいと思ったんだ? 犠牲が出た時点でその重さは変わらないだろう」


「どうしてって……、死んじゃう生き物が増えることを嬉しいとは思わないでしょ? 確かにワタシは沢山壊して、殺したけど。好きでしたと思う? 一匹殺したから二匹、三匹も問題ないかどうかなんて、気持ちの問題じゃないの?」


 ――当然の返答が返ってきた。……冷静に考えずとも、こんな質問をしたやつがおかしいだけだ。


 どう誤魔化そうか数秒悩んで、乾いた鼻笑いを澄まして有耶無耶にした。


「至高の傑作だの生物兵器だのと自負する割には感性はそのままだな」


 八つ当たりのように彼女の深くに踏み込んだが、メリアは強く頷いて、むしろ同意者を求めるように手を握り強く一歩前に出た。


 険しく覗く眼差し。凛とした表情はため息と共に崩れ、呆れるように微笑んで緩んだ。


「ワタシの生みの親に言ってほしいものね。こんな感情も肉体も非合理的だって。……まぁ、技術を人間に転用したり、社会に溶け込むには必要だったのかしら? そのおかげで殺せって言われたときだって、何度諦めをつけたかわからないの。……諦め以外が理由だったときなんて、それこそ一回だけじゃないかしら?」


 その一回が全てを破壊したのだろう。あどけなさの残った蠱惑的な囁き声が耳に残る。


「この階段を上がれば研究者達の居住区画に出るはずだ。ここから上がる」


 重い鉄扉を開けるとき、じんわりと嫌な気配を感じてジンは振り向いたが、視界に映るのは弔うこともなくまま置き去りにしたはずの無数の亡骸が、全て目を閉じて、丁寧に壁に寄り掛けられた姿だった。


 メリア・イクリビタが全ておこなったのだろう。自分はこんなことをしようと思ったことがあったか? したことはあったか?


 ――こんなことをするやつがおかしい。ただの自己満足だ。罪悪感から逃げようとしているだけだ。


 冷静に、自分で自分に言い聞かせた。血に汚れた手をぎゅっと握り締めて、胸に湧いた不快感を押し殺す。


 ギギギと、扉を押し開けると重い金属音が響いていく。気圧差でもあったのか、空気が強く流れ込んで数秒の間全身に吹き付けた。


 髪が逆靡いた後、電灯の途絶えた階段が見えてくる。


「安全なところまで上がろう。どこにガタが来てるかとか、どこに誰がいるかなんて見てみないとわからないからな」


 そうは言ったものの、行き詰まるのは早かった。区画の一部が崩落したのだろうか。階段は途中で大量の瓦礫に押し潰されていた。それでも最下層よりは上がったからか、メリアはキョロキョロと興味ありげに周囲を見渡していた。


「このあたりは嫌な薬の臭いがしなくて素敵ね? 屋内に入ってからずっと、ワタシ達を制御するための抑制剤の残り香があって不快だったのよ」


「研究設備というよりは、あいつらの居住区画だからか? ……ってか、臭いが残ってる時点で成分が揮発してるんだが……身体に問題はないのか?」


「抑制剤は慣れたわ? それにいつの間にか飢えだとか、不具合までも他人に押し付けるようになっちゃったし。……その所為でワタシに掛かる時間そのものを引き伸ばしたりされたんだけど」


 嫌なことを思い出したのか、メリアはしおらしく顔を俯向けた。慰めるように数匹の蝶が彼女の手や髪に止まると、ふんと、何もなかったかのように達観した微笑みを浮かべ向ける。


「けどまぁ、そんな時間制御も研究者もこの場所も、全部ぶっ壊してやったの。だからその分ぐらいは自由に、人間みたいなことができれば嬉しいわね? ……どんなことが人間っぽいと思う?」


 無垢な問いかけだった。彼女の求める人間らしさに該当できる人間はどの程度なものか。


「…………飯とか、服とかか? 部屋は汚いくせにそういうことだけは拘ってる奴がいてな。今にしてみれば、そういう人間らしさの願望みたいのはあったのかもしれない」


 ヴィコラ・ミコトコヤネのことを脳裏に浮かべながらジンは答えた。彼女はたびたび、食事を一緒にしたいだとか、服や防具のデザインについての相談だとか言ってくれていたのに。


 ――俺はまるで取り合わなかった。


 本物のヴィコラは今も冷凍保管したまま。……ぽっかりと胸に開いた穴を思い出して、乾ききった涙を流そうと小さく首を横に振ったが。何も流れはしなかった。

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